Jリーグを経由してセレソン入りした9名のブラジル人

新型コロナウイルスの影響により中断を余儀なくされているJリーグ。今年も数多くの外国人選手がプレーしている。

最多は今年もブラジル人。歴代でも数多くのブラジル人選手がJリーグでプレーしてきたが、その中には日本でプレーした後にブラジル代表へ招集されるようになった選手がいる。

今回は、Jリーグを経由してセレソン入りした9名の選手を紹介したい。

フェリペ・ガブリエル

J在籍:鹿島アントラーズ(2010~2011)
代表:2012(0試合0得点)

2010年、Jリーグ史上初となる3連覇を達成した鹿島に加入したフェリペ・ガブリエル。

高いテクニックと献身的な働きを見せたが、それまで特に実績があったわけではない彼は「助っ人」としてやや物足りない面があった。チームは彼が加入した年に4連覇を逃すと、翌年も16試合の出場に留まり退団している。

しかし、日本で身に付けた献身的な働きを生かしてボタフォゴで活躍し、2012年にブラジル代表に招集された(出場はなし)。

ボルジェス

J在籍:ベガルタ仙台(2006)
代表:2011(1試合0得点)

地方クラブのパラナで活躍し、ステップアップか…というところでなぜか当時J2のベガルタ仙台へ加入。

ストライカーとしては上背がなく、足元の技術も特に秀でていなかったが、「パラナのアドリアーノ」とも称されたパワーとゴール前での優れた得点感覚でいきなり26ゴールを記録しJ2得点王に輝いた。

本人の希望によりわずか1年で退団し、その後は国内のビッグクラブで活躍。サントス時代の2011年にはネイマールとコンビを組んでゴールを量産し、リーグ得点王に。同年ブラジル代表に初招集され、アルゼンチンとの「クラシコ」でデビューを果たした。

ファビオ・サントス

J在籍:鹿島アントラーズ(2006)
代表:2012(3試合0得点)

攻守のバランスに優れた左サイドバックのファビオ・サントス。

名門サンパウロで10代にしてデビューし、2005年にはU-20代表としてワールドユースに出場した有望株だったが、武者修行を兼ねて2006年に鹿島に加入。ただこの時点ではまだ本格化しておらず、ファンの記憶に残るようなプレーは見せられなかった。

その後はやや伸び悩んでいたが、コリンチャンスに所属していた2012年にコパ・リベルタドーレスを制覇し、セレソン入り。この年の暮れにはクラブワールドカップで世界一に輝くなど、彼にとって2012年はキャリアのハイライトになっている。

ティンガ

J在籍:川崎フロンターレ(1999)
代表:2001~2007(4試合0得点)

野性味あふれる風貌と圧倒的な運動量が魅力だったティンガ。

現地の発音で「チンガ」としても知られる彼は、川崎に加入した当時はFWだった。ツゥットらとコンビを組み、Jリーグ初年度だったクラブをいきなりJ1昇格に導いている。その後、中盤にコンバートされて大成し、2001年にブラジル代表へ。デデらとともにドルトムンドでも活躍した。

ちなみにヴィトール・ジュニオールとはご近所さんらしく、彼が川崎入りを勧めたんだとか。

チアゴ・ネーヴィス

J在籍:ベガルタ仙台(2006)
代表:2008~2012(8試合0得点)

柔らかいボールタッチと左利きらしい独特の間合いが持ち味のチアゴ・ネーヴィス。

2006年の仙台にはボルジェス、ロペス、チアゴ・ネーヴィスと、J2とは思えないほど強力なブラジル人が在籍したが、そのなかで最も地味な存在だったのが彼である。

しかし翌年、名門フルミネンセでブラジル全国選手権の最優秀選手に輝き、2008年にセレソン入りを果たした。2012年には日本代表との親善試合に出場し、成長した姿を見せた。

ジャウミーニャ

J在籍:清水エスパルス(1994)
代表:1996~2002(14試合5得点)

「稀代のテクニシャン」として知られたこの男も、Jリーグを経由してセレソン入りしていた。

1994年、元ブラジル代表のレジェンドであるリベリーノが清水の指揮官に就任し、同じ左利きである彼を呼び寄せたのだ。しかし、リベリーノは成績不振により半年で辞任。ジャウミーニャもさしたるインパクトを残せぬまま退団することになった。

日本に来る前から国内で高い評価を得ていた彼は、帰国後の活躍によって1996年にセレソン入り。さらにその後、スペインでデポルティーボ・ラ・コルーニャを優勝に導くなど、世界的な選手へと成長した。

マルシオ・アモローゾ

J在籍:ヴェルディ川崎(1992~1993)
代表:1995~2003(20試合9得点)

ヴェルディに在籍した当時は10代だったアモローゾ。

サテライトリーグではゴールを量産し高い評価を得ていたが、年齢や外国人枠の問題もあり、一度も出場機会を得ることなく退団。しかし帰国直後の全国選手権で得点王に輝くと、1995年にセレソンにピックアップされた。彼はその後、イタリア・セリエA、ドイツ・ブンデスリーガでも得点王を獲得している。

ちなみに2006年にはヴェルディのライバルであるFC東京と仮契約を結んだものの、これを破棄してミランへ移籍したことが伝えられている。

フッキ

J在籍:川崎フロンターレ(2005~2008)、コンサドーレ札幌(2006)、東京ヴェルディ(2007)
代表:2009~(48試合12得点)

「J発のセレソン」と言えばやはり、超人フッキ。

全くの無名だった2005年に川崎へ加入。ここでは本領を発揮できなかったが、翌年、貸し出されたJ2の札幌で25ゴールを記録すると、その翌年には東京ヴェルディで37ゴールを叩き出しチームをJ1昇格に導いた。シーズン37得点は現在でもJ2レコードとなっている。

2008年に判定を巡って審判とのトラブルを起こし、これがきっかけとなり退団したが、移籍先のポルトで爆発しセレソンに選出。以降、2014年ワールドカップ、ロンドン五輪にオーバーエイジで出場するなど、今回紹介したなかで最も成功した選手といえるだろう。

アレックス・サンターナ

J在籍:湘南ベルマーレ(2013)、アルビレックス新潟(2018)
代表:2016年(0試合0得点)

最後は、直近の該当選手、アレックス・サンターナだ。

モヒカン調の髪型が特徴的で、海外ではアレックス・ムラーリャの名でも知られるGK。日本では湘南と新潟でプレーしており、湘南時代は「不思議な踊り」で大久保嘉人のPKを止めるなど“イロモノ守護神”の印象があった。

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しかし母国復帰後に国内リーグで成長。名門フラメンゴに引き抜かれるまで実力を上げ、2016年9月、26歳でセレソンに初招集されている。

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