期待の表れ? エースの証? パ・リーグ球団のエースナンバー事情

ソフトバンク・武田翔太【写真:荒川祐史】

2018年から18番を背負う武田はその後苦戦が続く

プロ野球において背番号「18」は特別な番号の1つと言われる。現在メジャーリーグで活躍する田中将大投手が楽天在籍時に背負い、今季から西武に復帰した松坂大輔投手がプロ入りして最初に身に着けたこの番号は「エースナンバー」とも呼ばれている。

一概に18番を付けていると言っても、プロ入り当初から18番を付けている投手と、活躍が認められて「昇格」を果たす場合と2つのパターンが考えられる。今回注目するのは後者。今季から新たに二木康太投手(ロッテ)、山本由伸投手(オリックス)が「18」を背負うことになった。

かつてエースと認められる、あるいは期待されて「18」を背負うことになった投手は、背番号を変更する前後で成績にどのような変化があったのか。2000年代に「18」へと転身を遂げた投手の背番号変更前後の成績を振り返る。

○ソフトバンク:武田翔太投手(2018年~)
2017年:13試合6勝4敗 71回 60奪三振 防御率3.68
2018年:27試合4勝9敗 124.2回 87奪三振 防御率4.48

高卒1年目となった2012年シーズンから1軍で8勝1敗、防御率1.07という鮮烈なデビューを飾った武田。4年目の2015年にチーム最多となる13勝を挙げて日本一に貢献すると、翌年も14勝、防御率2.95の活躍で投手陣をけん引した。

2017年は開幕から肩の故障によって離脱を余儀なくされ、3年ぶりに規定投球回に届かず。一方でCS、そして日本シリーズでは先発として活躍し、日本一奪還を果たしたチームの一翼を担った。そしてシーズンオフ、松坂の退団で空き番号となった「18」に背番号を変更。ルーキーイヤーから身に着けていた30番に別れを告げる。

エースナンバーを背負って迎えた2018年、開幕2戦目のオリックス戦で初登板した武田だったが、なかなか調子が上がらず。5月には2試合連続完封を記録したものの、開幕から2か月で2勝4敗、防御率4.08という成績に終わる。6月29日のロッテ戦でプロ初の中継ぎ登板を果たすと、9月からの8試合中6試合で中継ぎとして登板し、12回を投げて防御率0.00と抜群の安定感を誇った。

背番号変更から2年、先発、中継ぎとさまざまな役割をこなしてきた武田はオフに右肘の手術を受け、復帰に向けてリハビリを進めている。千賀滉大投手や高橋礼投手らタレントの揃う投手陣のなかで、背番号「18」は再びエースの座を狙う。

西武、ロッテと2球団で18を着けた涌井は今季から楽天へ

○楽天:涌井秀章投手(2009~2013年:西武、2019年:ロッテ)
2008年:25試合10勝11敗 173回 122奪三振 防3.90
2009年:27試合16勝6敗 211.2回 199奪三振 防2.30

2018年:22試合7勝9敗 150.2回 99奪三振 防御率3.70
2019年:18試合3勝7敗 104回 87奪三振 防御率4.50

2004年、横浜高からドラフト1位で西武に入団した涌井は、前年まで潮崎哲也投手が背負っていた16番を着けてキャリアをスタートさせた。1年目から13試合に先発すると、2年目には26試合に登板して12勝8敗、防御率3.24と先発陣の一角として活躍する。3年目以降はメジャーに移籍した松坂に変わって投手陣の柱として奮闘した。

2007年は17勝を挙げて最多勝を獲得すると、翌年は北京五輪への出場をはさみながらも2年連続で2桁勝利(10勝)を達成し、チームの日本一に貢献した。そしてこのオフ、前年にも提示があった「18」への変更を受諾、松坂の移籍で空き番号となっていたエースナンバーを継承した。

名実ともに投手陣の中心となって迎えた2009年、開幕前には第2回WBCに出場して世界一を経験すると、開幕戦では2年連続となる大役を務める。6回2失点の好投で勝利を収めると、その後も7月に4勝0敗、防御率1.64と圧巻の成績で月間MVPに輝くなど好調を維持。シーズンを通して16勝、キャリアハイとなる199奪三振を記録し、沢村賞の栄誉に輝いた。

西武でエースナンバーの継承を経験した涌井は、2014年から所属したロッテでも同様の経験をする。入団時は藤岡貴裕投手(現・巨人)が18番を着用していたため、プロ入り時と同じ16番で入団。しかし、藤岡が日本ハムに移籍したことで、昨季は再び「18」に袖を通した。今季は楽天へ。心機一転、自身3回目となる16番を背負ったベテランは、新天地でどのような投球を見せてくれるか。

オリックスで2003年から着けた山口はスカウトとして山本の獲得に尽力

○オリックス:山口和男投手(2003年~)
2002年:41試合2勝3敗6セーブ 54回 49奪三振 防御率2.50
2003年:登板なし

広島・山陽高から三菱自動車岡崎を経てオリックスに逆指名で入団した山口は1年目こそ2試合の先発登板を経験したものの、2年目からは中継ぎ投手としてブルペンを支える役割となる。2001年に32試合に登板すると、翌年は自己最多となる41試合に登板。当時プロ野球最速となる158キロを記録した豪速球を武器に、6つのセーブを挙げた。

しかし、9月以降は肩の故障による離脱もあって戦列を離れることとなり、背番号を「18」として迎えた2003年も手術の影響で登板することができなかった。復帰した2004年に40試合に登板し、自己最多の17セーブを挙げるなど、2009年の引退までオリックスに在籍。引退後はスカウトとしてチームに残り、九州地区を担当していた2016年に18番を受け継ぐことになる山本由伸投手に出会い、獲得を進言することになる。

○オリックス:岸田護投手(2010年~)
2009年:19試合10勝4敗 139.1回 124奪三振 防御率3.10
2010年:57試合6勝5敗12セーブ 104.2回 96奪三振 防御率3.27

NTT東日本から大学・社会人ドラフト3巡目で入団した岸田。4年目の2009年、プロ初完封を含む3つの完投を記録するなど、自己最多の10勝を記録。この年も故障での離脱があったため規定投球回にこそ届かなかったものの、金子弌大投手(現日本ハム)に次ぐ勝ち星を挙げて先発陣の一角に定着した。

先述の山口が2009年で引退して空き番号となったことを受け、こちらも山口と同様に14番から18番へ背番号を変更。迎えた2010年シーズンも、序盤はローテーションの一角として登板した。しかし、チーム事情などもありシーズン途中からクローザーの役割を担うと、最終的には自己最多となる57試合に登板して12セーブを記録。同じくこの年から救援投手に定着した平野佳寿投手(現・マリナーズ)とともに、2010年代前半のブルペン陣を支える活躍を見せた。

2019年に岸田が14年間にわたるプロ野球生活に別れを告げたことで空いた背番号「18」は、これからのチームを支える山本由伸投手へと受け継がれた。2000年代、パ・リーグで「18」を受け継いできた投手は以上の4人。さらに成績を向上させてチームの大きな柱となった投手がいれば、配置転換で新たな活路を見いだした投手、故障からの復活を果たした投手など、それぞれが異なる道筋をたどっていた。

今季から新たに「18」を身に着ける二木康太投手、山本由伸投手の2人はどのような成績を残すのか。そして、今季飛躍を遂げて新たに身に着ける投手が現れるか。大投手を象徴する番号の1つ、背番号「18」に注目するのもおもしろい。(「パ・リーグ インサイト」成田康史)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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