〈何もできなかった〉〈自分の無力さに落ち込み、暗い気持ちで帰った〉
通い詰めた時期の活動記録には、ボランティアスタッフの苦悩が記された。
菅間在宅診療所(栃木県那須塩原市)の医師黒崎史果(くろさきふみか)さん(41)の仲介で「傾聴と在宅支援のボランティア・のぼらん」が原田雪江(はらだゆきえ)さん(77)=仮名=に関わったのは、原田さんが腹膜炎で再入院する以前、2018年7月のことだった。
認知機能の低下を心配し「時間を取って原田さんと話してくれる人がいたら」と、黒崎さんが依頼した。
相手の話に耳を傾け、寄り添う。それが傾聴ボランティアの主な活動だ。ただ、原田さんはよく落ち着きをなくし、面会を切り上げようとする。スタッフにとって悪戦苦闘の日々が続いた。
「お母さんの言うことを聞かなかったから、こうなったんだー」。ときには居室の外にまで響く大声で繰り返し母を呼び、泣いた。
東京で暮らしていた頃の話には笑顔を見せる一方、ちょっとした出来事にも傷つきやすく、繰り返し自分を責め立てた。
それでも「のぼらん」の会長竹原典子(たけはらのりこ)さん(75)には確信があった。
「優しい言葉を掛けてくれる、味方だと思える人たちがそばにいることが今の原田さんには必要なこと」
19年3月、腹膜炎で再入院した原田さん。認知機能もさらに低下し、呼び掛けにほとんど反応しなくなっていた。
「できれば毎日、都合のいい時間に入ってほしい」。竹原さんの提案に、スタッフは6人でチームを作り、交代で病室に足を運んだ。わずかな表情の違いに気を配り、じっと発語を待った。1カ月間、言葉を紡ぎ出すきっかけを探り続けた。
◇ ◇
原田さんを引き取った那須塩原市のサービス付き高齢者住宅「家族の家ひまわり黒磯」の我妻健(わがつまけん)さん(37)も黒崎さんの熱意に押された一人。静脈に管を入れて栄養を補給する原田さんのため、勉強会を開いて機器の扱い方を練習した。医療的ケアを受けた人を受け入れる高齢者施設は少ない。だが、原田さんを再び迎え入れる覚悟があった。
同年5月になると、原田さんは片言の言葉を話し始めた。ゼリーも数口食べられるようになった。
高齢者住宅に戻ってから食事介助を続けたのは、同市の訪問看護ステーション「つぼみ」の所長岡友美(おかともみ)さん(42)らだ。連日の介助に応えるように原田さんはみるみる回復し、やがて食事も完食できるようになった。
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「元気にならなきゃ、外に出られないじゃない」
以前見せたようなおちゃめな表情が増えてきた。訪問は100回を超え、今は傾聴ボランティアのスタッフと歌を歌ったり、テレビでスポーツ観戦を楽しんだりするという。涙を流すことは減った。
黒崎さんはボランティアの活動をこう振り返った。「時間をかけて、しっかりと関わってくれる。そうした活動は病院職員にはできない」
医療、ボランティア、福祉。黒崎さんをつなぎ役に多くの人や団体が原田さんを囲むように手を携えた。その輪の中にあったのは、介護保険でも医療保険でも埋めきれない“処方”だった。
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