元中日ドラゴンズ森野将彦氏、けがの怖さを知らされた「記憶に残るあの1球」

東海ラジオ『ドラゴンズステーション』で、野球解説者の森野将彦氏が話した「記憶に残るあの1球」(5月13日18:24頃~)。2006年シーズン開幕直前のオープン戦で受けた死球で小指を骨折。手が届くところまで来ていた開幕スタメン・サードが、崩れ去る瞬間だった。

森野氏は、スタジオで、未だに曲がったままの右手小指を見せながら話を続けた。前年秋のキャンプから春のキャンプまで「きつい思いしかない」という猛練習に耐えてきた。「28歳、何とかここで(レギュラーを)取らなかったら、プロ野球生活が終わってしまうという思いで、キャンプを乗り切って(開幕まで)あと1週間、その段階でのけがだったので、勝手に涙が出た」と、当時の心境を振り返った。

さらに、森野氏は「精神的に、よしっと思ったところと、少し守りに入ってしまったところがあって、バランスがよくなかった。最後まで気を抜かずにやらなければという自分に対するプレッシャーと、何かちょっと光が見えたという、気の緩みではないが、そういうものもあった」と、当時の精神状態を分析した。

森野氏が、後に、当時の監督だった落合博満氏に聞いたところでは「開幕は(森野氏を)サードで使おうと思っていた」とのこと。開幕からレギュラーでの出場が確実だった2006年シーズン、開幕直前に右手小指を骨折した森野氏が復帰したのは5月下旬、その年のドラゴンズは優勝、森野氏も、セカンドからスタートしてサードのポジションを獲得し、復帰後は試合に出続けて、チームの勝利に貢献した。

けがをしたシーズンも活躍した森野氏だが「3年後にやっとサードを守れるようになった。開幕スタメン・サードで出られるまで3年かかった」と話した。そして「あの1球」の怖さを繰り返し強調したが、同時に「あのけがが、遠回りさせたのかどうか」とも語った。いずれにしても、けがを克服し、成績を残したことは、本人の努力の賜物だということは間違いない。

さらに、森野氏は「けがは怖い。けがで何人もの選手が野球生活を断念してきた。しかし、怖がってばかりいるわけにもいかない。悔いのないように、準備は怠らないように、一生懸命やれば、いいことはある」と話した。

東海ラジオのプロ野球解説者がコメンテーターを務める『ドラゴンズステーション』(月~金16:00~19:00)。番組の中の「記憶に残るあの1球」のコーナーでは、解説者が、現役時代・コーチ時代を通して経験した、今でも鮮明に記憶に残っている試合や出来事を紹介している。森野氏のほか、ドラゴンズステーション東海ラジオのプロ野球解説者は、権藤博氏、鈴木孝政氏、鹿島忠氏、山本昌氏、山﨑武司氏、谷繁元信氏、大西崇之氏、井端弘和氏、など。

ドラゴンズステーション

放送局:東海ラジオ

放送日時:毎週月曜~金曜 16時00分~19時00分

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