【teams】名門で4度の甲子園も「野球が大嫌いに」…後悔から草野球で取り戻したもの

智弁和歌山で活躍し、草野球などで楽しみを伝えるジャスティス上野さん【写真:本人提供】

智弁和歌山で2002年夏準V経験、ジャスティス上野こと上野正義さん

草野球、スクール講師、そして時にはYouTuberとして野球の楽しみ、喜びを伝えている野球人がいる。ジャスティス上野こと上野正義さんは、智弁和歌山では甲子園に4度、出場。2002年夏は2年生のレギュラー遊撃手として明徳義塾(高知)との決勝戦で適時打も放った。進学した明大を中退し、一時は「野球が大嫌い」になったが、今では生活の一部になっている。後悔から“リスタート”し、生きがいを取り戻す姿は同じ境遇の人にも通じるかもしれない。

YouTubeチャンネルには多くの高校野球ファンが集まる。智弁和歌山の先輩、後輩が登場したり、甲子園で対戦したことのある選手とトークをしたりと、当時の秘話がたくさん飛び出す。今は活動を休止しているが草野球の映像では楽しむ姿だけでなく、高い技術にも目を奪われる。

上野さんは強力打線で全国優勝した2000年の翌年、智弁和歌山に入学。1年生から頭角を現し、4季連続で甲子園に出場。2年夏は準V、3年夏は「3番・遊撃手」で出場し、2回戦で優勝した常総学院(茨城)に敗れた。高いレベルで野球をするため、東京六大学リーグの明大に進学したが、当時まだあった上下関係など、高校時代にはなかった“壁”にぶつかった。

「そこは自分がやりたいと思える野球の環境ではないなと思ってしまいました。下級生で野球をやりながら、いかにこの状況から逃げるかというような考えを持っていました。野球と向き合えなくて、大嫌いになってしまい、野球を辞めてしまいました」

幼少期からずっとそばにあった野球。上野さんはレベルの高いチームに属し、大きな目標に向かって、厳しい練習を乗り越えてきた。しかし、大学の時は「頑張れる要素が見つからなかった」。プロ野球など見ることもなくなり、興味がなくなってしまった。上野さんは大学も辞めた。

2年間ぐらいボールもバットも握らない、今までにない日常を過ごしていた。アルバイトもしたことがなかったため、見えた新しい世界もあった。

転機は知人に誘われた草野球だった。その光景は目を疑うものだった。終盤、負けているのに選手たちはニコニコしながら野球をやっていた。

「草野球というものに、全く興味がなかったんですが、一回、行ってみようかなと。でも、代表の方に『こんなんでいいんですか?』と聞いたのがきっかけで、いろんな話をする中で“どハマり”していきました」

勝負の世界で戦っていた感覚が戻ってきた。

「勝ちたいという思いに気付いたといいますか、気付こうとしなかったところに、触れられた感じです。『こんなんじゃ、あかんな』って。『どうせやるなら、勝とうぜ』って、人に言われてやる草野球というか、自らが進んでチームの目標を一緒に考える野球をしたいなと思うようになったんです」

チームの輪に加わり、率直な意見を言い合うようになった。勝つための準備、失敗を繰り返さないこと、サインプレーやチーム内の取り決めなど、外から見たら厳しく映るようなことも仲間と共有していくうちに、野球を全力で楽しめるようになった。

今でも野球がうまくなっていると実感できるほど楽しい草野球「18、19歳だったらもしかして…」

「草野球は自由だと思うんです。チームには色がありますし、そのチームの良いものを見せて行っていければいいと思います。野球はいくつになっても、上手になるし、楽しくなるなとも感じています。智弁和歌山で3番(打者)とかを打たせてもらえましたが、バッティングは今の方がいいと思っていますし、この状態で18、19歳くらいだったら、本当にプロを目指せるんじゃないかなと勝手に思ってるくらいです」

自分を「守備の人」と言うが、草野球チーム「クーニンズ」では、中心打者。草野球チームマネジメントツール「teams」で個人成績を見ると、上野さんの高い打撃成績が見てとれる。自身のYouTubeチャンネルでも打撃映像をアップしている。高いパフォーマンスを披露することが使命とあり、草野球活動は休止しているが、準備だけは怠らないようにしている。高い意識はプロと同等だ。

「(緊急事態宣言で)趣味を奪われた感じで、物足りなさは日々感じていますが、個人の楽しみだけで動くわけにはいきません。ただ、野球をやってない間があったから、動けないというようなことがないようにしたいという話はみんなとしています」

上野さんは、ベースボールアカデミーも開講し、野球を教えている。そこには動画を見て、集まってきた子供たちも多くいる。

「草野球でもこれだけ熱くなれて、一生懸命できるんだと言う思いを見せたいなと思っていますし、30歳を超えた今でも野球が上手になっているという感覚があるということは、小・中学生ならば、もっともっと上手くなるんじゃないかと思うんです。自分で限界を決めず、一生懸命やったら、たとえプロにならなくても、納得感はあるはず。自分の思った通り、一生懸命やってほしいですね」

一度、野球から離れてしまったからわかることもある。その期間は上野さんの人生にとって大きな時間だった。

「今、考えると野球を辞めてしまったという後悔もありますし、リーグ戦に出場した明大の同級生と集まって話をした時、立場が少し違うな、と思ってしまうこともあります。でもその経験が、草野球をやる中で、めっちゃ野球が好きと言うことにもつながっている。(良かったこと、後悔の思いは)両方あるかなと言うような感じです」

まだまだ、自分の技術の伸びしろを感じているというから驚きだ。敵は年齢に伴う体力面だと笑う。誰だって、大きな壁、目標を失うことはあるだろう。だが、大切なのはそこをどう乗り越えていけるか。上野さんは動画や野球塾を通じて、自分の経験を伝えていく。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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