山下達郎「いつか(SOMEDAY)」の演奏に挑んだド素人軍団の試み! 1980年 9月19日 山下達郎のアルバム「RIDE ON TIME」がリリースされた日(いつか(SOMEDAY)収録)

アルバム「RIDE ON TIME」の1曲目を飾った「いつか(SOMEDAY)」

今回は、1980年9月リリースの山下達郎5作目のスタジオアルバム『RIDE ON TIME』の1曲目を飾った「いつか(SOMEDAY)」について語ってみたいと思う。

まず初めに断っておくけれど、山下達郎の「いつか(SOMEDAY)」は、佐野元春の大ヒットシングル曲「SOMEDAY」(1981年)のことではない。リマインダー読者なら「当たり前でしょ!」と一笑に付して終わるかもしれないけれど、僕が軽音楽部で活動していた時代(1982年)、仲間内では「それって元春のやつ? 達郎のやつ?」などと混乱したことが多かったのだ。

確かに佐野元春の「SOMEDAY」は、同時期に白井貴子がカバーしていたこともあって「山下達郎も?」と勘違いしてしまうのは致し方ないだろう。その後も矢野顕子、山下久美子など名だたるミュージシャンがカバーした名曲であり、ネームバリューで考えれば山下達郎の「いつか(SOMEDAY)」は分が悪い。

もちろん、山下達郎の「いつか(SOMEDAY)」も良曲だ!それは、達郎自身も「お気に入りの一曲だ」と公言していることからも伺える。だからこそ肝いりのアルバムで1曲目に指定したのだろう。

ポイントは青山純と伊藤広規のリズム隊

「いつか(SOMEDAY)」を初めて聴いた僕は、青山純と伊藤広規のリズム隊から繰り出される8ビートに痺れまくった。決して軽快になり過ぎないリズムワークは、一聴しただけでは普通の8ビートと勘違いするほど微妙に跳ねたリズムを内包していたのだ。そう、シャッフルである。

山下達郎のシャッフル曲で有名なのは『Circus Town』(1976年)の「Windy Lady(ウインディ・レイディ)」だろう。シカゴ特有のリズム&ブルースを意識したこの曲のドラムを担当したのはアラン・シュワルツバーグだ。アルバムの中で彼は少しルーズな雰囲気を乗せたシャッフルを叩いている。ライブ盤の『IT'S A POPPIN' TIME』では、同曲を村上 “ポンタ” 秀一が叩いている。こちらのバージョンでは静謐な空気感を演出すべく、ブラシワークが冴えわたった演奏を聴かせてくれる。ただ、どちらもカッコイイけれど僕が求めているシャッフルとは少し毛並みが違うアレンジだ。

僕がこの「いつか(SOMEDAY)」に一番近いリズムを感じる曲は、1982年のTOTOのアルバム『TOTO Ⅳ ~ 聖なる剣』の1曲目「ロザーナ」である。ジェフ・ポーカロのドラムは小気味よく、小刻みなハイハットのゴーストノートによってゴキゲンに跳ねたリズムを感じさせてくれる。8ビートなのにリズムはシャッフルを強調しているというのが特長だ。

8ビートシャッフル、青山純とジェフ・ポーカロの比較

ここで、ジェフ・ポーカロと青山純を比べてみる――
ジェフ・ポーカロは白人ドラマーらしく、多彩なリズム演出によってドラムを歌わせて叩くのが特長だ。ドラムを志した人は、「ロザーナ」を真似して叩いてみた結果あまりにも難しく、途中で挫折した… なんてことはなかっただろうか? あの手癖のようなハイハットとスネア、バスドラの組み合わせは滅茶苦茶難しい。

それに対して青山純は黒人ドラマーに近くて、バスドラとスネアで1拍3拍をビシッと決めてくるタイプ。フィルイン(おかず)が少なく1本スジの通ったビートは常に太く安定している。仙波清彦とはにわオールスターズで、青山純と一緒に叩いたポンタさんも「アオジュンっていう(ビートの)大黒柱がいたおかげで、俺は陰に隠れてけっこう手抜きしているから(笑)。だから純がいないとはっきり言って困るのよ」(『続・俺が叩いた。ポンタ、80年代名盤を語る』より)と、絶大な信頼を寄せていた。

というように、タイプが違うし、そもそもプロのドラマーだからそれぞれの個性が光って当然。だけど、このシャッフルに関して共通しているのは、曲調の基本である8ビートをしっかりと押さえ、その上で跳ねたリズムの味付けをしているところ。決して跳ね切っているわけじゃないんだよね。僕はそのカッコよさに惚れ惚れしてしまったんだ。

山下達郎のコピーバンド、ド素人軍団の挑戦!

僕が軽音楽部だったことは、以前別のコラム『万里の河でタイムスリップ、80年代前半のフォーク&ロック事情』で取りあげたことがあったけれど、ここからは当時の話を少し──

いよいよ三年生になった僕は、文化祭に向けて自身のリーダーバンドを組むことになった。曲は山下達郎から選ぼうとずっと前から決めていた。

そう、夢だったのだ。一年生を主力メンバーにして、当時付き合っていた子をボーカルに据え、そして僕はドラムを叩く。普通に考えて演奏が難しすぎるのは僕でもわかる。そんなド素人軍団だが、曲全体を簡単にアレンジして演奏に重きを置かず、歌とコーラスとドラムだけで体裁を整えようという作戦だ。

選んだ曲は「いつか(SOMEDAY)」「RIDE ON TIME」「FANKY FLUSHIN'」「愛を描いて - LET'S KISS THE SUN -」の4曲。単純に僕が青山純のドラムを真似て叩きたかっただけなんだけれど、もうひとつ、“四声のコーラス” を試してみたかったという理由もある。

そのころ周囲では演奏したい奴らばっかりだったので、ほとんどのグループがコーラスには無頓着だった。でもハモリの美しさと重要さは、大好きだった憧れの先輩スケさん(詳しくは前出のアーカイブ記事で!)から学んでいたので、さらにそれを発展させてコーラスで勝負しようと思ったのだ。

心血を注いで練習した四声コーラス

ギターとベース(一年生男子)には簡単にアレンジしたものを弾かせ、このグループの肝であるボーカルとキーボード2人(一年生女子)と、僕を含めた四声コーラスに何よりも心血を注いだ。

まずコーラス譜を作らなくてはならない。複雑なコーラスを耳でコピーするのは大変だったけれど、そんな作業は僕のヤル気の前では朝メシ前である。それよりも夏の暑さのほうが壮絶でツライ日々だった。窓を全部締め切った真夏の軽音楽部部室(普通の教室)は40度を超える蒸し暑さ。そのなかで不健康な汗をしたたらせ(音が漏れると先生がうるさかった)僕らは夏休みの間、毎日のように練習をした。

特にコーラスは四声ともなると、ふつうに練習しているだけでは聴くに堪えないものになる可能性大だったため、歌担当の4人は、部室で演奏の練習をする以外に、空き教室とか廊下とかに集まり日々コーラスの練習を積み重ねた。それはもう何時間も暗くなるまで続けたし、その後、帰りが遅くなった彼女を自転車の後ろに乗せて駅まで送っていったのは、練習時の暑さを吹き飛ばすほどいい思い出として心に刻まれている。

ただ、これ、ライブ音源が残ってないのだ…。お聴かせできないのが本当に残念だけど、当時僕らの練習を脇で観ていた人には十分アピールできていたと思う。そりゃ、本家には敵わないものの、たとえド素人軍団であってもコーラスはかなりのレベルに達していたはずだ。

何故音源が残っていないかと言うと、キーボードの子が文化祭前日に盲腸で入院してしまったため、やむなくエントリーを取り下げてしまったのだ。僕は三年生であり、この文化祭を最後に部活引退も決まっていて、それはとてもツライ決断だった。苦々しい思い出に変わりはないけれど、あの練習した日々のことは今でもよく思い出したりする。滅茶苦茶恥ずかしいけれど、まさに青春の思い出ってやつなので、そこは勘弁して欲しい。

沁みわたる吉田美奈子の歌詞、改めて気づく美しい言葉

最後に少しだけ歌詞に触れてみたい。

 時々人の心の中が
 信じられない出来事がある
 皆 自分だけ逃げてしまおうと
 愛を傷つけて通り抜ける

「いつか(SOMEDAY)」冒頭の歌詞だ。吉田美奈子の詞が沁みわたる。高校生当時は、こんなに歌詞をじっくり読んだり考えたりしたことがなかった。

いま、この原稿を書きながら、ふたたびこの歌詞を読むことで美しい言葉がたくさん散りばめられていることに気づかされた。このコラムの最後を、素晴らしい歌詞の引用で締めたい。

 さよならをする人など居ない
 だからいつまでも顔を曇らせ
 つらい日を送る事はない

カタリベ: ミチュルル©︎

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