大林宣彦 × 富田靖子「さびしんぼう」尾道三部作の “地味な” 最高傑作!

1985年 4月13日 大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」が劇場公開された日

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大林宣彦の尾道三部作「転校生・時をかける少女・さびしんぼう」

2020年4月10日に肺がんのため82歳で逝去した映画監督、大林宣彦はリマインダー世代に多くの影響を与えた偉人であったと思う。

『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)の三本は、僕も物心ついた頃から家族と一緒にお茶の間のテレビで何度も観ていた。放映されるたびにウチの母親が、尾道三部作ならぬ “尾美としのり三部作” と呼んでいたこともよく覚えている。

僕は大学生になるくらいまでは実写の日本映画が苦手で、なんだかどれもがすごく大人向けなような気がしていた。それなのに、この三部作だけは気に入って観ていたのは、ストーリー上の身近なSFファンタジー的要素が楽しめたことと同時に、映像の魔術師と呼ばれた大林監督の大胆な映像処理を本能的に面白がっていたから… だと思う。今となっては手作業のあとが丸見えのレトロな合成映像も、カメラワークの独特のテンポ感も、他の映画では味わえない魅力だと思う。

まさに尾道マジック、傑作中の傑作「さびしんぼう」

『転校生』と『時をかける少女』の二作品は、今に至るまでリメイクされ続けていることからもわかるとおり間違いのない名作だ。それに比べて『さびしんぼう』は地味な存在である。でも僕が大人になってからDVDで買い求めた尾道三部作は『さびしんぼう』だけだ。今でも三部作の中でいちばん好きな、傑作中の傑作だと信じている。

ものすごく簡単にあらすじを言えば、古い写真から飛び出してきた母親の少女時代の化身 “さびしんぼう” と、今を生きる主人公の青春が交錯する話し。それは初恋の物語でもあり、家族の物語でもある。

他二作の同様、ファンタジーを経由した重層的な構成は、最後まで観るものを飽きさせない。序盤~中盤にはナンセンスとも思われてもしかたがない過剰なコミカルさが織り込まれているが、これが絶妙のコントラストとなって後半の怒涛の情緒を一層引き立てる。ストーリーが進むにつれ、ショパンの「別れの曲(Etude Op. 10, No.3)」を通奏低音にして、まるで観る者の記憶に重なっていくように尾道の抒情的風景がノスタルジーの極みを生んでいく。まさに「尾道マジック、ここにあり」といったあんばいだ。

一人二役の富田靖子、ラストシーンは日本映画史上屈指!

と、なんだかんだ言っても、この映画の決め手は16歳の富田靖子である。主役のヒロキ(尾美としのり)が憧れる可憐な女子高校生の橘百合子役と、ピエロの化粧をしたオーバーオール姿のヘンテコな女の子 “さびしんぼう” 役の一人二役をこなしているわけだが、百合子の清楚でちょっぴり幸の薄そうな美少女(しかもピアノが得意)というキャラ設定は、どんな殿方をもすっかり虜にしてしまうに違いない。作中のワンシーンのように、自転車のチェーンが外れて困っている美少女に偶然出くわさないものかと、かつて僕はよく夢想したものだった。

もし今の時代、たとえば画像検索して、ヘンテコなピエロの富田靖子を見つけて「うわぁ、この映画はものすごくつまらなそうだ」と思われる向きがあるのだとしたら、それはすごくもったいないことだ。ラストで雨に打たれたピエロの化粧が落ち、そして黒い涙を流すシーンは、日本映画史上屈指の演技・演出だ。

今の僕の年齢とほぼ同じ47歳にして『さびしんぼう』を撮った大林監督。ほかにも、『異人たちとの夏』(1988年)、『青春デンデケデケデケ』(1992年)などなど、好きな映画をたくさん残してくれました。大林映画と同時代に生きられたことを誇りに思います。ありがとうございました。

カタリベ: 吉井 草千里