クルサード、フェラーリF1からのオファーを蹴った過去を明かす「シューマッハーのナンバー2にはなりたくなかった」

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 元F1ドライバーのデイビッド・クルサードは、1996年にフェラーリからオファーを受けたものの、契約内容に納得できず、断ったという。彼はそれを今も正しい判断だったと考えている。

 13回のグランプリ優勝経験を持つクルサードは1994年第5戦スペインGPでウイリアムズからF1デビューを果たした。イモラで起きたアイルトン・セナの悲劇的な死から1カ月後、セナの後任として選ばれたのだ。

 1995年末までウイリアムズに所属したクルサードは、この年のポルトガルGPでF1初優勝を飾った。翌年、クルサードはマクラーレンに移籍した。しかしフェラーリからもオファーを受けたという。

「キャリアの初期に知ったことだが、当時の私のマネジメント会社は、ウイリアムズでの2年契約オファーよりも高額の契約金パッケージを、マクラーレンとの交渉で引き出した」とクルサードは『RTE』に語った。

「1995年の最終戦アデレイドでウイリアムズを離れ、その3カ月後にはメルボルンでマクラーレンに乗り、13番グリッドについた」

「私は前年よりも競争力の低いマシンに乗りながら、突如として、前年よりも多くの報酬を受け取ることになったのだ。しばらく結果を出せない時期があったが、その後は常に競争力を追求していった」

 クルサードがマクラーレンを選んだひとつの要因は報酬だったということになる。一方で、フェラーリのオファーを蹴った理由は、ミハエル・シューマッハーのチームメイトとしての契約条件にあったという。シューマッハーはベネトンで2回のタイトルを獲った後、1996年にフェラーリに移籍、5回王座に就くことになる。

2004年F1スペインGPでのクルサードとシューマッハー

「フェラーリから提示された契約書には、実質的に私をミハエルのナンバーツードライバーにすると書いてあった」とクルサードは振り返った。

「ミハエルが私よりも強力なドライバーであることに疑いの余地はなかった。全体的なパッケージとして、彼のほうが私よりも優れていることは自分でも分かっている」

「だがキャリアのその時点で、ナンバーツードライバーになる契約にサインをすることは受け入れられなかった。それが私がマクラーレンと契約した理由だ。自分のキャリアのなかでも正しい判断だったと思っているよ」

 1996年から2004年にマクラーレンに所属したクルサードは、その間に12勝を挙げたが、タイトルを獲得することはかなわなかった。