青山博一がMotoGPの表彰台に最も近づいた日/世界で活躍した日本人ライダー

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 そのとき青山博一(San Carlo Honda Gresini)は、ニッキー・ヘイデン(Ducati Team)のドゥカティを必死に追っていた。すでにレースはファイナルラップを迎えていたが、青山の方がペースは速く、そのギャップは、みるみるうちに縮まっていた。ポジションは4番手、ニッキーをかわせば表彰台というシチュエーションだった。

「レース終盤どんどん路面が乾いて行くと“みんなどうしたんだろう?”と思うくらいペースを上げることができて“ニッキーも抜ける!”という状況でした。1周で2、3秒はラップタイムが僕の方が速かったですからね。“最終コーナーで仕掛けられれば”と思っていたのですが……。あと1周あれば、どこでも抜けていましたし、表彰台に上がれていたと思うと悔しいですが、レース後にタイヤを見たらレインタイヤがツルツルでした」

 最終コーナーで追いつくことはできたが、残念ながら勝負するところまでは行けず4位フィニッシュ。その差は僅か0秒466というものだった……。

2011年MotoGP:青山博一(San Carlo Honda Gresini)

 2011年、MotoGPクラスで2年目のシーズンを迎えていた青山。開幕戦カタールの直前に東日本大震災が発生し、その惨状に多くの人が心を痛めた。MotoGPでも多くのマシンに日本の国旗と“がんばれ日本”とメッセージが入っていた。青山は、いい結果を出して、それが被災した人の励みに少しでもなればと全力を尽くした。

 迎えた第2戦スペインGP。決勝は、雨模様となり路面はウエット。雨は止む方向だったが、多くのライダーはウエットコンディションに合わせたセットで臨んでいた。

2011年ロードレース世界選手権MotoGPクラス:青山博一(San Carlo Honda Gresini)

「レインタイヤは、ソフトとハードがありました。どちらにせよタイヤは厳しくなることは、みんな分かっていました。その中で、僕は、さらにドライ寄りのセットを選んだのですがスタートして、4コーナーから5コーナーまでの短いストレートでアクセルを開けたらタイヤが空転してしまい“(このレースは)終わった”と思いました。レース後に同じくドライ寄りのセットで行ったダニ(ペドロサ)と話したのですが、同じように“終わった”と思ったそうですね」

 スタート直後に後ろから2番手となってしまった青山だったが、必死にマシンをコントロールし、最後まであきらめることは、なかった。上位陣では、バレンティーノ・ロッシ(Ducati Team)がケーシー・ストーナー(Repsol Honda Team)を巻き込み、両者とも転倒したのを始め、トップを独走していたマルコ・シモンチェリ(San Carlo Honda Gresini)も転倒するなどサバイバルレースの様相を呈していった。

「レース後半になると乾いた路面に合ってきたのでペースを上げることができていました。それでも、アクセルを開ければ、ストレートで6速に入れてもホイールスピンしてしまうほどだったので、タイヤの食いつくところを探りながら走っていました。おもしろかったですね」

2011年MotoGPクラスで活躍した青山博一(San Carlo Honda Gresini)

 結果的に、このときの4位が青山にとってMotoGPクラスでの最高位となった。この年、ランキング10位となり、翌年は、スーパーバイク世界選手権(SBK)を戦う。2013年に再びMotoGPに復帰し、2014年までフルタイムで活躍。2015年から開発ライダーを担当し、2018年からは、Honda Team Asiaのチーム監督として、その手腕を揮っている。

 2009年には、250ccクラス最後の世界チャンピオンに輝き、ロードレース世界選手権での通算175戦のキャリアは、日本人ライダー最多。そのうち71戦はMotoGPクラスでのものだ。

2011年MotoGP:青山博一(San Carlo Honda Gresini)