検察庁法改正案、問題は政権の政治姿勢 黒川検事長辞任で終わりではない

By 尾中 香尚里

 検事総長ら検察幹部の定年を内閣の判断で延長可能にする「特例」を盛り込んだ検察庁法改正案について、政府・与党は今国会での成立を断念した。法案の問題は言うまでもないし、すでに多くの指摘もなされているので、ここでは繰り返さない。 だが、ここで改めて思い起こすべきことがある。法案提出の前段、つまり黒川弘務・東京高検検事長(22日辞職承認)の定年延長を、法令解釈を変更してまで安倍政権が閣議決定した問題だ。

 検察庁法改正案は「三権分立の侵害」という観点から批判されている。だが、この閣議決定が提起する問題は、それとはやや異なる。「規範的な法令解釈を自分たちに都合よく変更する」ことに何の躊躇(ちゅうちょ)も持たない、安倍政権の政治姿勢そのものだ。それは、黒川氏が辞任してもしなくても、全く変わるものではない。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

衆院本会議に臨む安倍晋三首相。答弁で黒川弘務東京高検検事長に国家公務員法の勤務延長を適用するに当たり、法解釈を変更したとの見解を示した=2月13日

 少し経緯を振り返りたい。

 安倍政権が黒川氏の定年延長を閣議決定したのは、1月31日のことだった。2月7日に定年を迎える黒川氏の定年を、そのわずか1週間前に「駆け込み」で半年間延長したのだ。

 この人事は「黒川氏が官邸に近い」とされることに焦点が当たりがちだったが、筆者にとって、それは大きな問題ではない。問題は手続きである。

 検察官は準司法官であり、人事の規定は一般の国家公務員とは異なる、とされてきた。政府は1981年、定年に関する国家公務員法の規定について、検察官には「適用されない」との国会答弁を残しており、その法令解釈が定着していた。

 ところが、安倍晋三首相は閣議決定後の2月13日、衆院本会議で突然「検察官の勤務(定年)延長に国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と答弁。国民に何の説明もなく、いきなり「法令解釈の変更」を事後的に国会でぶち上げたのだ。

 法令解釈の変更それ自体を批判したいのではない。今回の新型コロナウイルスへの対策など、緊急時に柔軟な法令解釈が必要なこともあるからだ。

 だが、今回の検察官の人事をめぐる法令解釈の変更は、憲法の三権分立のありようにも影響を及ぼすものだ。なぜ変更が必要なのか、変更の内容は合理的か、政府は国民の理解を得るために、丁寧な説明を行うべきだろう。

 そもそも、こうした変更を「法令解釈」で行うことが間違っている。きちんと法改正するのが筋だ。黒川氏の定年を延長したかったのなら、それに間に合うように検察庁法の改正案を国会に提出すれば良かっただけの話だ。

 もっとも、仮に安倍政権がそうした手続きを踏んだとしても、おそらく今回と同様に大きな反発を受けただろう。政権もそれを理解していたと思われる。

 どうせ国民に理解されないのなら、内閣だけで決めてしまおう。あの閣議決定には政権のそんな姿勢が透けて見えて、何ともやるせなかった。

集団的自衛権行使容認のため憲法解釈を変更する閣議決定案について正式合意した与党協議会=2014年7月、衆院第2議員会館

 この閣議決定から思い起こすのは、2014年に憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定が行われたことである。

 一般の法令の解釈どころではない。国の最高法規たる憲法解釈の変更である。安倍政権は「戦後日本の安全保障政策の大転換」と言われるようなことまで、国会を通さず閣議で憲法解釈を変更したのだ。現行の安全保障関連法は、この閣議決定を「後付け」する形で、翌年制定されたものだ。

 国会を通すことなく、閣議決定でそれまでの法令解釈をゆがめ、後からそれに合わせた法律を制定してつじつまを合わせる。今回の検察庁法改正案も、あの時の政権の手法と、とてもよく似ている。

 そう言えば「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としてきた政府見解とは、1981年の政府答弁書である。今回の検察人事をめぐり脚光を浴びた国家公務員法の法令解釈と同じ年のもの。単なる偶然とはいえ、妙に示唆的だ。

安倍政権によって法務省官房長から法務事務次官、東京高検検事長に順次引き上げられ、定年延長となった黒川弘務東京高検検事長=2019年1月

 今回の検察庁法改正と集団的自衛権の行使容認との違いは、検察庁法改正案は、黒川氏の定年延長を「後付け」で正当化することにはならない、ということだ。仮に法改正が実現しても、法律の施行は2022年4月で、黒川氏の定年延長にさかのぼることはできない。定年延長の閣議決定が、従来の法令解釈を脱法的に変更したものだとするなら、黒川氏は本来、すでに退官済みだったはずであり、その後の検事長の立場は「違法状態」と言えるものだ。それは今回の法改正でも変わらない。

 繰り返すが、この定年延長問題で問われているのは、法令解釈を自分たちの都合良く変更して人事を行った政権の姿勢だ。安倍首相は15日配信のインターネット番組で「黒川さんと2人でお目にかかったことはない」と述べ、黒川氏との「親しくなさ」を強調したが、黒川氏が首相と近いかどうかは、この際全く関係ない。仮に定年延長の対象が黒川氏でなくても、こんな人事は行われるべきではないのだ。

 検察庁法改正案の行方のみに気を取られるのではなく、問題の端緒となった閣議決定を改めて振り返り、そこからうかがえる安倍政権の政治姿勢のありようについて、さらに問い続ける必要があると思う。「黒川氏の辞任で幕引き」にしてはならない。

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