安倍総理、伊勢神宮に遥拝しましょうか|有本香【香論乙駁】 「前代未聞の静かな東京の景色を見ていて、ふと、私たちの先人が「疫病」といかに向き合ってきたのか、について疑問が湧いた」。日本は「疫病」とどのように向き合ってきたのか。その鍵は、伊勢神宮にあった――。

初めて見る「異景」――マスメディアにも大激震

今月も、中国・武漢発のコロナウイルス禍について書かせていただく。

4月7日、安倍総理が「緊急事態宣言」を発出してから、私が住む東京の景色は一変した。1300万の大都会が、完全な「ステイホーム(家で過ごそう)モード」となって休止したのである。

日本一の繁華街、銀座4丁目交差点に鎮座する和光、三越といった老舗デパートはじめ、有名店のシャッターがことごとく下りている。ほんの2カ月前まで、外国人観光客であふれかえっていた通りに、人影はほとんど見られない。

銀座だけではない。赤坂、六本木、西麻布、新宿等々にある高級レストランから小さな飲食店まで、軒並み臨時休業だ。東京に住んでかれこれ40年近くなるが、初めて見る「異景」である。

マスメディアにも大激震が走っている。

尤もいまや『報ステ』に限らず、ロケもできず、スタジオ内では人と人とが相当の距離を取らねばならないなど制約が多いため、従来の番組制作はできない。国民の大半が家に居てテレビを見られる環境にある、つまり史上最大の「かきいれ時」であるはずのいま、地上波テレビが、再放送だらけの半休眠モードとなっているのだ。

いままで当たり前にあったもの、あるいは日本の繁栄の象徴のようだったものがことごとく、存在意義を問われている。

一見静かな街には、仕事や顧客を失って生活をどうするか、家賃をどうやって払おうか、と悩む人たちが少なくない。逆に、医療関係の人は毎日、感染のリスクを負いながら、地獄の忙しさのなかで患者と向き合っている。誰もがストレスを抱え、将来への不安を抱え、政府や国会議員への不満を抱えている。だが、東京で暴動を起こす人はいない。

諸外国のように、警察官が武器を携行して市民を追い立て「ロックダウン」せずとも、総理大臣の「一声」で、これだけ見事に営業や外出を「自粛」する国民は、世界のどこにもいまい。

これが日本だ、とは言える。

日本は「疫病」といかに向き合ってきたのか

前代未聞の静かな東京の景色を見ていて、ふと、私たちの先人が「疫病」といかに向き合ってきたのか、について疑問が湧いた。

日本最古の歴史書『日本書紀』には、第十代・崇神(すじん)天皇の御代(西暦では3世紀後半~4世紀前半)に「疫病で国民の大半が死亡した」という記述があるが、どうやらこれが日本史上初の「疫病」の記録のようだ。

若き畏友で歴史学者の久野潤氏に尋ねると、即、次のような答えが返ってきた。

「どのぐらいの死者が出たかは学者の間でも議論のあるところですが、このときの疫病対策の結果として伊勢神宮ができたのです」

久野氏の話を要約するとこうだ。

日本における政(まつりごと)は、皇祖神である天照大御神が、孫の瓊々杵命(ににぎのみこと)に三種の神器[八咫(やた)の鏡、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)]を授け、豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)を高天原(たかまがはら)のようにすばらしい国にするため、天降るように命じたことから始まる(天孫降臨)。

初代・神武天皇から現代まで、この三種の神器は天皇により受け継がれてきたが、当初これらはすべて皇居のなかで祀られていた。

しかし十代・崇神皇の御代で疫病が大流行し、国家存亡の危機に直面した際、それまでの「まつりごと」に誤りがあったのではないかと省みられた。ここで言う「まつりごと」とは、政と祭祀の両方の意味を持つ。

その結果、ご先祖だとは言え、人間である自分たちの居城内に天照大御神を祀ることは不敬だったのではないかとの結論に至り、天照大御神を表す八咫の鏡を然るべき場所にお祀りしようと外に移す。ここで疫病禍は収まった。

その後、さまざま経緯を経て、次の垂仁(すいじん)天皇の御代に、伊勢に祀られることとなる。

話の最後に久野氏はこう付け加えた。

「私は何も、今回のウイルス終息を願って、第二の伊勢神宮を建てたらいいと言うわけではありませんよ」

もちろん、そんな誤解はしていない。氏の話からわかることは、日本人は疫病を、制圧すべき対象とのみ捉えてきたのではないということだ。我々の先人は、多くの犠牲を払うなかで謙虚に自らを省み、社会を良き方向へ変えていく「奇貨」としてきたのである。

今回の武漢ウイルス禍に向き合う安倍総理と私たちは、明日から、伊勢に向かって遥拝(ようはい)することから始めるべきかもしれない。

(初出:月刊『Hanada』2020年6月号)

有本香

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