新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、行政から求められている飲食店などの営業自粛。感染防止の意義は理解しながらも、自粛を一方的に求める社会の空気に居心地の悪さを感じる事業者は少なくない。異論を唱えにくい雰囲気が強まる中、「同調圧力による自粛には応じない」と明言し、一貫して営業を続けている大阪市のバーに興味を持ち、訪れてみた。(共同通信大阪社会部=武田惇志)
▽市民の中に形づくられる同調圧力
大阪市西淀川区の閑静な住宅街に位置するバー「The Intersection」。引き戸を引いて店内に入ると、周囲の雰囲気とは異質な、紫色に妖しく光る人工的な照明が目に付いた。壁面の近未来的な幾何学模様が印象的だ。他に客の姿はなく、店主の松山孝法(まつやま・たかのり)さん(32)が笑顔で迎えてくれた。
店は昨年4月にオープンしたという。東京でサラリーマン生活を数年した後、脱サラして地元の関西に舞い戻った。席は10席で、奥に3~4人が囲める立ち飲み席がある。満席になることは滅多にないようで、この日は外国人女性が一人で来店し、閉店まで静かにカクテルを飲んでいた。「もちろん、感染拡大を助長したいわけではないですよ。目に見えないウイルスを恐れる気持ちは理解できる。でもね」と松山さんは切り出した。
「『補償するから休業してほしい』とお願いするのが本来の順序なのに、行政はそうしなかった。市民同士の中で作られる無言の圧力に頼って、営業自粛をさせようとしたんじゃないかって思うんですよ」。営業を続ける理由を尋ねると、持論を展開しだした。
府が休業要請を出した4月14日、インターネット上で応じない旨を表明した。酒類の提供は午後7時、営業は8時までと求められているが、11時まで店を開け続けている。
不満があっても意見を言いにくい雰囲気を感じ、あえてネット上に自らをさらしたという。「自己中心的だ」などと批判も受けたが「共感した」と好意的な反応も多かった。
▽相次ぐ通報「まるで犯罪者扱い」
府のコールセンターには「あの店が営業している」などと、行政の方針に従わない店を狙い打ちしたような市民からの通報が相次ぐ。「何の法も犯していないのに、まるで犯罪者扱い。それなら集まる客の方だって問題視されるべきでは?」と反発する松山さんは、クラブ、パチンコ、映画館など特定の業種だけが休業を求められた点についても「恣意(しい)的でしょう」と納得がいかない様子だ。
後日、常連客であるアニメーターの女性(37)に話を聞いてみた。女性は「来るか来ないかは客の判断。私はお酒を飲んで、人と話すのが好きだから」と語る。新型コロナウイルスは怖くないのかと尋ねると「私自身は1人暮らしで、仕事柄、ほとんど人に会わないこともあって気にしていない」と答えた。
大阪府は4月下旬になって、休業要請に応じた個人事業主に対して50万円の支援金を支払うことを表明した。「筋を通し続けることで支援金がもらえなくなるのは正直、悩ましいな」と話す松山さんだが、「大義名分を背に自粛を求める世間の空気は恐ろしい。たとえ一人でも、異論を唱え続けようと思う」と力を込めた。
▽「非国民と言われてしまうかも」
4月7日の緊急事態宣言の発令後、大阪市内の別の老舗のバーでは店主が営業時間の短縮を決めた。「周りに非国民と言われるかもしれない」と思ったからだという。また、コリアンタウンとして知られる大阪・鶴橋で焼肉屋を営む在日コリアンの女性は「開けていて嫌がらせされたら、怖いから」と自粛の理由を打ち明けた。
「あそこのパチンコ店が開いている」などと府のコールセンターにかかってくる通報はこれまで1000件以上。吉村洋文(よしむら・ひろふみ)知事は感染拡大防止の観点からパチンコ店を「多くの人が押しかける収容施設」として問題視し、4月24日には特別措置法45条に基づき6店に休業を要請、店名公表にまで踏み切った。それでも応じない店には「休業指示」の行政処分をすることも検討するとしていた。一方、キャパシティーの小さい飲食店などについては現在、強い措置を取る考えはないという。
▽振りかざす〝正しさ〟って何?
冒頭の松山さんを紹介する共同通信の配信記事を4月27日の新聞で読み、すぐにフェイスブックで連絡を寄せた50代女性がいる。島根県松江市でスナックを経営する雅子(まさこ)さん(仮名)だ。「勇気を持って自粛せず頑張る姿に心打たれた半面、都会がうらやましいとも感じた」
雅子さんによると、市内の飲食店でクラスター感染が見つかった4月中旬以降、繁華街ではほぼ全ての店がシャッターを閉めたという。島根県は飲食店向けの休業要請を見送っており、休業は完全に自主的なものだ。雅子さんはしばらく粘って営業を続けたが、客足が途絶えたこともあって諦めた。
「店を開けていても客はほぼ入ってこないのに、同業者から『周囲や従業員を守る気がないのか』と怒られた」と話す雅子さん。ある常連客からはSNSで「いつまでやるの?」「休業しないのは無責任だ」などと執拗にメッセージを送りつけられ、「いいお客さんだったのに、こんなふうに人が変わるのかと思って悲しくなった」と嘆息する。
一度街が静かになると、今度は店を開けたくても開けられない空気が生まれた。「田舎だから他人の目を強く気にして、どこが最初に店を開けるか互いに様子をうかがっている。みんな、自分が最初に開けて叩かれ、村八分にされるのを恐れている」。
外出自粛の影響でかき入れ時の3月も客足が少なかったため、4月いっぱいで閉店したまま廃業する店も少なくないという。雅子さんにも廃業の二文字が頭をよぎったこともあった。現在は従業員と相談し、ゴールデンウイークが明けたら、おそるおそる店を開けてみようかと考えている。
「『自粛、自粛』と他人に振りかざせる〝正しさ〟って、一体なんだろう」。松山さんの行動を知るまで、周囲の無理解を恐れて胸の内を誰かに話すこともできなかった雅子さん。今もなお精神的にこたえる日が続いている。