サッカーの歴史上「最高の遅咲きアタッカー」10名

サッカー選手のキャリアは短い…と言われるが、その中でも年齢を経てからブレイクする「遅咲き」の者も数多い。

今回は『Sportskeeda』から「サッカーの歴史上最高の遅咲きアタッカー」のTOP10を紹介しよう。

ジェイミー・ヴァーディ

当然多くのファンはヴァーディの成り上がりストーリーをよく知っているはずだ。1987年に生まれた彼はユース時代にシェフィールド・ウェンズデイでプレーしていたが、16歳で放出されてアマチュアリーグに移籍した。

ハリファックス・タウンで初めてプロ契約を結んだのは23歳のとき。25歳になるまでフリートウッド・タウンでノンリーグを戦っていた。

しかし2012年の夏に当時2部のレスター・シティに加入すると、27歳で初のプレミアリーグに挑戦。2015-16シーズンには24ゴールを奪ってレスター・シティを驚きの優勝に導いている。さらにそれからも一発屋ではないところを見せ続けてきた。

ルカ・トーニ

イタリアの選手は他の国よりもなぜかキャリア後半で花咲く者が多い。特にストライカーはだ。ルカ・トーニは20代前半まで下部リーグを戦い、ブレシアでロベルト・バッジョとともにセリエAでプレーすることに成功したものの、26歳で2部に戻ることに…。

しかし、パレルモで30ゴールを決めてセリエA昇格を成し遂げると、さらにトップリーグでも20得点。クラブに印象的な6位フィニッシュという結果をもたらした。

そしてフィオレンティーナに移籍した彼はさらにゴールを量産。イタリア代表では2006年ワールドカップを制覇し、さらにバイエルン・ミュンヘンへとステップアップを果たした。そして2014-15シーズンには38歳でセリエA得点王を獲得している。

ダニー・ブリント

ダレイ・ブリントの父親であるダニーは、オランダ代表でもアヤックスでも成功を収めた名選手であったものの、そのキャリアは非常に遅咲きであった。

1979年に18歳でデビューし、スパルタ・ロッテルダムの主力として戦ったあと、1986年にアヤックスへと移籍した。飛び出しやシュートもこなす上品なリベロに転向した彼は、1989-90シーズンに初のエールディビジ優勝を果たす。その時彼は29歳だった。

それからルイス・ファン・ハール監督の下でキャプテンを務め、36歳まで計16個のタイトルを獲得。1998-99シーズンを最後に現役を引退したが、ほとんどの栄冠は30代になってからのものだった。

ヨシップ・イリチッチ

スロベニアを代表する選手となったイリチッチは、2019-20シーズンの最も大きなサクセスストーリーであろう。チャンピオンズリーグに出場したアタランタの中で躍動し、公式戦29試合で21ゴールを決めてきた。

驚きなのは、彼はすでに32歳となっていることだ。2010年にパレルモと契約した後、長くセリエAを戦ってきた。しかしそれまでは決して突出した存在というわけではなかった。アタランタに来たときの移籍金も550万ユーロ(およそ6.4億円)に過ぎなかった。

しかしそれから4年、イリチッチはキャリアを急速に成長させてきた。今季のチャンピオンズリーグで5ゴールを決めた活躍は非常に印象的で、フロックではないことを見せつけている。

ミロスラフ・クローゼ

先日バイエルン・ミュンヘンの新しいアシスタントコーチになることが決まった元ドイツ代表FWミロスラフ・クローゼ。ワールドカップで最も多くのゴールを決めた選手であるが、代表デビューは24歳になってからだった。

クローゼのプロ生活は1998年にスタートした。カイザースラウテルンでプレーし始めたとき、彼は20歳だった。それからの5年で安定した得点力を発揮し、ヴェルダー・ブレーメンへと引き抜かれた。

それからの彼のキャリアは急速に上昇した。27歳のときに31ゴールを奪い、さらに29歳でバイエルン・ミュンヘンへと移籍。ブンデスリーガのタイトルを2回掲げることに成功した。

さらに33歳になってから新しい挑戦に歩みだし、イタリア・セリエAのラツィオへ。それからも見事なプレーを見せ、38歳で引退するまで信頼できるFWであり続けた。

リッキー・ランバート

リッキー・ランバートのキャリアの頂点は、ワールドカップのメンバーとしてブラジルへ行き、さらに彼が愛してやまないリヴァプールへと加入できた2014年夏だろう。その時すでに32歳となっていた。

10代でリヴァプールの下部組織から放出されたあと、ブラックプールでプロデビュー。それからマックルズフィールド・タウン、ストックポート・カウンティ、ロッチデール、ブリストル・ローヴァーズと下部リーグを渡り歩いた。

2009年に当時3部にいたサウサンプトンへと加入すると、彼はエースとしてクラブを次々と昇格させ、プレミアリーグへとたどり着く。そして紆余曲折の末にようやく愛するクラブへたどり着いたのだった。残念なのは、ここから彼のキャリアは急降下してしまったことだ。

アントニオ・ディ・ナターレ

キャリアの後半に最高のフォームを見せたイタリアのスターは、トーニだけではない。ディ・ナターレは209ゴールというセリエA史上最多得点者でありながら、非常に遅咲きで、タイトルに恵まれなかった選手だ。

彼のキャリアの初期はエンポリからのローンで下部リーグを渡り歩くものだった。初めてトップチームに残れたとき、すでに23歳となっていた。しかし2001-02シーズンにはセリエBで18ゴールを奪取する。

2004年にはウディネーゼに引き抜かれたが、その時は27歳。初年度には11ゴールしか奪えず、その決定力が開花したのは30代になってからであった。

そして35歳になってなお、セリエAで最も信頼できるゴールスコアラーであった。37歳でも14ゴールを決めるなどパフォーマンスは全く落ちることなく、信じられないプレーを見せ続けた。

アリツ・アドゥリス

スペイン人ストライカーの中では、おそらくアリツ・アドゥリスほどの遅咲きはいないだろう。現在アスレティック・ビルバオでプレーしている39歳の彼は、キャリアで合計285ゴールを決めている。信じられないことに、その半分以上が30代になってからのものだ。

19歳でビルバオとプロ契約を結んだ彼は、リザーブで3年プレーした後、2部のバジャドリーに放出された。2004-05シーズンに16ゴールを決めて復帰するも、その後3年で23ゴールと期待を裏切り再び退団する。

マジョルカとバレンシアに所属して活躍すると、2012年に31歳でビルバオへ2回めの復帰を果たすと、2014-15シーズンには26ゴール、2015-16シーズンには36ゴールというとんでもない数字を記録している。

チーロ・インモービレ

現在世界でも最もホットなストライカーの一人であるチーロ・インモービレは、2019-20シーズンの欧州ゴールデンシューを獲得する可能性が高い。26試合で27ゴールを決めており、クリスティアーノ・ロナウドを大きく上回る。そして彼はすでに30歳になっている。

2009年に19歳でユヴェントスに加入したものの出番はなく、2012年の夏にジェノアへと移籍。その1年後にはトリノへと加入し、22ゴールを決める活躍を見せたものの、それからボルシア・ドルトムントとセビージャで散々な失敗を喫してしまった。

物事が好転したのは2016年、ラツィオに移籍してからだ。セリエAの水に馴染んでいる彼はすぐにゴールを量産し始め、30歳でキャリアのベストシーズンを作り出している。

イアン・ライト

アラン・シアラーやアンディ・コール、テディ・シェリンガムらと並び、1990年代最高のイギリス人ストライカーの一人。しかし他の選手と比べて、ライトがピークに達するにはかなり時間がかかった。代表の常連となり、アーセナルでゴール記録を叩き出す頃には、もう30代だった。

プロになったのは21歳のときで、それまではアマチュアとセミプロでプレーしていただけだった。1985-86シーズンには22歳でクリスタル・パレスに加入し、2部でコンスタントに実績を残したものの、1部昇格後は苦戦した。

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だが1990-91シーズンに27歳となったときには優秀なストライカーに成長しており、アーセナルへステップアップしたあとは驚異的なスピードでネットを揺らし続けた。キャリアで324ゴールを記録したが、その半分以上は30代になってからのもの。

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