【私が野球を好きになった日5】甲子園球場に恋した少女 球児のように叶えた夢

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フリーアナウンサーの市川いずみさん【写真:本人提供】

フリーアナウンサーの市川いずみさん、地方大会の高校野球実況の経験も

Full-Countでは選手や文化人、タレントやアナウンサーら野球を心から愛し、一日でも早く蔓延する新型コロナウイルス感染の事態の収束を願う方々を取材。野球愛、原点の思い出をファンの皆さんと共感してもらう企画をスタート。題して「私が野球を好きになった日」――。第5回はフリーアナウンサーで高校野球を心底愛する市川いずみさんに高校野球への思いを明かしてもらった。

2000年8月17日。初めて恋に落ちた。

階段をかけあがり目に飛び込んできた景色、熱気、芝生の香り――。

「なんやここ、めっちゃ素敵!」12歳の少女を魅了したのは、かっこいいお兄ちゃんがプレーする高校野球、そして甲子園球場という場所だった。

どちらかというと野球はあまり好きではなかった。巨人ファンの祖父が週末必ずつけるテレビがそうさせた。ナイトゲームの中継時間が楽しくなかったからだ。「野球がなければ、ちびまる子ちゃん見られるのに……」アニメの時間を許してくれない野球は時には邪魔だとさえ思ったこともあった。しかし、それに反して小学生の頃にはなぜかマイグラブを持っていた。自然と野球が好きになる環境下にあったのかもしれない。

陸上とソフトテニスに明け暮れた小学校生活を終え、中学では陸上部に体験入部。先輩の後ろについて走っていると、軽快に打球をさばき送球するソフトボール部の遊撃手の先輩の姿が目に留まった。「かっこいい!あんな風になりたい!」何事もやるからには1番になりたい性格だった私は、当時、京都府で2位の実績を誇っていたソフトボール部に入部した。それからは一気に野球の見方が変わった。ナイトゲームの中継も打撃や守備など技術的なことを盗もうという目で見るようになっていた。

そしてソフトボールを始めて約4か月経った夏休み。

「甲子園行くか?」

スポーツ好きな父のこの一言が私の人生を変えた。父に誘われて向かった初めての甲子園球場。阪神電車に揺られながら、心は踊っていた。目の前には蔦で覆われた球場が第82回全国高等学校野球選手権大会の看板を掲げている。

「ここが甲子園かぁ……」

その中には、今でもすぐに思い起こすことができる感動を超えた景色が広がっていた。スタンドにたどり着いたときに目に飛び込んできた360度の大観衆。芝生と唐揚げや焼きそばの香ばしさが入り混じった匂いが鼻をつく。グラウンドからは大きな声が耳に届いてくる。私は改修前の甲子園の内野席、オレンジ色のシートに父と二人、腰かけた。

3回戦の横浜(神奈川)対鳥羽(京都)の試合だった。7回途中まで鳥羽の谷口投手が無安打ピッチングをみせる投手戦。どこか球場は緊張感に包まれていたと記憶している。4回に、選抜ベスト4の鳥羽が押し出し四球で先制していたが、8回裏に鳥羽の遊撃手が先頭打者の打球を失策。そのランナーを返した横浜が1-1とした。球場の空気は一気に横浜に流れたように感じた。

同点のまま迎えた9回裏。横浜はサヨナラのランナーを2塁に置いて、最後は前進守備のセンターの頭上を白球が越えていった。2-1で横浜が勝利。初めての野球観戦は劇的なサヨナラゲームとなった。「よこはーま、こうこぉー! よーこはーま、こーうこーぉー!」かっこいいお兄ちゃん達が溌溂と校歌を歌っていた。アルプスに駆け出す横浜ナインに送られる歓声にも圧倒されたが、失策し、涙を流して立ち上がれない鳥羽の遊撃手の姿が最も印象的だった。「涙が止まらないくらい悔しくて、一生懸命になれることがあるって素敵だな」

光星学院の伝令で“コケた”小浜主将、智弁和歌山・堤野主将には後に直接取材

次の試合は光星学院(青森:現八戸学院光星)と九州学院(熊本)の一戦。伝令に送られた光星の小浜巧聖主将がマウンドからベンチに戻る際に転ぶ場面も。「あの人、こけはったわ~」10年以上の時を経て、仲間を和ますためだったということを知ることになるなどこの時はまだ知らない。ただ、プレーだけでなくいろんな形でチームの勝利に貢献しようとするお兄ちゃんたちの姿もまたかっこよく映った。

8月17日の観戦をきっかけに高校野球にどっぷりハマった私はソフトボールの練習が終わると甲子園へ足を運び、無料の外野席で一人お兄ちゃん達に熱視線を送った。今でもこう答える。

「私のヒーローは堤野健太郎さんです」。

この年は智弁和歌山が大会100安打、11本塁打を記録するなど圧倒的な打力で優勝した。堤野さんは智弁和歌山の主将だった。俳優の竹野内豊さんにそっくりな優勝キャプテンがまぶしかった。決勝戦の東海大浦安戦(千葉)では2本の本塁打を放つも、全く笑顔を見せずにダイヤモンドを一周した。

「かっこいいなぁ」

しかし、日本一まであとアウト一つとなった時、それまでクールにプレーしていた堤野選手が遊撃の位置であふれる涙を堪えられずにいた。「やっぱり涙が出るほど一生懸命になれることがある人はかっこいい。どんな気持ちでここまでやってきたんだろう」失策して流す涙、日本一の景色を見て流す涙、いろんな涙に出会ったこの夏。その理由を知りたいと思ったことがいつしか取材し、伝える道へ私を導いた。

2000年8月17日。高校野球と甲子園球場に恋した日から、15年後。

「応援しています」

憧れの聖地を仕事場にすることができた私に声をかけてくれたのは、私にとってのヒーローだった。母校・智弁和歌山の応援に来ていたのだ。出演する番組や執筆したコラムなどを通じて私のことを知ってくれていたという。野球の神様が結んでくれたご縁だ。

さらに2016年春。八戸学院光星のユニホームに身を包んだ恰幅のいい男性を3塁アルプスで見かけた。「こけた人や!」ご挨拶すると、名刺を差し出してくれた。“小浜巧聖”。16年前、伝令の際に転んだあの小浜主将がコーチとして母校の指導にあたっていたのだ。なぜ転んだのか。16年の時を経て自身で確認することができた。

一生懸命になっているお兄ちゃんたちはかっこいいと憧れた高校野球。今では高校球児より一回り以上年が上になってしまったが、それでも年頃の男の子が甲子園出場、日本一とそれぞれの目標に向かって一生懸命になっている姿には尊敬の念に堪えない。このぐらいでいいかな……と大人になると突き抜けた我武者羅さを忘れてしまうが、高校野球に触れるたびに全力で一生懸命になることの大切さを思い起こさせられるのだ。

選抜高校野球が史上初めて中止となった。その際も多くの球児が「夏に向けて頑張ります」とコメントしていた。やっと掴んだ夢舞台が一瞬にして夢になってしまい、本当は想像もつかないほどのショックを受けていたはず。それにも関わらず、取材には前向きな言葉を紡ぐのだ。それが背伸びだったとしても、あまりにも大人な対応に頭が上がらない。高校球児は強い。刺激を与えてくれる高校球児の一生懸命さに触れられる夏が来ることを今は祈るばかりだ。(市川いずみ / Izumi Ichikawa)

市川いずみ(いちかわ・いずみ) 京都府出身のフリーアナウンサー、関西大学卒。元山口朝日放送アナウンサー時代には高校野球の実況も担当し、最優秀新人賞を受賞。朝日放送「おはようコールABC」、毎日放送「ミント!」に出演するほか、MBSラジオ、GAORA阪神タイガース戦リポーターを担当。スポーツニッポンで春・夏の甲子園期間中はコラムを執筆。NHKワースポ×MLBの土日キャスター。学生時代はソフトボールで全国大会出場の経歴を持つ。