清原和博氏は繊細で素直な男だった 元巨人スコアラーが見たベンチ裏の番長

ワールドトライアウトで監督を務めた清原和博氏【写真:編集部】

元巨人、WBCチーフスコアラーだった三井康浩氏が語る男の素顔とは

巨人のスコアラーを22年間務め、2009年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第2回大会では侍ジャパンのチーフスコアラーとして世界一に貢献した三井康浩氏が、巨人のスター選手の素顔や、他球団との虚々実々の駆け引きを振り返る。今回は1996年オフに巨人にFA移籍し9年間主砲として活躍した、清原和博氏との熱いやりとりを明かす。

西武から移籍してきた当初の清原氏は、三井氏に言わせれば「基本的に技術だけで相手投手と勝負するタイプで、データ的なことにはほとんど聞く耳を持たないというか、興味を示さなかった」。変化のきっかけは、移籍2年目のミーティング中にあった。「当時の清原君は、ボールになる変化球を2球投げられると、1球目は見逃せるが、2球目は必ず振ってしまう傾向があった。そこを我慢できれば有利になると指摘すると、そう言えば確かにそうだと納得してくれたんです。それがきっかけで、いろいろ聞いてくるようになり、技術にデータをプラスして野球に取り組むようになりました」。

当時の巨人は強打者揃い。三井氏は清原氏、2004年から2年間在籍したタフィ・ローズ外野手と3人で交わしたバッティング談議を懐かしそうに振り返る。

「テーマは『バットがトップの位置にきた後、切り返しはどこから始まるか』。僕の考えでは、打撃は下半身主導で、切り返しは絶対に軸足から。しかしローズは、『自分は上半身と下半身が同時にスタートする』と言って聞かなかった。タフィが言うのはイメージであって、実際にスロービデオで見れば、下半身からスタートしているんですがね。その時、あとから入ってきた清原君は『いや、タフィ、俺も三井さんが言うのと同じだ。下半身からスタートして、下半身で打ちにいく』と言ったんですよね」

清原氏といえば、体も大きいが、“番長”の異名が示す通り迫力満点。打席では闘志をあらわにし、体に近い所を投球が通過しようものなら、相手投手をにらみつける、もしくはヘルメットをグラウンドにたたきつける、時には怒鳴りつけるといった振る舞いが目立った。しかし、三井氏は「テレビ画面を通して、『かかって来いや!』みたいなイメージで彼を見る人が多いと思いますが、実際は意外に繊細で、素直です。言ったことは聞くし、1人で黙々と練習します。本人は悩んでいましたが、周りから見たイメージを貫き通しましたね。ああいうグラウンドでの振る舞いは、自分で自分を鼓舞するパフォーマンスだったのではないですかね」とみている。

阪神藤川への「チ○ポコついとんのか!」発言も理解「パフォーマンス的に意気込みを示さないと巨人の4番は務まらなかった」

05年4月21日の阪神戦(東京ドーム)では、8点ビハインドの7回2死満塁で藤川球児投手と対戦し、フルカウントからフォークを空振り三振。すると試合後、「カウント3-2からフォーク? ケツの穴小さいな。チ○ポコついとんのか!」と言い放ち、物議を醸した。これもまた「プロ野球なんで、当然変化球も投げてくるんですが、清原君の場合は『まっすぐで勝負してこい!』というところがありましたからね。原(辰徳)監督の現役時代もそうでしたが、ある程度パフォーマンス的に意気込みを示さないと、巨人の4番は務まらなかったと思います。他球団の4番とは違う、物凄いプレッシャーがありましたから」と解釈している。

また、清原氏については「内角高めが苦手」というイメージが流布されていたが、三井氏は「実は誰であっても、インハイはなかなか打てるものではないんです。清原君はああいうキャラだから目立っただけで、松井君だってインハイに決められたら打てなかった。それに清原君の場合は、インコースに来ても避けなかったので、“アンチ清原”のような投手が出てきて余計そういうことを言うようになったんですよね」と解説する。確かに、清原氏の通算196死球は歴代1位。その背景には「インコースはボール気味でも打ちにいく。攻めるなら攻めて来い、逃げていられるかというような」(三井氏)姿勢があった。

05年限りで巨人から戦力外通告された清原氏は、東京ドームの分析室で仕事をしていた三井氏を訪ねている。

「わざわざ来てくれて『辞めることになりました』と。ここまでやってくれる間柄になれたのかと、感慨深かったですね。そして、清原君がいなくなるということが寂しかった」

現役時代も歴代5位の525本塁打を放つ一方、タイトルには縁がなく“無冠の帝王”で終わった。それでも、巨人の4番の重圧に正面から立ち向かった男の記憶は色褪せない。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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