今 敏監督の想い出:The Memory of Kon Satoshi~世界中の監督に尊敬される監督を偲ぶ

『東京ゴッドファーザーズ』©2003 今 敏・マッドハウス/東京ゴッドファーザーズ製作委員会

今 敏の影響を受けたクリエイターは世界中に数知れず!

「ミュージシャンズ・ミュージシャン」という言葉がある。ミュージシャンが憧れ、尊敬するミュージシャンのことだ。例えばそれはザ・ビートルズであり、日本で言えば井上陽水といった存在であるが、映画監督にもそれは当てはまる。即座に思いつくのは黒澤明や小津安二郎といった日本映画全盛期の巨匠だが、現在ではアニメの領域に「ディレクターズ・ディレクター」が多い。その筆頭はもちろん宮崎駿なのだが、寡作な割に世界中のクリエーターに大きな影響を与えているのが、今 敏である。

彼の場合、海外の映画監督への影響が顕著で、『ブラック・スワン』(2010年)のダーレン・アロノフスキー監督は『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー』(1998年)の実写化権を獲得していたことが、今 敏自身のブログで明らかになっている。

その他にも『インセプション』(2010年)『ダンケルク』(2017年)のクリストファー・ノーラン監督、『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016年)のヨン・サンホ監督、『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)のボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマンなどの気鋭監督や、一見無縁に見える『幸福路のチー』(2017年)のソン・シンイン監督、本サイト記事「日本アニメのアカデミー賞獲得が困難に? なぜ『天気の子』ではなく『失くした体』がノミネートされたのか」でも触れた新進のジェレミー・クラパンなどがいるが、その感化力を身を以て感じたのは中国のアニメ作品を見た時であった。

その作品は『紅き大魚の伝説(大魚海棠)』(Netflixで独占配信中/細田守版『時かけ(2006年)』の吉田潔が音楽を担当)。2016年に公開されたこの作品は、中国映画年間興行収入26位、アニメとしては歴代2位(現在は3位)となる5億6393万人民元(約85億円/2020年4月時点)を記録した。キャラクターデザインに今 敏の影響が見て取れたので、2017年に原作・脚本・監督の梁旋(リャン・シュエン)が東京アニメアワードで来日した折りに、影響を受けているのではと聞いたら「その通り」ということであった。

彼に限らず、中国で今 敏を好きだというアニメ業界人・ファンは実に多い。笑ってしまったのは、中国アニメ初のベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作となった『大世界 Have a Nice Day(原題)』を監督した劉健の処女作『刺痛我(Piercing I)』である。「これ、ひょっとして今 敏がつくったんじゃないの?」というほど通底するセンスを持っており、捻りに捻ったブラックな諧謔精神やカッティングセンスはまさに今 敏そのものと言ってもいいほど。機会があれば是非見て欲しいのだが、(公式に)上映もDVD販売もされなかったのにも関わらず、今 敏マニアと呼べるクリエイターが中国にも大勢いるのである。

唯一のTVシリーズ『妄想代理人』に結集した超豪華製作陣!

もちろん、日本のクリエイターから一目も二目も置かれているのは、唯一のテレビシリーズ『妄想代理人』(2004年)に結集したスタッフを見れば一目瞭然である。

そこに名を連ねているのは、

井上俊之:『AKIRA』(1988年)『魔女の宅急便』(1989年)『千年女優』(2001年)『東京ゴッドファザーズ(以下TGF)』(2003年)『パプリカ』(2006年)『バケモノの子』(2015年)
沖浦啓之:『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)『イノセンス』(2004年)『ももへの手紙』(2012年)『人狼』(2018年)
安藤雅司:『もののけ姫』(1997年)『千と千尋の神隠し』(2001年)『TGF』『パプリカ』『君の名は』(2016年)『鹿の王』(2020年)
本田雄:『千年女優』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(2007年~)『風立ちぬ』(2013年)
小西賢一:『千と千尋の神隠し』『かぐや姫の物語』(2013年)『海獣の子供』(2019年)

といった、日本の劇場アニメを支える至宝のアニメーター/作画監督たちである。

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彼らだけではない。浜崎博嗣(『STEINS;GATE シュタインズ・ゲート』[2011年])、うつのみや理(『交響詩篇エウレカセブン』[2005年])、平松禎史(『ユーリ!!! on ICE』[2016年])、西尾鉄也(『NARUTO -ナルト-』シリーズ[2002年~])、黄瀬和哉(『劇場版 Fate』シリーズ[2009年~])、三原三千夫(『スペース☆ダンディ』[2014年])、鈴木美千代(『サマーウォーズ』[2009年])、濱須英喜(『風立ちぬ』)、松本憲生(『映像研には手を出すな!』[2020年])、森田宏幸(『猫の恩返し』[2002年])、佐藤竜雄(『機動戦艦ナデシコ』[1996年])、橋本普治(『思い出のマーニー』[2014年])、牧原亮太郎(『屍者の帝国』[2015年])といった才能までが参加している。

『東京ゴッドファーザーズ』 価格:Blue-ray¥5,695+税/DVD¥4,700+税 発売・販売元:(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

アニメではアニメーターが役者の役割を担っているということを考えると、これほどの「オールスター出演」は空前絶後であり、彼らの創作意欲をかき立てて止まなかった『妄想代理人』を一度は見ておかねばならなであろう。特にアニメ制作会社の悲喜劇を描いた第10話「マロミまどろみ」は、『SHIROBAKO』(2014年)が好きな人間には必見である。

今さんのプロ意識と、アニメ制作会社マッドハウス

……と書き連ねてきたが、筆者はかつて今 敏の制作母体であった<マッドハウス>に在籍し、数年間一緒に仕事をしていた関係にある。以降「今さん」と呼ばせてもらうのは、9歳年下ながら師匠というのに相応しい存在であったからだ。『うる星やつら』(1981~1986年)や『銀河英雄伝説』(1988年)をプロデュースしたレコード会社に在籍し、日米合作アニメの体験もあったものの、アニメのスタジオで働くのは初めての自分に対し、実に「ため」になることを今さんは教えてくれた。その多くは酒席でのアニメ談義であったが(今さんはこよなく酒とタバコを愛した)、いまでも折に触れて想い返す言葉は多い。

『東京ゴッドファーザーズ』©2003 今 敏・マッドハウス/東京ゴッドファーザーズ製作委員会

『千年女優』『東京ゴッドファザーズ』『妄想代理人』における原作権設定や『パプリカ』の翻案権交渉(筒井康隆先生と。その後、細田版『時をかける少女』も』)、平沢進氏や鈴木慶一氏との音楽制作契約、『TGF』で使用された『サウンド・オブ・ミュージック』楽曲の著作権処理、さらに製作委員会の組成や参加など業務を通じて交流を持つことになった今さんのイメージは、ズバリ、プロフェッショナル。彼のwebエッセイ「KON’S TONE」(その後出版された)を読めば分かるが、舌鋒鋭く、歯に衣を着せない厳しい物言いは、仕事においてもその通りであった。

ただし、それは決して感情から発せられる言葉ではなく、飽くまでプロとしての矜持から来るものであると思われたのは、おそらく音楽界でトップの座にいたお兄さんの姿を見ていたからであろう。15歳で高校を中退し、プロを目指して上京、18歳であの伝説のバンド「PANTA&HAL」のメンバーとなったギタリスト、今剛がその人である(ルビーの指輪のあのギター!)。兄を通じて学生の頃からユーミンなどと話す機会があったと話していたが、一流のプロフェッショナルの言動に間近に接していたことが、今さんの厳しさをつくり上げたように思える。ご本人もその影響は否定できないと話していたが、甘えの構造が垣間見られる日本のアニメ業界において、そのプロ意識は突出したものがあった。

知謀に満ちた戦略家の武将といった印象もあった。現有戦力を正しく把握し、適材適所に才能を投入する判断力は目を見張るものがあったが、なぜかその印象は侍を思わせるものがあった。それは、長髪の今さんの風体が由井正雪(ドラマ『江戸を斬る 梓右近隠密帳』[1973~1974年]で成田三樹夫が演じた)みたいだったのと、『パプリカ』に代表されるキレキレのカッティングが日本刀の切り口を思わせたからであろうか。前世は文武両道の侍大将か、あるいは徳利を枕にキセルをふかしている、座頭市に出てきそうな剣豪であったのか……。

惜しくも逃したアカデミー賞長編アニメーション部門

いまだに鮮明に覚えているシーンがある。2004年の1月27日のこと。この日、WOWOWのHプロデューサーをマッドハウスに迎えたのは、『TGF』のアカデミー賞長編アニメーション部門のノミネート発表を一緒に待つためである。海外の配給担当はドリームワークス。本来ならば彼ら自身の作品を推すはずなのであろうが、前年公開の『シンドバッド 7つの海の伝説』(2003年)が歴史的な大コケとなり、『TGF』に出番が回ってきた。翌年『シュレック2』で長編アニメーション賞を獲得することになるドリームワークスは日の出の勢いがあり、前年の受賞作が『千と千尋の神隠し』だったこともあり、ノミネートされる可能性は高いと思っていた。

ところが結果はノミネート外。その報が告げられた22時45分の電話に対し、日記には一言「無念」と書かれてある。『TGF』はもちろんのこと、ちょうどその時にオンエアされていた『妄想代理人』にも勢いがつくと思っていたのであるが……。『妄想~』の委員会を組成させた身としては残念至極であったが、『TGF』にとって実にタイミングが悪かったのが、今さん同様きわ立った作家性を持つシルヴァン・ショメの『ベルヴィル・ランデブー』とぶっかってしまったことであろう(長編アニメ賞受賞は『ファインディング・ニモ』)。よりによってショメと同じ年にノミネートの座を争うこととなったとは不運としか言いようがない。

2004年にインデックスへ売却され経営陣が変わったマッドハウスに留まる理由がなくなってしまったため、1年ほど仕事を引き継いだ後、会社を辞した。しばらくして公開された『パプリカ』の完成度に驚き、その後疎遠になったものの次回作を心待ちにしていたところに届いたのが2010年の訃報であった。遅かった監督デビューまでの時間を取り戻すように、精力的な制作ローテーションを築き、まさにこれからという時だったので余計ショックであった。

『東京ゴッドファーザーズ』©2003 今 敏・マッドハウス/東京ゴッドファーザーズ製作委員会

次回作となる予定であった『夢見る機械』は、直接ご本人からその意図や構想を聞くことが出来た。いま思うと、新海誠作品における『君の名は。』のような今 敏のベスト盤をつくりたかったのだろうが、志半ばにして帰らぬ人となってしまった。『パプリカ』以降の3年間で絵コンテが完成できなかったのは、2000年代前半の仕事のペースを考えると不思議であったのだが、やはり病魔が何らかの形で影響を及ぼしていたのではないかと思う。存命であれば56歳、3作は作れていたはずなのだが……。

『パプリカ』©MADHOUSE/Sony Pictures Entertainment(Japan)Inc.

今さんの影響を受けたクリエーターが年を追うごとに増えているように思える。カナダファンタジア国際映画祭では2012年より最優秀アニメーション賞にあたる<今敏賞>が誕生した。作品数は少ないが、永遠に語り継がれる存在になったということであろう。なお、本サイトにある中垣ひとみ氏の「サイコホラーアニメ『PERFECT BLUE』を世界のアニメファンが観られたのは、“海外セールス素人”のおかげ!?」(今さんからこの人の話をよく聞いた)と、藤津亮太氏「押井守と今 敏……世界が称賛するアニメ界の巨匠はいかにして伝説となったのか? 代表作で振り返る2人のキャリア」も一読の価値があるので是非参照して欲しい。

文:増田弘道

『パプリカ』『東京ゴッドファーザーズ』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2020年5月放送

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