「サッカーコラム」記念すべき100回目、だが… 天皇杯、新型コロナで開幕延期し大幅に縮小

サッカーの第99回天皇杯全日本選手権で初優勝を果たし、喜ぶイニエスタ(前列中央)ら神戸イレブン=1日、国立競技場

 「コロナ騒動」でほとんどの時間を家で過ごしている。友人との情報交換の機会も減って失念していたが、今年は日本サッカー界にとって記念すべき年だった。

 古めかしい呼称で言うならば「日本蹴球協会」。現在の日本サッカー協会(JFA)は大正10年9月10日に発足した。西暦に直せば1921年。そこからわずか2カ月後に「ア式蹴球全国優勝競技会」が始まった。それが現在の天皇杯だ。

 その天皇杯が今年、100回の節目を迎える。冒頭に書いた「記念すべき」とはこのことを指している。それなのに、日本代表やJリーグといったトップカテゴリーから少年サッカーまでのすべてが停止してしまったいる。J1神戸のイニエスタがクラブ史上初となるカップを誇らしげに掲げた今年の元日にこのことを予想できた人は誰もいなかったに違いない。

 海外ではドイツ1部リーグ「ブンデスリーガ」など再開を決めたリーグがある。Jリーグも7月のリスタートを目指しているが、まだ先は見通せない状態だ。動くサッカーに飢えている身からすると、何とももどかしい。だが 吉報を待つ間にサッカーの歴史を振り返るのも悪くはない。

 世界最古のサッカー協会(Football Association)は1863年10月26日にイングランドで創立された。初の国際試合は72年11月30日にスコットランドのグラスゴーで開かれた。中村俊輔が所属していたセルティックの本拠地だ。スコットランド対イングランドが対戦し、スコアは0―0の引き分けに終わった。

 残念なことに、この試合の写真は残っていない。スコットランド側が手配した写真家がスコットランドの全選手が写真を買わないと仕事をしないと条件をつけた上に結局は撮影しなかったからだという。

 JFA設立のきっかけは、外国通信社がイングランドFAに間違って送った電文だったという。1917年(大正6年)に日本は、東京・芝浦で開かれた第3回極東選手権競技大会に参加した。この大会でサッカーに興味を持つ人が増え、翌年18年には東京と名古屋、大阪でサッカー大会が行われるようになった。それを見た外国の通信社が「日本にも国内サッカーを統括する団体ができた」と打電したという。

 この報告を受けたイングランド協会は19年、まだ存在しなかった「日本協会」に純銀製のカップを寄贈した。英国大使館を通じて大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)会長の嘉納治五郎が受け取ったカップは、21年まで嘉納が預かることになった。そのカップは、ア式蹴球全国優勝競技会の勝者に与えられた。ところが、45年に第2次世界大戦末期の金属不足による強制供出で失われてしまった。

 しかし、2011年。日本協会90周年を記念して贈られたFA杯の復刻を計画。イングランド協会に許可を求めた。ところが、イングランド協会はスマートだった。自ら銀杯を制作し、再度日本に寄贈したのだ。66年ぶりに天皇杯の勝者にFA杯が授与されるようになった。

 その天皇杯は記念すべき大会にもかかわらず、参加チームが従来の88から50に縮小された。残念だ。

 いまから56年前の1964年に開かれた東京五輪。当時、日本には年間を通して全国規模で行われるリーグ戦というものは存在しなかった。

 日本に全国リーグを作る提案を行ったのは、日本代表の初の外国人コーチとなったデットマール・クラマーだった。「日本サッカーの父」と言われたクラマーは60年から63年まで、日本代表を指導。68年メキシコ五輪で銅メダルを獲得したチームを育て上げた。五輪で残した成績と同等に、後のサッカー界に影響を与えたのは65年に始まった日本サッカーリーグ(JSL)の立ち上げだろう。63年に日本に先んじて西ドイツ(現・ドイツ)で始まったブンデスリーガを手本にした。日本のアマチュアスポーツで初めて全国的なリーグを採用したのはサッカーだった。JSLは、その後、全国リーグ化されたさまざまなスポーツの先駆けとなった。

 ちなみに、クラマーは世界的な指導者だった。西ドイツのユース代表では「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーを見いだし、75~78年まで率いたバイエルン・ミュンヘンでは、UEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を制覇している。バイエルンの現CEOでワールドカップ(W杯)に3大会連続で出場した名FW、カールハインツ・ルンメニゲを育て上げたのもクラマーだった。

 Jリーグ開幕の前年となる92年まで27年間続いたJSLは常に盛況とはいえなかった。それでも、日本代表が勝てずサッカー人気が低迷した時期でも「サポーター」と呼ばれる前のコアなファンをつなぎ留める大きな役割を担った。

 プロリーグを発足させるにあたり、欠くことのできなかったファンと全国リーグのノウハウ。それがあったから、現在のJリーグはある。そして、日本代表を強化することを目的に立ち上げられたJリーグの成功が、6大会連続でワールドカップ(W杯)に出場できることにつながっている。

 日本サッカーの歴史は過去から現在に間違いなくつながっている。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

© 一般社団法人共同通信社