リアルな時代のアルバム「TOKYO GRAFFITI」が教えてくれた“LOVE is FREE!”と生き方のヒント。

創刊から今年で16年目を迎える若者向けカルチャー雑誌『TOKYO GRAFFITI(東京グラフィティ)』。様々なライフスタイルを発信する前衛的な企画は、授業終わりに原宿で遊ぶ大学生や奇抜なコーディネートで周囲の目を釘付けにするファッショニスタなど、「今」を生きる若者たちが主役となって登場している。この雑誌は、そこにあるリアルなものだけを伝える時代のアルバムと言っても過言ではなく、その特徴はさらにもう一つある。
それが、物事に対する見方ないし見せ方が非常にフラット、恋愛やセクシュアリティに対する捉え方もシンプルかつナチュラルであるということ。LGBTsであろうが変わった趣向であろうが、異質なものとしてではなく、ひとつの個性として、私たちの日常に溶け込んでいるのだ。

今回はそんな東京グラフィティの中でも、ジェンダーや年齢、恋愛対象などに対する価値観を取っ払い「自由な恋愛のカタチ」を教えてくれた3冊をご紹介。筆者に生き方のヒントを教えてくれたエピソードを交えて、お届けするわ♬

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#ゲイカップルの愛のカタチ

こんなに見開きいっぱいにゲイカップルとして誌面を飾れるなんて羨ましいけど…バレちゃってもいい?

「恋愛は自由!」と銘打たれた第61号を手に取ったのは、21歳になったばかりの頃。ご縁があって編集部に伺った際、会議室の本棚に並べられたバックナンバーを読んでいて、ページをめくる手が止まったのが、「会社員Sさんと大学生Yさんの3歳差ゲイカップル」のインタビューページだった。

黒髪短髪でどこかのんびりとした雰囲気が漂う二人が公園でハグする写真を見た時は、私もいつかこんな風にお付き合いする男の子ができてハグなんてしちゃうのかしら? なんて羨ましく思う反面、「でも恋愛関係にある人と雑誌に出ちゃっても大丈夫?それにゲイって言っちゃって平気なの?」なんてありがた迷惑な心配もしちゃったのが本音だけれど、見開きで大々的に掲載されることを承諾したってことは…逆に世間のLGBTsに対する見方を第三者の視点でしっかり考えた上での行動であって、他者からのネガティブな意見も聞き流せる心の強さみたいなのを持っているんだなぁと帰り道のキャットストリートを歩きながらぼんやり考察した記憶が残っているわ。
それに大学生のYさんはその時私と同じ21歳。LGBTsへ理解も今ほどではなかった2009年に彼は素敵な相手とオープンにしたゲイライフを歩み、かたや私は、愛情を注ぐ相手もいなければ、好きな人に出会う機会を作ろうともしないクローズだった。そんな自分が虚しく思えた時期が地味に長く続いたわ…(笑)。

ただ、それからも彼らのキラキラした印象が忘れられなくて、数ヶ月後には出会い系アプリをダウンロードし、しっかり恋人をゲットしたんだけど、交際期間の前後を考えてみると、少なくとも自分の中で完全に閉め切られたセクシュアリティに対するガードが緩くなった感覚があったのは確か。
対外的なことで言えば、今まで自分自身がゲイであることについて「絶対バレてはいけない!知られたくない」ことだったものが、彼氏のSNSアカウントに自分の姿を「恋人」として投稿されるのも嫌じゃなかった、というか嬉しかったし、ノンケの友達にも「あ、この人に恋愛相談されたら男と付き合っていると言っても良いかも」と思えるようにもなったんだよね。
もちろんLGBTsへの理解が広まりつつあった時代に背中を押されたと言うのもあったけれど、家族以外に自分を愛してくれる人が一人いるだけで、強気に生きられると言うか…自信が持てると言うか…あるいは一種の保険みたいな感覚もあったのかもしれない。「誰かに本当の自分を受け入れられてもらえなかったとしても、私にはこの人がいれば良い」みたいな感じで自身のセクシュアリティについてフランクに考えられるようになったの。

山Pが昔出てた月9ドラマの名言「Love makes me strong(愛は私を強くする)」って本当だったのね(若さゆえの妄想!笑)。まぁ強くなったかと言われたら話はまた違ってくるけれど、自分と同じ20代でゲイの人をメディアで目にする機会が少なかったから、彼らの笑顔や飾らない生活というのは自身の将来像を描く上でとても大切な要素だったの。

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#合わせて4人の愛のカタチ

愛する人は一人という固定概念がガラッと変わる複数恋愛=ポリアモリーという生き方

「恋愛関係における愛情とは、愛し合う男女2人によって育まれるもの」といった考えが日本ではスタンダードとして存在しているけれど、ここ数年でLGBTsの存在が少しずつ認知・理解される世の中へと変わってきただけに「男女」に限らず「男性同士」「女性同士」「そもそも恋をするのにセクシュアリティやジェンダーは関係ない」といった、たくさんの愛の形があることが日本にも当たり前にあることとして浸透し始めているわよね。
こういった面からセクシュアリティやジェンダーで愛の形を区切ったり、決め付ける風潮は私が幼少期だった頃と比べると少なくなってきたように思える。だけど、「愛し合う関係性を築けるのは2人1組である」ということに関しては疑いもしなかったものだから、複数の人たちが互いの承認を経て恋愛関係で結ばれているポリアモリーという付き合い方があると目にした時は「そんな関係、本当に成立するの!」って大学生で恋愛経験の少なかった私にとっては衝撃的だったわ。

その言葉を知った3年前は、情報に疎かった私でもオープンリレーションシップという言葉は耳にしたことはあって、あくまで体だけの関係を主とした関係性で情が入ることはないイメージを持っていたから「恋人容認のセフレに近い感覚かぁ」とイメージしやすかったし、欧米やゲイの世界においてもこういった付き合いの形態は珍しくないみたいだったからスッと入ってきた。だけど恋愛感情が確かにあるポリアモリーという愛のカタチとなると話は全く別。恋人に別の恋人がいて、精神的、肉体的に他者との繋がりを持っていることをお互いに容認した関係ってこと?ギクシャクしないの?それ以前に本当に好きなの?…と初めは飲み込むのにすっごくすごーく時間がかかったのを覚えている。

誌面では30代の夫婦2人と20代の夫の恋人2人、計4人の関係性や正直な心の内が綴られている。やっぱり嫉妬心がなかったり、他の人とデートしても寂しくないわけではないみたいだけれど、3人の女性と夫婦、恋愛関係にある夫・Yさんの「ポリアモリーの良さは誠実でいられること」という言葉に少し共感してしまった自分がいたの。要は自分の気持ちに嘘がない生き方よね。新たに好きな人ができたら、今お付き合いをしている人にその気持ちをしっかりとお伝えした上で、別の方と同時並行する。それに妻・恋人と区分けしているわけでもなく3つの恋愛関係がそこにあるだけという認識で、他の女性の方々もYさん以外に好きな人がいるらしい。4人の生き方を少し手をのぞかせていただいて思ったことは、とても軽やかに気持ちの思うままに生きているなということ。「恋人は1人まで」といった当たり前に思えていたことに対して、「そう言えばそんなルール誰が決めたのかしら?」と恋愛・結婚における常識を疑う機会を与えられたものだから、鮮明に覚えているの。

私はと言うと、何事においても一つの物事にしか集中できないものだから、彼らのようなポリアモリーという関係性で恋愛を結ぶ未来は想像できないけれど、愛情をシェアすることがスタンダードになる時代がやってきたとしても、不思議と嫌な気はしないかも。愛することは一旦置いといて、3人に愛されるってどんな気分なのか一度体験してみたい!

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#既婚男性とラブドールの愛のカタチ

千滋さんと恋人のラブドール・沙織との日々を記した長期連載企画「沙織との日々」

63歳の千滋さんとラブドールの恋人、沙織さんの何気ない日常をダイアリーのようなテイストで紹介する連載企画。お団子を食べながらお花見に行ったり、童心に返って公園の滑り台で遊んでみたり、寒い冬は二人でしっぽりと鍋を囲む…その姿が不思議と恋仲に見えてくるから不思議よねぇ。二人の会話に耳を傾けてみると(沙織さんの声は千滋さんが心通わせて聞こえてくるものだと思う)、千滋さんはとっても大らかで愛が深く、沙織さんは千滋さんをツンとしたトゲのあるような言葉であしらっているように見えるけれど、どこか放って置けない存在としてちゃんと想っているところが素敵。
昨年4月に発売された東京グラフィティでは「沙織との日々」がおよそ30ページにもわたって特集されていて、その中でも千滋さんが沙織さんからの言葉が見開きいっぱいに綴られているページがとても印象的に残っている。「毎日行ってきますと声をかけてくれる」「私の部屋を埃なくきれいにしてくれてありがとう」「外出する時は私が恥ずかしくないよう髭を剃って髪をといているわね」など何気ない日常の中で感じた、余すことなく注がれた愛情への感謝とも取れる言葉ばかりが並んでいるの。もう一度確認のために言うけれど沙織はラブドールであって、話すことはない。あくまで千滋さん本人が感じ取ったものだけど、沙織が生きているような感覚にふと落ちる瞬間があると言うか。きっと彼が彼女に注いだ愛情がそうさせているのね。

正直言うと上京してから東京には「変な人」が多いなって思う時がいっぱいあった。セーラー服や魔法少女の装いをしたおじさんもいれば、レオタード姿でおまるに跨がるおじさん…おじさんばっかりだから、竹下通りに不定期で現れるラジカセ担いでGree○enの曲を爆音で流すおばさんもラインナップしておくわ。とにかくそういう人たちにたくさんエンカウントしたのだけど、沙織との日々を読み重ねていくうちに彼や彼女らのことを「面白い人」と思えるようになった。要は存在を肯定的に見られるようになれたの!
それはきっと、千滋さんを「変な人」だと認めなくない気持ちが芽生えたからなのかもね。もし、断片的な情報でしか判断できないような街中で見かけていたら「人形連れた変な人」で終わらせていたと思うし、人と無機物が恋人関係として付き合うなんてことはできないとずっと思い込んでいたはず。やっぱり人って話したりバックボーンを知ったりしないと分からないもんなのだとつくづく思い知らされた気がしている。

とにかく良いの、千滋さんが沙織さんを恋人って言っているんだからそれ以上でも以下でもないし、奥さんと娘さんも二人の関係を認めているのだから。
そう言えば私が中学生くらいの時に夕方のニュース特集でゲームの中の彼女と旅行をするおじさん(その人は食事もお布団も二人分用意していたの)を「どう?変じゃない?おかしくない?」とドヤ感満載で報道していた局があったけれど、「やっぱり誰が誰に愛を注いでも良いんじゃない。何だったのよあの特集は!」と思い返して、あの時に「変な価値観」を受け入れてしまった自分に腹が立ったわ。愛する人がたとえ人でなかったとしても当人が幸せならそれで良い。恋愛対象の自由を教えてくれた二人のことはこれからも陰ながら見守らせていただきます。

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東京グラフィティと出会う前は正直、セクシュアルマイノリティである自分を「変な人」と思ってしまって受け入れられなかったのだけど、一読者として毎号目を通す度にそんな自己嫌悪のようなものが少しずつ薄れていった。
雑誌といえば「次」のトレンドを生み出すことが使命のように思われるけど、編集長は流行を作り出すというのではなくて「今起きていること」をとっても大切にするような人。それにターゲットのセクシュアリティや年齢といったことが細かくセグメントされていない分、誰が読んでも良いし排他的な感じもない。例えば男性ファッション誌で言うと「女子モテファッション企画」のようなものがあるけれど、ゲイの私にとっては女子にモテたいと思ったことがなかったから、蚊帳の外に感じてしまうことが少なからずあった。「男子は女子にモテたい」「この年齢はこういうファッション」みたいな当たり前を押し付けず、逆に出ている一般の方たちの姿や考え方を通して、読者に「普通とは?」を問いかけ考えさせる狙いもあったはず。

「普通」を何とするは別としてその許容範囲を広がれば、フラットなものの見方をする社会にも繋がるから、そういった真意もあったんじゃないのかな。なぜそんなことが言えるのかと言うと、実は東京グラフィティとは別でこの会社が作っていた高校生カルチャーマガジン『HR』の編集者として一年半ほど仕事に従事していたことがあるからなの(笑)。編集長以外に編集部の方たちと気兼ねなく話す関係ではあったのだけど、彼らはLGBTsを始めるマイノリティから先ほどお話ししたような街中で見かける「変な人」とも対等かつ真摯に向き合っていたし「イロモノ」のように扱うことはしなかった。そう言った背景もあって東京グラフィティはどんな人に対してもナチュラルに接し、そのままを発信しているまさに「時代を切り取るアルバム」と思えたの。「自分が思ったことが正解!」ということを言葉じゃなくて多様な人の普通の日常を通して教えてくれる『東京グラフィティ』、見かけたついでにパラっとページをめくれば生き方のヒントに出会えるかも♬

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■ TOKYO GRAFFITI/株式会社グラフィティ
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※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。

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