今は人を乗せる電車、リストラ前に運んだのは… 「鉄道なにコレ!?」第10回

By 大塚 圭一郎(おおつか・けいいちろう)

JR西日本の小野田線などを走る電車「クモハ123」=19年9月、山口県宇部市で筆者撮影

 この春に進学したり、就職して新社会人になったりと新しい門出を迎えた方も多いだろう。中には新型コロナウイルスの感染拡大で行方に一抹の不安を覚える方もいらっしゃるかもしれない。是非ご紹介したいのが、担当事業のリストラを乗り越えて人を運ぶ旅客車両に“昇格”し、誕生から40年余りにわたって活躍を続けている電車だ。(共同通信=大塚圭一郎)

 ▽まるで引っ越し会社の電話番号

 昨年9月、その電車に乗るために山口県宇部市のJR西日本居能駅のプラットホームで待ち受けていた。すると、かまぼこのような形をした1両の黄色い電車が滑り込み、まるで長いホームを持て余すかのように停車した。

 この電車の形式は「クモハ123」。「123」とはどこかの引っ越し会社が覚えやすいように付けた電話番号のようなナンバリングだが、旧日本国有鉄道(国鉄)時代に付けられた形式名はそれぞれ意味を持つ。

 「ク」が「運転台が付いた制御車」、「モ」が「モーター付きの電動車」、「ハ」が「座席の普通車」を意味する。電車の数字の1番目に付いている「1」は電気の直流用、2番目の「2」は通勤・近郊形を指し、3番目が形式名だ。つまり、クモハ123は「モーターと普通車の座席を備えた制御車で、直流区間を走れる通勤・近郊形電車の形式3」ということになる。1両で両方向に走れるように、運転台は車両の両端に付いている。

 しかし、この車両が新造された際は「クモニ143」という形式名だった。なぜ「ハ」ではなく「ニ」であり、2番目の数字は「2」ではなく「4」だったのか?それこそが、この電車の来歴を物語る。

 乗り込んだ車内には両側の壁に沿って長い座席のロングシートが置かれているが、これらは「クモニ143」として登場時にはなかった。なぜならば、人を運ぶ目的の車両ではなかったからだ。

ロングシートが並んだクモハ123の車内=19年9月、山口県山陽小野田市で筆者撮影

 ▽形式名の「クモニ」とは

 「ニ」は荷物を輸送する車両で、2番目の数字は「4」は旅客用ではない事業用電車に付けていた。つまり、クモニ143は「荷物運搬用のモーターを備えた制御車で、直流区間を走れる事業用電車の形式3」ということになる。

 クモニ143は鉄道車両メーカーの近畿車両が1978年と82年に計8両を新造した。当時の国鉄では荷物車や、形式に「クモユ」を冠した郵便運搬用の電車、「クモユニ」と呼ばれた郵便物と荷物の両方を運ぶ電車が活躍していたが、多くは旧型車両を改造していた。

 それらの荷物や郵便物を運ぶ車両は他の旅客電車と連結して運用していたが、旧型車両のため性能を高めた旅客電車とつなぐのに支障を来していた。このため新造したのがクモニ143や、82年登場の「クモユ143」、81年にデビューした「クモユニ143」だ。

 クモニ143は、動けなくなった列車を引っ張るのに使うけん引車「クモヤ143」をベースとして設計された。東北線と高崎線を経由して上野駅(東京都)と高崎駅(群馬県高崎市)を結ぶ63年登場の近郊形電車115系や、 岡山、鳥取両県をつなぐ伯備線の115系などと連結して運転されていた。

JR高崎駅(群馬県高崎市)付近を走る近郊形電車の115系=18年3月、筆者撮影

 ところが、旧国鉄が分割民営化を控えた86年に荷物・郵便輸送を原則として廃止。リストラ策に直面したクモニ143は、崖っぷちに追い込まれた。

 ▽ニッチ市場で生き残る

 リストラに直面したクモニ143だが、8両全てが改造されて“第二の人生”を歩むことになった。うち6両は座席を備えた旅客電車のクモハ123に、2両はベース車両となったけん引車と同じ形式名のクモヤ143となった。

 クモハ123は運ぶのが荷物から人へ“昇格”し、華麗な転身劇となった。白羽の矢が立ったのは当時で製造から10年以内と比較的新しく、1両だけで走れるため利用者が少ないローカル線のニッチ(隙間)市場で重宝されたからだ。クモニ143の6両に加え、郵便物と荷物を運んでいた「クモユニ147」の5両、けん引車の「クモヤ145」2両を含めた計13両がクモハ123に生まれ変わった。

プラットホームが1本だけの本山支線の長門本山駅に停車する電車クモハ123=19年9月、山陽小野田市で筆者撮影

 かつては中央線の一部だったものの、長野県の塩嶺トンネル開通後は支線になったJR東日本の辰野(辰野町)―塩尻(塩尻市)間で活躍した電車は「ミニエコー」の愛称が付けられ、2013年3月まで力走。かつてはJR東海の山梨県と静岡県を結ぶ身延線の一部区間、JR西日本の阪和線鳳駅(堺市)と東羽衣駅(大阪府高石市)の1・7キロを結ぶ東羽衣支線などで運用されていた。

 今も現役で活躍しているのは山口県の主に小野田線と本山支線、宇部線の一部列車で、私もクモハ123を目当てに居能駅で乗り込んだ。途中の雀田駅(山口県山陽小野田市)で下車すると、2・5キロ先の長門本山駅(同)と結ぶ本山支線を走るために待ち受けていた車両もクモハ123だった。

 本山支線は朝の2往復、午後6時台の1往復のわずか3往復で、私が乗った雀田午後6時12分発の電車の乗客は10人ほど。この日は休日だったこともあり、途中駅の浜河内駅で降りた地元利用者らしき1人を除くと全員が“鉄分”が濃い鉄道愛好家ばかり。折り返しの長門本山発雀田行き最終電車は鉄道愛好家率が100%(筆者判定)だった。

時刻表に3本しか記されていない長門本山駅の時刻表=19年9月、山陽小野田市で筆者撮影

 いったんお役御免になってもニッチ市場に入り込んで生き残り、鉄道愛好家というニッチな需要も呼び込んでロングランを続けてきたクモハ123。逆境を乗り越えて活躍を続けている姿は、新型コロナの感染拡大で閉塞感に包まれがちな私たちにも一筋の光明を与えてくれる。

 【小野田線】山口県山陽小野田市と宇部市を通るJR西日本のローカル線。宇部線と接続する居能駅と山陽線と乗り継げる小野田駅を結ぶ11・6キロ、途中の雀田駅と長門本山駅をつなぐ本山支線の2・5キロで構成する。臨海部の工業地帯を走り、かつては石炭や、セメントの製造に使う石灰石を積んだ貨物列車が行き交った。JR西日本によると、1キロ当たりの1日平均乗客数を示す「輸送密度」は2018年度に457人となり、JR西日本が発足した1987年度(1478人)より7割減った。18年度の旅客収入は2千万円にとどまる。

 宇部市やJR西日本などは、小野田線と宇部線の線路の敷地をバス専用道にしてバス高速輸送システム(BRT)へ転換する可能性を18年度から検討している。本山支線では1933年に製造された茶色い車体の旧型国電「クモハ42」が2003年3月まで走り、旧型国電の“最後の牙城”として脚光を浴びていた。

かつて本山支線を走っていた旧型国電「クモハ42」=19年8月、山口県下関市

 ※「鉄道なにコレ!?」とは:鉄道と旅行が好きで、鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」の執筆者でもある筆者が、鉄道に関して「なにコレ!?」と驚いた体験や、意外に思われそうな話題をご紹介する連載。2019年8月に始まりました。更新時期は不定期ですが、月に1回のペースで続け、今回第10回を迎えられました。ぜひご愛読ください!

© 一般社団法人共同通信社