MotoGPの軌跡(3):2004年のヤマハ移籍後も無類の強さを発揮したロッシ

 2001年までの世界GP(WGP/World Grand Prix)の略称で行われていたロードレース世界選手権。2002年から最高峰のバイクが4ストローク990ccとなり、シリーズの名称もMotoGPへと変更された。しかし、MotoGP初年度は2ストローク500ccマシンと4ストローク990ccマシンが混走する状況でのスタートとなった。2002年から2019年までのMotoGPの軌跡を連載形式で振り返っていく。
————————————————————

2003年MotoGP:加藤大治郎

 2003年シーズンは悲しみと共に始まった。ホンダのサテライトチームであるテレフォニカ・モビスター・ホンダの日本人ライダーとして世界チャンピオンに一番近い位置にいた加藤大治郎が、開幕戦の鈴鹿決勝中のアクシデントにより、亡くなってしまったのだ。この年は2戦目以降、GPライダー全員が74のステッカーをマシンに貼って走った。

 2年目のMotoGPクラスは4スト990ccマシンが開発途上だったプロトンKRを除いて、4スト990ccマシンでの参戦となった。ホンダ、ヤマハ、スズキ、アプリリアに加えて、カワサキとドゥカティもフル参戦を開始した。マシン開発やテストに制限はなく、各ワークスが激しいマシンの開発競争を繰り返していた。強大なパワーを発揮するMotoGPマシンをどうコントロールするか、電子制御面での進化が重要となった時期でもあった。

MotoGP2003年:玉田誠がブラジルGPで3位表彰台を獲得

 この年もロッシとホンダRC211Vのコンビネーションにゆるぎはなく、ロッシは16戦9勝を記録して連覇を達成した。注目はこの年から参戦したドゥカティで、開幕戦鈴鹿で3位表彰台を獲得、第6戦カタルニアでは初優勝を飾った。また、この年からフル参戦した日本人ライダーの玉田誠がブラジルで3位表彰台を獲得。清成龍一が第4戦フランスから加藤の代役として参戦した。

 そして、加藤のチームメイトでセテ・ジベルナウが第2戦南アフリカで優勝して加藤に勝利を捧げ、トップライダーへと成長。ロッシとタイトルを争うまでには至らなかったが、ランキング2位でシーズンを終えた。ヤマハはこの年もマシンの改良を進めながらの戦いとなり、エースのマックス・ビアッジは2勝に留まり、ランキング3位となった。

MotoGPの2003年シーズンはバレンティーノ・ロッシが連覇を達成

 このシーズン終了後、ロッシのヤマハへの移籍が決まる。ロッシはRC211Vというマシンのおかげで勝てているという声に我慢できず、新たなモチベーションを求めて、新しい挑戦を始めることになった。

■2004年シーズン:王者ロッシがヤマハに移籍

 2004年シーズン、ロッシはヤマハに移籍した。ホンダとの契約の関係から、ロッシは2003年中のテストを行なうことができず、年明け1月のセパンテストでヤマハYZR-M1に初ライドすることになった。

 ヤマハの開発陣はロッシのために4種類のエンジンを準備、その中からロッシは不等間隔爆発で4バルブのエンジンを選択。そこからマシンの開発を進めて開幕戦の南アフリカを迎える。

 南アフリカではホンダからヤマハに移籍したロッシと、ヤマハからホンダに移籍したビアッジの戦いとなり、最終ラップまで続いた僅差のバトルをロッシが制し、ヤマハでデビューウインを達成した。そして、この年、ロッシはYZR-M1で16戦9勝を記録し、タイトルを連覇した。

 ランキング2位には前年に続いてジベルナウが入り、ビアッジは3位に終わった。ロッシの抜けたホンダはアレックス・バロスをエースとして起用したが、1勝も上げることができず、ランキング4位に終わった。しかし、ランキング2位から6位までをホンダ勢が占め、コンストラータイトルはホンダのものとなった。

 日本人ライダーでは2年目の玉田がブラジルGPで初優勝を飾る。玉田は1年目からブリヂストンタイヤを履いており、この勝利がブリヂストンにとってMotoGPでの初勝利となった。玉田はもてぎで開催された日本GPでポール・トゥ・ウインを達成。2勝目をマークし、ランキング6位で2004年シーズンを終えている。

2004年MotoGP:玉田誠が日本GPで優勝

 もてぎでは、この年からカワサキのエースとして起用された中野真矢がMotoGP初表彰台となる3位に入賞し、ランキング10位。阿部典史はこの年はゴロワーズ・ヤマハ(チーム母体はテック3)からMotoGPクラスにフル参戦し、ランキング13位。青木宣篤も4スト990ccのプロトンKR5で参戦したが、開発途上にあるマシンの熟成が進まず苦戦を強いられ、ランキング21位に止まった。青木はこの年を最後にレギュラー参戦を終了。翌年からスズキの開発ライダーとしての道を歩むことになる。

© 株式会社三栄