「大臣が先か優勝が先か」 甲子園中止で考える、沖縄の高校野球熱が高いワケ

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春夏連覇を達成し、マウンド上で喜ぶ興南ナイン=2010年8月21日、甲子園球場

 全国的にも高校野球熱が高いと言われる沖縄。甲子園出場の歩みは沖縄の歴史の歩みと重ねて語られる。

 沖縄の代表校が初めて甲子園の土を踏んだのは1958年夏。米軍統治下の沖縄から出場した首里高校が1回戦で敗れ、記念に持ち帰った甲子園の土は検疫で沖縄に持ち込めず港で廃棄された。

 72年の復帰以降は沖縄の社会発展の指標として「大臣が先か、甲子園優勝が先か」と例えられ、全国制覇は「県民の悲願」と口にされるようになった。

 県民の高い関心を受け、県代表の球児も90年、91年の沖縄水産の2年連続準優勝、99年の沖縄尚学の選抜優勝、2010年の興南の春夏連覇と活躍。

 県代表の甲子園の試合中継が始まると、観戦のため外出する人が極端に減るほか、街中のパブリックビューイングでカチャーシーを交えた熱狂的応援が繰り広げられる光景は、沖縄の春夏の風物詩になっている。

歴史を背負う沖縄の高校野球

■ボーダーインク編集者 新城和博さん

 高校野球は戦後沖縄の歴史を背負っている。米軍統治下で甲子園に特別参加するなど、他県とは違う歴史がある。他県の選手と比べて体力的に歴然とした差があり、本土復帰を経て、そこから戦えるようになった。ボクシングの具志堅用高さんと甲子園は象徴的なものだ。

 沖縄水産の2年連続準優勝、沖縄尚学の選抜優勝、興南の春夏連覇と、高校野球の歴史をたどるだけでも沖縄の社会が力をつけたことが分かる。

 今回の中止は自然災害的なもので、仕方ないということに尽きる。何かが悪いというわけじゃなく、戦争には例えたくない。やっぱり生命が大切。適切な判断だったと思う。

 甲子園だけでなく沖縄大会から楽しみにしていたファンも多いが、球児たちには、自分たち大人では考えられないような喪失感があると思う。

 高校野球だけでなく、インターハイや全中も中止になった。生徒みんなが新型コロナウイルスに直面している。生徒の不安感を取り除く態勢をつくるため、学校や社会の果たす役割は重要だ。高校最後の試合を何らかの形で実現してほしいし、心のケアも必要となる。高校生にとって「コロナに負けなかった」という記憶になってくれれば。

 高校生たちには「意外と人生は長い」と伝えたい。青春が終わってからの方が長い。いつか、苦笑いしながらでも振り返るようになってくれればと願う。

沖縄と夏の甲子園