『京都ぎらい』の井上章一さんによる、東京との二都物語

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日本一プライドが高いという評判の京都への批判(というか悪口)は、長い間、出版界でもタブーとされてきた。せいぜい、本当にそういうやりとりがされているかどうかは不問の上で、「ぶぶ漬け」うんぬんが、京都人の「いけず」の象徴として、語られ書かれてきたくらいである。

だから、京大出身の学者である井上章一さんが、『京都ぎらい』とその続編『京都ぎらい 官能篇』(いずれも朝日新書)を書いてベストセラーになったのは、一つの「事件」だった。

「京都人ではない」井上さん

本書『京都まみれ』(朝日新書)は、その第3弾かと思ったら、そう簡単ではないことが「まえがき」を読んでわかった。

まず、『東京ぎらい』的な東京批判本の執筆をいくつかの出版社から持ちかけられ、すべて断ったことを明かしている。関西在住だから、東京に敵愾心を抱いているにちがいない、あるいは、辛口はお得意だろうと思われたかもしれない、と書いている。

しかし、井上さんは東京のことをよく知らないし、それほど東京をきらっていないので、「東京をあしざまに論じるのは、気がすすまない」そうだ。

前著でもそうだったが、井上さんは京都市生まれだが、「京都人ではない」と自己規定しているのがポイントだ。「生まれたのは花園であり、そだったのは嵯峨である」として、いわゆる「洛外」だと。だから、「洛中」の人々の京都至上主義者とは価値観をわかちあえないし、わかちあいたくない、としている。

だが、京都至上主義者の物言いを一定以上に紹介すると、「書き手の真意は、逆説的な東京への対抗心にあるのかもしれない」と誤読される恐れがあるかもしれないが、決してそうではない、と少し長い「まえがき」を締めている。

結果的に東京と京都という二つの街をくらべる「二都物語」めいた読み物になっているのは、そのせいだという。

構成は以下の通り。

一 文化庁がやってくる
二 京都にかえれば
三 京都の名だけは
四 東へ西へ
五 老舗の宿命

文化庁の京都への移転

安倍政権がすすめる地方創生事業の一環として、文化庁の京都への移転をめぐり、京都側が「地方創生」ではなく、「地域創生」と言い換えを要求し、実際、そうなったことから論じている。「中央からの地方扱いが露呈する形はやめてほしかったということか」と揶揄している。

「千年の都は、文化庁をゆずってもらうために、さまざまな屈辱をなめさせられた。そのさいに余儀なくされた心の痛手が、名称変更への意欲をささえている可能性はある。せめて地方よばわりだけは、かんべんしてほしいというように」

西京と呼ばれた時期も

「京都」という名称についても、知らなかったことを教えてくれる。明治維新後5、6年をへた1870年代に京都は東京に対して、「西京(さいきょう)」と呼ばれるようになった。だが、1890年代のなかごろから、ふたたび「京都」を自称しはじめ、東京の中央政府も認めたという。

「けっきょく、京都はこういう名前に執着する街なんだなと、かみしめる」

西京という名前は、西京味噌という会社の名前や1949年に設立された京都府立西京大学(現・京都府立大学)に見ることができるという。「西京」で検索すると、京都市立西京高校・附属中学校、山口県立西京高校という学校もあるようだ。

この後、井上さんは、西東京市という名前や日本で最初に銀座が置かれたのは京都南郊の伏見だったこと、その一方で京都に銀座を名乗る商店街がなかったことなどを紹介しながら、京都が「京」の一文字にこだわる街であることを例証(冷笑)している。

ベストは同志社

「五 老舗の宿命」は、京都に長く住んだ人でないとなかなか書けない話が出てくる。京町家のならぶ街中では、子息が京大にうかると周囲からあわれまれることがあるという。卒業すると京都にいつかず、跡取りがいなくなる可能性があるからだ。だから「ベストは同志社」だというのだ。

京大出身の井上さんは、このことを前著で書くのは控えたが、本書では退路を断ち、「学歴をめぐる、いささかいやらしい話も、おめずおくせず書きとめたい」としている。

その上で、京都市中のしかるべき家は、1920年代後半まで、息子の学業を京都府立一中で終えさせていたことを指摘している。湯川秀樹や梅棹忠夫らを生んだ名門だったが、あえて上級学校へ進学しなかった人たちがいたそうだ。

「わが家には、しかるべき由緒がある。息子を大学にかよわせて、のしあがらせなければならないほど、おちぶれてはいない。わが家に生をうけたというだけで、息子にはじゅうぶん値打ちがある。家柄をとうとぶそんな意識や、教育観をたもっていた」

戦後は、世間体をつくろう指標として、同志社なら良きコースだと思えるぐらいには、町衆も軟化していたのである、と書いている。

中京区生まれだったけど

「あとがき」で、井上さんはある事実を明かしている。出生届を取り寄せたところ、生まれたのは右京区の花園ではなく、中京区だったというのだ。しかし、中京区の病院で生をうけただけであり、基本的にそだったのは洛外だから、いまだに京都人という自覚はないそうだ。

このあたりをくどくど書かざるをえないこと、また「東京ぎらい」ではないことを「まえがき」でふれざるを得なかったこと、そうした事情が、京都をめぐる言説の難しさを表しているように思えた。

井上さんは1955年生まれ。京都市西京(にしきょう)区にある国際日本文化研究センター所長。建築史や日本文化論など幅広い著作で知られる。

BOOKウォッチでは、井上さんの『京都ぎらい 官能篇』(朝日新書)、『大阪的』(幻冬舎新書)、『日本の醜さについて』(幻冬舎新書)のほか、校條剛さんの『にわか<京都人>宣言 東京者の京都暮らし』(イースト新書)を紹介している。

  • 書名:京都まみれ
  • 監修・編集・著者名: 井上章一 著
  • 出版社名: 朝日新聞出版
  • 出版年月日: 2020年4月30日
  • 定価: 本体810円+税
  • 判型・ページ数: 新書判・246ページ
  • ISBN: 9784022950635

(BOOKウォッチ編集部)