「背番号2」が似合わなかった風変わりな10人

DFが背負うはずの背番号2を着けた意外なポジションの選手たちを取り上げてみる。

エミリアーノ・ヴィヴィアーノ

アーセナルにも所属したイタリア代表経験を持つGK。

195cmの高さと安定感のあるセービングが売りで、2008年北京オリンピックでは正守護神を務めた。全盛期にはあのパリューカから「ジジ(ブッフォン)より上」と評価されたことも。

サンプドリア時代以降は2番を着用することが多い。

エミリアーノ・ヴィヴィアーノ

「理由はないんだ。

ここ(サンプ)に来た時、3,4日のテストしかなかった。ウェブサイトを見たら、すでに1番は別のGKが着けていた。

自分は70、80、90とかの番号を着けるのは好きじゃない…。

どの番号が空いているのかを聞いたら、2番だと言われた。そこで、『OK、2番ね』と答えたのさ。

1年後に1番は空いたけれど、ジェノアからクリスティアン・プッジョーニがやってきた。サンプファンの彼はこのユニフォームを着るのが夢だった。なので、自分は2番のままにしたんだ」

本田圭佑

日本を代表する攻撃的MF。パチューカで着けた02番は衝撃的だった。

10番も4番も空いていなかったため、世界平和とピースにちなんで2番にしたとか。

ちなみに、背番号に寛容なメキシコでは、ユース選手がトップチームで3桁の番号を着けたりもする。

オズバルド・セサル・アルディレス

“オジー”の愛称で知られるオズバルド・アルディレス。日本のファンにとってはJクラブを率いた印象の方が強いが、現役時代はMFであった。

しかし、1970年代のアルゼンチン代表には名前のアルファベット順に背番号をつけるといった決まりがあり、"A"rdilesは1978年のワールドカップでは「2」をつけて出場(1番をつけたのは"A"lonso)。

アルディレスは1982年大会には1番をつけてワールドカップに出場しており、「1」を背負ったフィールドプレーヤーとしても知られている。

クリスティアン・ポウルセン

2010年ワールドカップで日本代表とも対戦したデンマーク代表ボランチ。

華麗なテクニックとダーティなファウルを持ち合わせており、ファイルぎりぎりの球際の激しさは、相手に肉体的ダメージを与えるほどだったが、足元の技術レベルは高かった。

EURO2004でのトッティへの「唾吐き事件」でヒールなイメージが強いが、ピッチ外では好青年として知られる。2010年W杯とシャルケ後期に2番を着用。

ガイスカ・トケーロ

アスレティック・ビルバオでプレーしたいぶし銀FW。実年齢より老けて見えたため、ビルバオは一旦獲得を見送ったとか。

FWとしては珍しい2番を着けたが、2009年1月に復帰した際に空き番号がなかったほか、カンテラ時代は右サイドバックだったからというのが理由だそう。

ノルディン・アムラバト

VVVで本田圭佑ともプレーしたモロッコ代表ウィング。やや持ち過ぎの感はあるが多彩なドリブルスキルを持ち、ボールキープやミドルシュートも得意。

オランダ生まれで、U-21まではオランダ代表でもあった。オーバーエイジで出場したロンドン五輪ではモロッコ代表として日本代表とも対戦している。

2014年夏にマラガに再ローンした際に2番を選択。移籍したのが、9月1日ということもあり、空き番号がなかったパターンだろうか(リーガではトップチーム選手の背番号は1~25に限定される)。

アブ・ディアビ

アーセナルでもプレーしたフランスの元大器。NEXTヴィエラとして期待されたが、度重なる怪我に苦しまされた。

ガナーズでは長らく2番を着用。「(クラブから2番を与えらたことに)正直、自分も驚いたよ。友達から『もし移籍しても2番は着けないで』と言われたのを覚えている。僕は『OK』と答えたんだけど、結局この番号になってしまった!」とのこと。

サンドロ・ヴァークナー

ドイツ代表も持つ大型FW。190cmを超える体躯であるため鈍重な印象を持たれることもあるが、スピードやアジリティに不足はなく、DFラインの裏を抜け出すほうが得意で、献身性と守備意識もある。

2018年1月、ユース時代を過ごしたバイエルンに復帰した際に2番を選択。愛着のある14番がなかったほか、「自分にとってこのクラブでの2度目の在籍になるからね。幸運をもたらしてくれることを願う」というのが理由だった。

モルガン・シュナイデルラン

吉田麻也ともプレーしたフランス代表経験を持つMF。

もともと足元やパスセンスに優れていたが、セインツで守備面で大きく成長し、プレミアリーグ屈指のセンターハーフに。マンチェスター・ユナイテッドから移籍したエヴァートンで2番を選択。

モルガン・シュナイデルラン

「8番がお気に入りだけど、ここでは偉大な選手なひとりであるロス・バークリーがすでに着けていた。

彼をリスペクトしているし、Schneiderlinという(長い)文字を背中に入れ終わった用具係を休ませてあげたかった。彼らはデカい番号を望んでいなかったはずさ!

多くの番号が空いていなかったけれど、2番はフリーだった。

13番は迷信的にありえなかったし、それ以外の36、37、38番はデカすぎると思った。

今のところは2番にする。もしよければ、着け続けるよ」

なお、2番を2年間着けた後、3年目からは18番に変更している。

クリント・デンプシー

ドノヴァンと並ぶアメリカ代表史上最多スコアラー。

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もともとアタッキングセンスに優れていたが、プレミアリーグで覚醒し、点を奪える脅威的なアタッカーに成長した。MLSやトッテナムで2番を着用。

クリント・デンプシー

「全ては大学時代に始まった。

上級生たちがそのポジションに基づく伝統的な番号を全部とってしまったので、唯一空いていた番号だったんだ。

そして、MLS入りした時に2番か10番を着けるチャンスがあった。

当時のニューイングランド・レヴォリューションでは、10番はアンラッキーな番号と見なされていた。だから、『触れたくない』って思ってね。

そして、自分が最初に着けた背番号も2番だったことに気付いた。だから、この番号は自分にとって特別なんだ」

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