知る人ぞ知る “ニュー・ミュージック” 愛すべきトニー・マンスフィールドの世界 1980年 4月18日 ニュー・ミュージックのデビューアルバム「From A to B」がリリースされた日

リ・リ・リリッスン・エイティーズ ~ 80年代を聴き返す ~ Vol.2
From A to B / New Musik

知る人ぞ知る “ニュー・ミュージック” のデビュー作「From A to B」

ザ・バグルス(The Buggles)の『プラスチックの中の未来(The Age of Plastic)』は、新しいテクノロジーと人力をうまくブレンドさせた(するしかなかった)、80年代の幕開けにふさわしい、革新的なポップミュージックでしたが、その3ヶ月後、同じロンドンから、同じような試みに挑んだ作品がリリースされました。

ニュー・ミュージックのデビューアルバム『From A to B』です。日本では少々紛らわしいバンド名ですが、「New Musik」と綴ります。先行シングルの「Straight Lines」は既に79年8月10日に発売されていますから、こちらはバグルスの「ラジオスターの悲劇(Video Killed the Radio Star)」より1ヶ月早い。2つのバンドは、まさに同じ頃、同じ場所、同じような発想で、音楽に取り組んでいたのです。

しかしながら、方や世界がエポックメイキングな作品と認める『プラスチックの中の未来』に対し、知る人ぞ知る、しかも知る人少ないという『From A to B』。この差は一体何なんでしょう?

バグルスと似ている “ニュー・ミュージック” そして何が違った?

英国チャートの最高位では、『プラスチックの中の未来』が27位、『From A to B』が35位と、そんなに違いません。だけどシングル。ニュー・ミュージックの2nd シングル「Living By Numbers」も13位と健闘しましたが、「ラジオスターの悲劇」は1位だし、この曲の完成度はあまりにも高い。私の「ポップ度鑑定」ではマックスです。やっぱり人の心に強く残るのはヒットシングルですよね。

「ラジオスターの悲劇」を除いたら、『From A to B』の曲は『プラスチックの中の未来』に比べて、まったく負けていません。B面1曲目の「This World of Water」は私のフェイバリット曲のひとつです。ヴォーカル力は、バグルスのトレヴァー・ホーン(Trevor Horn)よりニュー・ミュージックのトニー・マンスフィールド(Tony Mansfield)のほうが絶対優っています。

バグルスはアルバム2枚で終わり、ニュー・ミュージックは3枚。トレヴァー・ホーンはその後、プロデューサーとして大成しますが、トニー・マンスフィールドもやはりプロデューサーとして活躍する。両者はとてもよく似ているのです。

トニーがプロデュースしたのは、 アズテック・カメラ(Aztec Camera)、ネイキッド・アイズ(Naked Eyes)、キャプテン・センシブル(Captain Sensible)、マリ・ウィルソン(Mari Wilson)、The B-52's… あの大ヒットしたノルウェーの a-ha のデビューアルバムも。ただし全米1位シングルとなった「Take on Me」はアラン・ターニー(Alan Tarney)という人が再プロデュースしたものですが。

ニュー・ミュージックがイマイチ成功できなかったのはルックスのせい、という説もあります。そりゃたしかに女子がキャーキャー騒ぐタイプではなかったかもしれませんが、それを言ったらホーンだってどっこいどっこい。

たぶん人柄かもな。なんで人柄がわかるの、って? 実は私、トニマン(と呼んでいました)と仕事したことがあるんですよ。遊佐未森の『アルヒハレノヒ』というアルバム(1994年発売)の制作で。「小鳥」、「Slowly」という2曲をトニマンにアレンジしてもらいました。彼が住んでいる英国のサリー州で。

トニマンの愛すべき人柄、大プロデューサーなのに偉ぶらない

初めて会った日。車でホテルに迎えに来てくれるというので、ロビーで待っていたら、やがて一人の男性が現れましたが、てっきりトニマンが寄こしたローディかタクシー会社の運転手さんかと思いました。だって、ニュー・ミュージックの写真は少なかったし、あっても10年以上も前のものだったので、目の前の、完全スキンヘッドで小柄で小太りで、ちょっとオドオドしたおっちゃんが、まさかトニマン本人だとは思わなかったのです。

仕事内容はまったく問題ありませんでしたが、とてもシャイな人で、音作りのひとつひとつについて、こちらが気に入るかどうか、常に気になるようでした。ナイスとかグレイトって褒めると、ようやく目から不安の色が消えて、控え目に微笑むのでした。悪く言えばちょっと頼りない。でも、スタジオの後パブへ寄ったり、お宅で奥さんの手料理をご馳走になったり、仕事以外でもたっぷり、いっしょの時間を過ごしましたが、大プロデューサーなのにちっとも偉ぶったところがない、ほんとに優しい人でした。

こういう性格だから、自分を売り込んだり、人を出し抜いたりすることが苦手で、音楽的な才能や実力では、トレヴァー・ホーンに決して引けを取らなかったのに、世間的な存在感という点では、圧倒的な差がついていったんじゃないかな。ホーンの人柄は知りませんが。

ともかく、ニュー・ミュージックとトニマンのプロデュース仕事、強くお薦めです。未体験の人はもったいない。ぜひ聴いてみてください。

カタリベ: 福岡智彦

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