西武の山川、甲子園中止で球児へ熱いツイート 「落ち込んでも怒ってもいいよ!」 

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 戦後初めてとなる夏の甲子園中止が決まったことを受け、5月21日未明に西武の山川穂高内野手が自身のツイッターで高校球児へ熱いメッセージを送った。このツイートは22日午前11時までに約2500リツイートされ、1万6000の「いいね」を集めた。
 
<山川選手のツイート>
よく森と高校時代の話をします。
甲子園で活躍したとか、打ったとかの話は少なく
実は甲子園に出るために、甲子園で勝つためにどれだけ努力できたかの話がほとんどです。
とは言っても俺が高校生ならやる気はでないな。
落ち込んでも怒ってもいいと思うよ!
もうちょいしてから前に進もう!

甲子園に届かなかった高校時代 努力重ねてプロへ

 山川自身は、甲子園出場経験がない。中部商業高校時代は2年生秋から4番打者として活躍。最後の夏には県大会決勝に進んだが、2年生エース島袋洋奨(元ソフトバンク)を擁する興南に2-4で敗れ、あと一歩で「聖地」への切符をつかめなかった。興南は翌年、史上6校目となる甲子園春夏連覇を達成した。

 自他共に認める努力家。高校時代は練習後に監督へ「おかわり」を直訴し、真っ暗になってから警備員よりも遅く帰った。富士大(岩手県)に進んだ後も、夜中にマイナス5度の中でバットを振るなど鍛錬を重ね、1年生から4番に座ると2011年には日米大学野球選手権で日本代表入り。13年のドラフトで西武から2位指名を受けてプロ入りした。

 プロ入り後の活躍は周知の通りだ。「4番を狙いにいく」と宣言した18年に開幕から全試合に4番として先発出場。47本塁打を放ってチームを10年ぶりのリーグ制覇に導き、初タイトルとなる本塁打王とパ・リーグのMVP(最優秀選手)に輝いた。続く19年にも43本塁打を記録、2年連続本塁打王を獲得し、球界を代表するスラッガーとなった。

 山川は19年12月のインタビューでこう答えている。

 「僕は努力という表現は好きじゃない。全ては練習。10回やってできる人も、100回やってできる人も、1回でできる人もいる。差はあるが、できるということは一緒。みんな他人と少し差がつくと諦めるが、諦めなければ結局できる」

 新型コロナウイルスの感染拡大でプロ野球は開幕が延期された。セ・パ両リーグが目指す6月後半の開幕をにらみ、山川は「今日必死になれない人が、後から必死になることはできない」と準備を怠らない。ひたむきに野球と向き合い、荒波を越えてきた男が、晴れ舞台を失った高校球児たちに道を示す。

(大城周子)