グラミー賞の主要部門を独占したクリストファー・クロスのデビューアルバム『南から来た男』

『Christopher Cross』(’79)/Christopher Cross

1981年のグラミー賞授賞式で起こったことは未だに覚えている。それぐらい衝撃的であった。経歴や顔すら分からない新人が、最優秀アルバム賞、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀新人賞の主要4部門を含む5部門を受賞したのである。その新人というのが今回紹介するクリストファー・クロス。彼のデビューアルバム『南から来た男(原題:Christopher Cross)』は79年にリリースされ、ジャケットはフラミンゴのイラストが描かれているだけのシンプルなもので、バイオグラフィーもレコード会社の思惑でほとんど紹介されなかった。その前年、日本では映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が公開され大ヒット、世界中でディスコ音楽が大流行しており、ディスコと縁のないポピュラー音楽ファンは不遇の時代を味わっていたのだが、そこに彗星の如く登場したのが『南から来た男』で、本作はAOR系サウンドの傑作だと言える。

ウエストコーストの香りがするAOR作品

1976年にリリースされたボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』は、アメリカ西海岸産のロックとフュージョン系サウンドが合体した本格的なAOR作品として、大人になったロック少年たちから大いに評価された。バックを務めたのはジェフ・ポーカロ、デビッド・ハンゲイト、デビッド・ペイチ、スティーブ・ルカサーら、この後にトトを結成することになるスタジオミュージシャンの面々であった。その翌年にリリースされたスティーリー・ダンの『彩(原題:Aja)』は、チャック・レイニー、スティーブ・ガッド、ラリー・カールトン、トム・スコット、リー・リトナーら、これまた一流の面子が参加しており、『シルク・ディグリーズ』と比べるとフュージョンの要素が濃い仕上がりとなっていた。

70年代中頃から終わり頃にかけてのアメリカのロックは、リスナーが成長するのに合わせてアダルト化が進んでおり、多くのロックアーティストたちが上記の2作に影響された作風のアルバムを制作していたように思う。70年代前半に一世を風靡したジャクソン・ブラウンやリンダ・ロンシュタットらのような西海岸のシンガーソングライターたちも、シンセポップが主流になる80年代初頭まではAOR系のサウンド作りへとシフトしていた。

独特のバックミュージシャン

そんな中でクリストファー・クロスはデビューする。サウンドの要となるベースはアンディ・サーモン、ドラムにはトミー・テイラーという無名のミュージシャンたち。彼らふたりはクロスと同郷のテキサス在住のミュージシャンである。本作はワーナーブラザーズという大手レコード会社からのリリースであり、AOR系の新人アーティストであれば(それもシンガーソングライター)、当時のアルバム作りの王道としてはドラムにジェフ・ポーカロ、リック・マロッタ、カルロス・ヴェガ、スティーブ・ガッドあたり、ベースにはウィルトン・フェルダー、デビッド・ハンゲイト、ボブ・グロウブあたりを使うのが妥当だと思うのだが、そうしなかったのはクロスの強い主張があったとしか思えない。

プロデュースを務めるのは、ロギンス&メッシーナのアルバムやスティーリー・ダンの『Aja』にも参加するなど、当時売れっ子のマイケル・オマーティアン。彼ほどの実績を残していれば、彼の一存でセッションメンバーは決められるはずなのだが、なぜそうしなかったのか。不思議なことに、前述のベースとドラム、そしてギターのエリック・ジョンソンとキーボードのロブ・モイラーを除いては、ラリー・カールトン、ヴィクター・フェルドマン、マイケル・マクドナルド、レニー・カストロ、チャック・フィンドレーといった当時の凄腕メンバーが起用されているのだ。なぜ、一部の、それも要となるリズムセクションに無名のミュージシャンを起用したのだろうか。

なお、バックヴォーカルにはニコレット・ラーソン、ヴァレリー・カーター、J.Dサウザー、ドン・ヘンリーが参加し、ウエストコーストロックファンを大いに喜ばせる人選になっている。

リッチー・ブラックモアの代わりを 務めたクリストファー・クロス

新人によるデビュー作であるにもかかわらず演奏者の人選を一部任せていることから、マイケル・オマーティアンはクロスの非凡な才能を知っていたのかもしれない。

クリストファー・クロスはテキサス州サン・アントニオの出身で、若い頃から素人離れしたギターの腕前は知られていた。いくつかのハードロックバンドを渡り歩き、70年にサン・アントニオで行なわれたディープ・パープルのコンサートでは、体調を崩したリッチー・ブラックモアに代わってギターを弾いたこともある(その時、なんと19歳!)。地元ではブラックモアの完コピ少年として知られ、76年には地元のレーベルからシングル「Talkin’ About Her/It’s All With You」を1枚リリースしている。地元でギターが巧いことで知られていたクロスであるが、彼が一目置くほどのギタリストがエリック・ジョンソンであった。今ではギターフリークの間でロック界最強のギタリストのひとりとして知られるジョンソンであるが、クロスは“ジョンソンを世に出したい!”という思いから、本作『南から来た男』に起用するのである。

本作『南から来た男』について

この作品の聴きどころは、類い稀なるクロスの透明感のある美声であり、彼の経歴がまったく知られていなかったリリース時には、大物アーティストが偽名で出したアルバムだと言う者も少なからずいたぐらい、素人離れしたそのヴォーカルが魅力であった。また、前述のようにJ.D サウザー、ニコレット・ラーソン、ヴァレリー・カーター、ドン・ヘンリー、マイク・マクドナルドら、西海岸の人気アーティストたちがバックヴォーカルで参加しているので、どことなくウエストコーストロックの香りがするのも人気を集めた理由のひとつだと思う。

収録曲は全部で9曲。全てクロスのオリジナルで、どの曲もキャッチーでよく練られた楽曲ばかりである。元ハードロッカーの片鱗はなく、クロスは自分の声を活かすためにはどんな作風が合うのかを試行錯誤し、出した結果がAOR系のサウンドであった。本作からは「セイリング」(全米1位)、「風立ちぬ(原題:Ride Like The Wind)」(同2位)、「もう二度と(原題:Never Be The Same)」(同15位)、「セイ・ユール・ビー・マイン」(同20位)の4曲がヒット、日本でも大いに売れた。

もうひとつ、本作の聴きどころがある。それは各曲のギタープレイで、クロス自身が優れたギタープレーヤーだけに、こだわった部分であったのかもしれない。「セイ・ユール・ビー・マイン」と「もう二度と」の2曲では、本作の翌年にデビッド・フォスターとの双頭バンド、エアプレイを結成しAORサウンドの頂点を極めたジェイ・グレイドンの一世一代の名演が収められている。「愛はまぼろし(原題:I Really Don't Know Anymore)」「ザ・ライト・イズ・オン」はラリー・カールトンが、これまた難度の高いギタープレイを披露している。「哀れなシャーリー(原題:Poor Shirley)」と「風立ちぬ」はクロス自身が間奏でソロを弾いており、LPのリリース当時はクロスのギターソロはクレジットされていなかったから気づかなかったが、今聴くと彼がギタリストとして活動できるほどの才能であることが分かる。

そして、最後のナンバー「ジゴロの芸人(原題:Minstrel Gigolo)」で、クロスの“ジョンソンを世に出したい!”という声に応えるかのようにエリック・ジョンソンが渾身のギタープレイを披露している。ジョンソンのギターソロはカールトンやグレイドンを凌駕するほどの演奏である。ジョンソンの出番を最後に持ってくるあたり、クロスのジョンソンへの信頼度がはっきり分かるし、ジョンソンはその想いに応えるだけのプレイをしているのだからすごい。本作への参加でジョンソンの実力は一気に認められ(というか、想像を遥かに超えるテクニックを持っていた)、今では世界最高のギタリストのひとりとして活躍していることを考えると、クリストファー・クロスの貢献はほとんど知られていないが、地元を愛する彼の尽力でエリック・ジョンソンは世に出たわけである。

本作の成功の後、映画『アーサー』の主題歌「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(原題:Arthur's Theme (Best That You Can Do))」(‘81)を手掛けて全米1位の大ヒットとなり、2年連続でグラミー賞を受賞している。83年には2ndアルバム『アナザー・ページ』をリリース、このアルバムも良い仕上がりであったが、デビュー作のような大ヒットには恵まれなかった。

最後に、この4月、彼は新型コロナの陽性反応が出て歩行困難を訴えているというニュースが流れていたが、ツイッターなどで投稿も行なっているので、現在は徐々に回復しているようだ。

TEXT:河崎直人

アルバム『Christopher Cross』

1979年発表作品

<収録曲>
1. セイ・ユール・ビー・マイン/Say You'll Be Mine
2. 愛はまぼろし/I Really Don't Know Anymore
3. スピニング/Spinning
4. もう二度と/Never Be The Same
5. 哀れなシャーリー/Poor Shirley
6. 風立ちぬ/Ride Like The Wind
7. ライト・イズ・オン/The Light Is On
8. セイリング/Sailing
9. ジゴロの芸人/Minstrel Gigolo

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