高2の夏で転校 青森山田“最後の一人”安藤みなみが選んだ道

写真:安藤みなみ(十六銀行)/撮影:ハヤシマコ

2017年の全日本卓球選手権、リオ五輪メダル獲得直後の伊藤美誠を下し、一躍注目を浴びたのは、当時専修大学3年の安藤みなみだ。大学4年時に参戦したTリーグでは、石川佳純をも破る活躍を見せた。

伊藤、石川らと遜色ない実力を誇る安藤は、若年齢化の著しい日本女子では珍しく大学時代に開花した選手だ。専修大で全日本学生卓球選手権(全日学)2年連続2冠と学生界では敵なしの結果を残した。

活躍の場を世界に広げ、2019年5月に自己最高の世界ランキング29位に到達し、ナショナルチーム候補選手にも名を連ねている。

大学卒業後は実業団・十六銀行に所属する現在23歳の安藤を3話に渡って特集する。今回は「青森山田“最後の一人”となった高校時代」と「花開いた大学時代」に迫った。

同期が1人もいない 青森山田高へ覚悟の進学

母親と兄の影響で幼稚園から卓球を始めた安藤は、地元愛知の卓伸クラブで腕を磨き、福原愛を生んだ名門・青森山田中に進学した。

同期にはTリーグ2ndシーズン最多勝の森さくら(現・日本生命)がおり、他校には前田美優(現・日本生命)、森薗美月(現・琉球アスティーダ)ら実力者が揃う同世代の中で力をつけていった。

写真:安藤みなみ(十六銀行)/撮影:ハヤシマコ

中高一貫のため、青森山田高に進むのが通常のルートだったが、大きな問題があった。

それは、部の方針変更により、安藤の代以降女子部員が入らなくなるということだ。さらに安藤以外の同期は中学卒業を機に別の学校に移る選択をしたため、上の代が卒業すれば団体戦に出ることはできなくなる。

ただ、高校では元ジュニアナショナルチーム監督の名将・大岡巌氏が指揮を執っており、その指導の下、1学年上の山本怜らが成長を遂げていた。

中学で納得する結果を残せていなかった安藤は「高校で人数がいなくなるのはわかっていましたが、もう1年残って大岡先生に教えてもらいたい気持ちがあった」とただ1人、青森山田高への進学を決意した。

高2の夏、4年過ごした青森から熊本への転校

「いろんな思い出があります、青森山田には。楽しかったというのをすごく覚えてますし、最後4人だったことも」。当時をしみじみと振り返る。

写真:安藤みなみ(十六銀行)/撮影:ハヤシマコ

“最後”というのは安藤が高2のときだ。高3の代が3人しかいなかったため、安藤を含め4人と団体戦に出られる最少人数で夏のインターハイに臨んだ。安藤が「青森山田」の名を背負って戦う最後の大会だったが、結果は王者・四天王寺の壁を崩せず、準優勝に終わった。

インターハイ後、3人の先輩の引退と同時に青森山田高女子卓球部は事実上の休部状態となった。高2の夏、卓球を続けるために転校を余儀なくされた安藤は、監督の大岡の繋がりから熊本・慶誠高へ移ることを決めた。

写真:安藤みなみ(十六銀行)/撮影:ハヤシマコ

「卓球に打ち込める環境だった青森山田とは全然違う環境になった」と熊本では苦労したことを打ち明ける。

「寮は朝5時台に起きて点呼があり、授業を6時間受けてから練習でした。赤点をとったら親を呼ぶと言われて、愛知からはさすがに呼べないからと勉強も必死でした。青森山田のときは友達が多くて、毎日学校行くのが楽しみでしたが、熊本には友達も少なかったので、学校に行くのはあんまり好きじゃなかったです…」。

写真:安藤みなみ(十六銀行)/撮影:ハヤシマコ

そんなとき安藤は、卓球に集中することで学校生活の寂しさを紛らわした。3年で出場した慶誠高での最初で最後のインターハイでは、自己最高のシングルスベスト8を記録した。

安藤みなみ、専修大学で開花

高校卒業後は専修大の門を叩いた。「青森山田の先輩の鈴木(李茄)さんや庄司(有貴)さんらがいたのと、慶誠の先輩で仲良くしてもらっていた堀(優美)さんもいた。練習に行かせてもらって一番良いなと感じた」と進路選択の理由を明かす。

写真:専修大学時代の安藤みなみ/撮影:ラリーズ編集部

見知った先輩たちのいる中、1年生でレギュラーの座を掴んだ安藤は、めきめきと頭角を現していく。インカレで全試合シングルス、ダブルス2点取りし、専修大17年ぶりの大学王者に貢献すると、全日学ではダブルス優勝と1年生ながら大車輪の働きを見せた。

大学でちょっとずつ卓球が好きになっていきました。結果が出始めると、もう少しやればもっと結果残せるのかなと思い、自主練も積極的にするようになりましたし、大学に行って本当に変わったなと思います」と充実した表情を浮かべる。

写真:安藤みなみ(十六銀行)/撮影:ハヤシマコ

大学2年では全日学でシングルス3位に入り、全日本でも伊藤美誠に勝利して初のランク入りを果たした。大学3年では全日学でシングルス、ダブルスの2種目で大学女王に輝くと、全日本ベスト16、東京選手権優勝、ワールドツアーにも出場と学生カテゴリ以外にも活躍の場を広げ、結果を出していった。

連覇の重圧を越え「初めて試合で勝って泣いた」

「めちゃくちゃ充実していた」と笑顔で振り返る大学生活で、安藤は1度だけ試合に勝って涙を流したことがある。連覇のかかった4年生の全日学シングルス決勝戦だ。

写真:専修大学時代の安藤みなみ/撮影:ラリーズ編集部

前年、2冠を達成しチャンピオンとして臨んだ安藤は、同大会で先にダブルス2連覇を決め、シングルスも決勝戦に駒を進めた。

試合は、当時中央大の森田彩音(現・デンソー)を相手にゲームカウント3-3の8-8までもつれ込み、先に9点目を奪われた際は思わず膝に手をついてうなだれた。

しかし、「女子も男子もみんなが上で応援してくれた」と仲間の声援を受け、自らを奮い立たせ逆転に成功する。迎えたマッチポイントでは17球にも及ぶ長いラリーを制し、2年連続2冠の偉業を成し遂げた。連覇の重圧を乗り越えて勝利した安藤の目には涙が浮かんでいた。

写真:安藤みなみ(十六銀行)/撮影:ハヤシマコ

当時の青森山田女子卓球部“最後の一人”は、高校2年の夏、転校を余儀なくされた。4年過ごした青森から熊本へ移り、環境の変化に苦労した。ただ、彼女のそばにはいつも卓球があった。大学で卓球をもっと好きになり、試合で勝って初めて泣いた。彼女は実業団トップ選手として今もなおラケットを振り続ける。安藤みなみ、23歳。彼女の卓球人生はこれからもずっと続いていく。

取材・文:山下大志(ラリーズ編集部)

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