伝統的にオランダとの繋がりが強いことで知られるバルセロナ。これまで19名にもおよぶ同国出身の選手がプレーしてきた。
『Planet Football』はその選手たちをランキング化。最高の5名と最悪の5名を紹介する。
▼ベスト5
5位:フィリップ・コクー
コクーはバルセロナでの最初の年にタイトルを獲得し、そのリーダーシップと有用性から副キャプテンも任された。ファン・ハール監督からの信頼は非常に厚かった。もしもっといいチームが彼の周りにいれば、もっとタイトルに恵まれただろう。
センターバックから攻撃的なMFまで全てをこなし、あらゆるポジションで知的かつ安定したプレーを見せた。彼よりも活躍した選手はいるが、彼よりも上手くやった選手は少ない。
4位:フランク・デ・ブール
彼のプレーはまさにバルセロナのスタイルにぴったりだった。卓越したテクニックを武器に最終ラインからゲームを作ることができ、冷静で、そして勇気もあった。
まるでカタルーニャで生まれたように「バルセロナのDNA」を保持していたディフェンダーだった。
3位:パトリック・クライファート
不安定な選手だと揶揄されたこともあるが、バルセロナのオランダ人で最も優秀なストライカーは間違いなくクライファートであった。257試合で122ゴールを決め、いくつも勝利を導いてきた。
コクーと全く同じく6年間をこのクラブで過ごしたが、運悪く暗黒期にぶち当たってしまったため、多くのタイトルを獲得することはなかった。
2位:ロナルト・クーマン
初のヨーロッパカップ優勝を果たした試合でゴールを決めたクーマンは、90年代初頭のヨハン・クライフ率いる「ドリーム・チーム」でキープレーヤーとなった。
サンプドリアに対して放った強烈なキックはもはや伝説。ディフェンダーでありながらも数多くのゴールを奪い、クラブの歴史上でメッシに並ぶ記録を持つフリーキッカーでもある。
1位:ヨハン・クライフ
バルセロナで初めてプレーしたオランダ人選手であり、そしてすべてを変えた革命家でもあった。グアルディオラやブスケツ、チャビ、イニエスタらを生み出したバルセロナのスタイルは彼が作り出したといえるものだ。
アヤックスでバロンドール3連覇を果たした後、バルセロナを14年ぶりのリーガ優勝に導いた。さらに引退後は監督として復帰し、その勝利の文化をチームに叩き込んだ。
ジョゼップ・グアルディオラも「彼は無から何かを想像した男だ。知識があり、カリスマがあり、個性があった。誰かが付いてくる人間になるためにはカリスマが必要だ」とクライフの影響力を語っている。
▼ワースト5
5位:ジョルディ・クライフ
残念ながら、彼は偉大な父親の影に隠れたままキャリアを終えてしまった。とはいえ、ジョルディ・クライフにとってヨハンを超えるというのはもはやミッション・インポッシブルでもあった。
ただ、マンチェスター・ユナイテッドに移籍するまでに所属した時間でいくつかのゴールに貢献しており、偉大な父親のことを気にしなければ十分に堅実な選手だったとも言える。
4位:リチャード・ヴィチュヘ
ヨハン・クライフ監督が率いていた90年代前半の「ドリーム・チーム」でプレーしたヴィチュヘ。彼はタイトルに恵まれた選手であったが、バルセロナでは難しい時間を過ごした。
ミカエル・ラウドルップやフリスト・ストイチコフ、ロナルト・クーマンを備えたバルセロナには外国人枠の空きがなく、実力面だけではなくルールの面でも貧乏くじを引いた。
3位:ウィンストン・ボハルデ
負傷がボハルデの活躍するチャンスを奪ったことは間違いない。ミランから1998年1月にバルセロナへとやってきたとき、後半戦だけで19試合に出場した。ところがその次のシーズンは1試合のみしかプレーできず。
1999-2000シーズンには再び出番を得るも、マリオ・メルヒオットの誘いで加入したチェルシーで大失敗。加入数週間後にラニエリ監督から戦力外通告を受けるも、高額の給与を貰っていると公言し、チームを離れることを拒否した。そのため今でもプレミア最悪クラスの補強だったと言われている。
2位:ロナルト・デ・ブール
双子のフランクと共にアヤックスからバルセロナに加入。1998-99シーズンのタイトル獲得には貢献したが、37試合で2ゴールしかあげられなかった。
「ゴールを奪えるMF」として加入した彼の評価はそれによって落ちてしまい、18ヶ月でグラスゴー・レンジャーズへと放出されることに。
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1位:イブラヒム・アフェライ
PSVからアフェライがバルセロナに加入したのは2010年。彼は4シーズンに渡ってバルセロナ保有の選手だったが、ほとんどをローン移籍で過ごした。
それにもかかわらず、彼はクラブの歴史上でも最も重要なアシストを記録している。レアル・マドリーとのチャンピオンズリーグ準決勝で、メッシのゴールを支援した。
最下位であっても特別な瞬間があったということは、バルセロナに所属したオランダ人がどれだけ成功してきたかという証でもある。