秀吉最後の城、幻の「京都新城」初めて出土 逸話に沿う石垣破却、桐や菊文様の金箔瓦

©株式会社京都新聞社

豊臣秀吉が最晩年に築いた京都新城の石垣と堀(12日午後2時36分、京都市上京区・京都仙洞御所)

 豊臣秀吉が生涯最後に築いた「京都新城」の本丸を囲う石垣や堀が、京都市上京区の京都仙洞御所内の発掘調査で見つかったと、市埋蔵文化財研究所が12日発表した。史料も数少ない「幻の城」で遺構が確認されたのは初めて。石垣は上部が破却されており、関ケ原の戦いの前に一部が壊されたとの逸話に沿う。秀吉晩年の政権構想や死去後の政変を考える手掛かりになりそうだ。

 京都新城は天皇が住んだ内裏の南東側に築かれ、1597年に完成した。32万平方メートルの敷地を占め、翌年に秀吉が死去すると、正室の高台院(北政所)が屋敷とした。取り壊された後、江戸時代に仙洞御所・大宮御所が造営された。

 石垣は自然石を積み上げた野面(のづら)積みで、南北8メートル分が見つかった。下半分の3~4段が残る一方、上半分が意図的に壊され、当時の高さは2.4メートルほどあったとみている。

 石垣と同規模の堀も見つかり、多量の土や小石で一気に埋められていた。埋土には石垣を落とした転落石が含まれ、石垣も埋め立てと同じころに壊されたとみられる。だれが破壊したかは不明だが、関ケ原合戦が迫り、内裏直近の城郭を使われるのを防ごうとしたとみられる。秀吉好みの桐や菊の文様の金箔瓦も出土し、秀吉による京都新城の遺構と判断された。 

滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)の話

書き残された文献が少ない幻の城だけに、発掘調査で立地を確定的にできた意義は大きい。まだ片りんが見えたにすぎないが、豊臣秀吉が平安宮跡でかつて築いた関白の城「聚楽第(じゅらくてい)」に匹敵する規模や構造だった可能性がある。息子・秀頼への後継に向け、新城を藤原道長の土御門第跡にあえて築き、関白に就く豊臣家の家柄や権勢を象徴的に示そうとしたのではないか。