元中日ドラゴンズ井端弘和氏、1軍定着を決めた「あの1球」

東海ラジオ『ドラゴンズステーション』で、野球解説者の井端弘和氏が話した「記憶に残るあの1球」(5月14日18:35頃~)。入団3年目の開幕直前のオープン戦で決めた送りバントの1球。井端氏が「プロ野球人生で一番緊張した」という場面。その1球を投じたのは、西武ライオンズのエース、松坂大輔投手だった。

井端氏は、入団1年目、2年目のシーズンを2軍で過ごした。当時のドラゴンズは、3月中旬の東京遠征のメンバーに加わることができれば、そのまま開幕を1軍で迎えることが確実だった。その前年の井端氏は、そこで、ふるいに掛けられて、2軍行きが決まった。3年目「明日、東京遠征に出発する」という日の浜松での試合。当日の対戦相手は西武ライオンズ。先発は松坂投手。試合中盤にドラゴンズは、無死1,2塁のチャンスを迎えた。

ここで星野監督は、代打に井端氏を指名した。バッターボックスに向かう井端氏は、星野監督から「送りバントして来い。失敗したら2軍だぞ」と告げられたというのだ。「そこが、完全な分岐点だった。試されたという感じだった」と振り返った井端氏、そのプレッシャーの大きさに「打席に入って、足が震え、手も震えていた」そうだ。

「とにかく、真っすぐしか頭になかった。そこへ、スライダーが来た。それが、うまいことバットの先に当たって、ボールが死んでくれて、絶妙のバントになった」さらに「真っすぐだとしか思ってなくて、それがスライダーで曲がったが、手が動かなかった。あのボールが真っすぐだったら、間違いなく失敗していたと思う」と続けた。

まさに「値千金」の送りバントを決めた井端氏は、翌日からの東京遠征に加わることができた。そして、そのまま開幕を1軍で迎え、そのシーズンを1軍で過ごした。分岐点となった試合では、2人の選手が2軍行きを告げられたそうで「もし、あのときに送りバントを失敗していたら、僕が、そのうちの一人になっていただろう」と話した。

井端氏が「今でも鮮明に覚えている」という「記憶に残るあの1球」の場面、バント成功のあと、星野監督から「ナイス、バント」と言われたそうだ。「監督は、同じような場面で使う駒が一つできたと思ったのだろう。それを試されたのだと思う」と振り返った。

井端氏は、当時の心境について「1年目、2年目と2軍だと、先がないのかなと思い始める。3年目は特に、そういうところも踏まえて、送りバント成功のあと、レギュラーにもなれたので、あのときがなかったら、どうなっていたかわからない」さらに「1軍にいれば、出場機会を与えられて、そこから活躍するケースもある。まずは、1軍にいないことにはダメかなと思う」と続け、一軍に上がるチャンスを確実にものにすることの大切さを強調した。

東海ラジオのプロ野球解説者がコメンテーターを務める『ドラゴンズステーション』(月~金16:00~19:00)。番組の中の「記憶に残るあの1球」のコーナーでは、解説者が、現役時代・コーチ時代を通して経験した、今でも鮮明に記憶に残っている試合や出来事を紹介している。井端氏のほか、ドラゴンズステーション東海ラジオのプロ野球解説者は、権藤博氏、鈴木孝政氏、鹿島忠氏、山本昌氏、山﨑武司氏、谷繁元信氏、大西崇之氏、森野将彦氏、など。

ドラゴンズステーション

放送局:東海ラジオ

放送日時:毎週月曜~金曜 16時00分~19時00分

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