322連続無失策とハマスタ名物“目玉チャーハン”… 山下大輔が語る大洋の記憶

BC神奈川・山下大輔GM【写真提供:神奈川フューチャードリームス】

開場43年目の横浜スタジアムに残す意外な“爪痕”とは、インタビュー後編

現役時代に大洋(現DeNA)一筋14年、遊撃守備の名手として鳴らした山下大輔さんが、懐かしき「ホエールズ」の魅力を語る後編を紹介する。横浜DeNAベイスターズの前身にあたる大洋ホエールズ(1950~52、55~92=78年以降は横浜大洋ホエールズと呼称)は、約40年間の歴史で優勝は60年のたった1度。しかし、弱かったけれど独特の存在感を放っていた“鯨軍団”を懐かしむファンは、今も多い。

山下さんは1976年から8年連続でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を獲得している。76年7月11日から77年4月5日まで遊撃手連続守備機会無失策「205」のセ・リーグ記録(当時)、さらに77年8月28日から78年5月6日まで同「322」の日本記録(当時)を樹立した。

「セ・リーグ記録の頃は、話題になることも少なくて、最初は『日本記録』と報じられ、後からパ・リーグに南海の小池(兼司)さんの『218』という記録があることが判明しました」

日本記録へ向けて仕切り直し。「日本記録が近づくと、今度はスポーツ紙上で毎日『新記録まであと○つ』とカウントダウンされるようになりました。意識せずにはいられませんでしたね。新記録は甲子園でのショートフライだったと記憶していますが、われながら飛球を追う動きがぎこちなくて、『数字を意識して野球をやってはいけない。やはり数字はあとからついてくるものだ』と痛感しました」

記録が途切れたのは、横浜スタジアムでのヤクルト戦。遊ゴロをさばいたが、一塁送球がホームベース方向にそれセーフとなった。「あそこまで記録を継続できたのは、一塁手の松原誠さんがどんな送球でも捕ってくれたおかげです。実は、記録が途切れた時に一塁を守っていたのは、外国人選手のダニー・ウォルトン。ベンチにいた松原さんは『俺が守っていれば、記録は続いていたのに』と悔しがってくれました」と感謝を口にする。

78年から本拠地が、狭くて汚い川崎球場から、当時最新式の横浜スタジアムに移転した。両翼94.2メートルは、いまでこそ12球団の本拠地球場で最も狭いが、開場当時は最も広く、「果たして本塁打が出るのか」といわれたほど。移転に合わせて、ユニホームもオレンジと緑のツートーンから、シンプルでさわやかなマリンブルーと白に変わった。「スタジアムのスタンドは可動式、マウンドは昇降式で他のスポーツにも使用できると聞き、すごい変わりようだと驚きました」と言う。

グラウンドが土から人工芝に変わり、イレギュラーは減ったが、「打球が速くなり、対応が難しかったですね。それに、現在と違い、当時の人工芝はコンクリートの上に薄いカーペットを敷いたようなものでしたから、体への負担が大きかった。いま思えば、横浜移転後にひざ、足首の故障が増えたことは、無関係でなかったかもしれませんね」と振り返る。

関係者食堂で名物の目玉チャーハン「僕が最初に頼んだ」

一方で山下さんは、開場43年目を迎えた横浜スタジアムに、意外な“爪痕”を残している。「チャーハンに目玉焼きを載せるのは、僕が最初に頼んで特別に作ってもらったものです。当時はナポリタンとか、ミートソースとか、いろいろなものに目玉焼きを乗せてもらっていました」。いまや選手、報道陣も利用する関係者用食堂で、目玉焼き2個を載せる『目玉チャーハン』は看板メニューである。

14年間の現役生活では1度もリーグ優勝に手が届かず、チームが「横浜ベイスターズ」に改称後、98年にヘッドコーチとしてリーグ優勝、日本一に貢献した山下さん。それでも、決して強くはなかったけれど、個性派ぞろいで愛らしいホエールズ時代を懐かしむファンは少なくない。

新たな歩みも始まった。山下さんは、今季からルートインBCリーグに参入する神奈川フューチャードリームスのGMに就任。「お世話になってきた神奈川に恩返ししたいですし、選手がNPB(日本野球機構)入りの夢をかなえる手助けをしたい。地元の野球ファンの方々には、ベイスターズの弟分としてかわいがっていただけたら」と意気込む。

チームは主に藤沢翔陵高のグラウンドを、生徒が使用しない時間帯に借り練習を積んできたが、新型コロナウイルスの感染拡大で、4月11日に予定されていたBCリーグの今季開幕は、当面5月中旬以降に延期。4月18日に横浜スタジアムで行われるはずだった、神奈川フューチャードリームスのホーム開幕戦も水泡に帰した。

「チーム名のように、未来に明るい夢を持ってこの難局を乗り越えて行きましょう」とメッセージを発表した山下さんの胸には、ハングリーな“ホエールズ魂”が脈打っている。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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