元日ハム・ミラバル氏、現役復帰の思い明かす 新型コロナで「全てがストップ」

日本ハムで活躍したカルロス・ミラバル氏【画像:パーソル パ・リーグTV】

まだまだ現役でやりたい、球界復帰を目指す47歳のミラバル氏

チームの中心選手として期待され、日本球界に降り立つ外国人選手。4つしかない外国人1軍登録の枠は、ポジション争いとはまた別の争いになるし、言語の壁や文化の違いによる苦悩も計り知れない。そんな日本球界をサヴァイブし、あらゆる分野で現在活躍する外国人OB選手に、日本プロ野球外国人OB選手会の協力のもと話を聞く。

初回は、日本ハムで2000年から2005年まで投手として活躍したカルロス・ミラバル氏だ。

――現在は?

「ニューヨークに住んでいて、新型コロナウイルスの感染拡大以前は、小さい子どもたちからプロレベルの選手たちに向けて野球とソフトボールのコーチをしています。それと同時に、現役としてのプレー復帰も目指していました」

――独立リーグでの復帰?

「それはわかりません……新型コロナウイルスの状況次第です。今は全てがストップしているという状況です」

――ミラバル氏はJRFPA(日本プロ野球外国人OB選手会)のディレクター(理事)として活動、この職に就いたきっかけと活動内容は?

「私とウィリアム・ブルックス(JRFPA発起人)でさまざまなことを計画しています。Tシャツなどの記念グッズを作ったり、テレビゲームやカードゲームに過去の外国人OB選手を加えたり。そのようなアイデアを企業様と共に話したりしています。他にも外国人OB選手を呼んでのイベントなど、たくさんのアイデアをウィリアムと話しています。

あとは、他の外国人OB選手への声がけなども行なっています。外国人OB選手とファンとの接点を作ったりなど、できることはなんでもやろうと思って活動しています」

――2人の活動を楽しみにしているファンは多い

「ありがとうございます」

2019年に引退した元チームメート田中賢介氏への思い

――引退した田中賢介氏へツイッターでコメントを寄せていた、彼とのエピソードは?

「彼は本当に素晴らしい選手です。チームメートだった時のこともよく覚えていますよ。彼にはしばらく会っていなかったのですが、2019年のイベントで札幌へ行った際、ベンチ付近で彼に会いました。彼も驚いた様子でしたね。ハグを交わし、彼のこれまでの功績やメジャー挑戦などに『おめでとう』と伝えました。この年限りで彼が引退することを知っていたので『おめでとう』そして『おつかれさま』と伝えました。

彼は選手としても人としても本当に素晴らしいですし、この時はとても感傷的になりました。なにせ彼のプロキャリアの初期から知っていますからね。彼が最後のヒットを打った時に流した涙を見て、本当に感動しました。彼の家族、ファン、ファイターズを取り巻く全ての人々にとって、良いシーンだったと思っています」

――当時のチームメートとは今も連絡を取り合っている?

「何人かの選手とは、Facebookやツイッターなどのソーシャルメディアを通して、今も連絡を取り合っていますよ」

――ファイターズでプレーした最初の3年は東京が本拠地で、残りの2年は北海道が本拠地となりましたが、本拠地移転の際のエピソードは?

「とてもエモーショナルでエキサイティングな経験でした。私は2003年の東京ドーム本拠地最終戦で先発を任されていました。8回まで良いピッチングをしていたのですが、9回に逆転されてしまいました。本拠地としての東京ドームで最後の試合だったので、なんとしても勝ちたかったのですが……。そんなこともあって、とてもエモーショナルだったことを覚えています。

北海道への移転はとても新鮮な経験でした。当時のヒルマン監督はキャンプで『我々は新しいチームだ』と言っていましたし、北海道の地で我々を受け入れてくれる人々のために、できることはなんでもやろうと話していました。当時の北海道では、まだまだジャイアンツやタイガースのファンが多くいましたが『我々ファイターズは、あなたたちのためのチームです』という想いで、本当にさまざまな活動を行いました」

「2004年の目標はプレーオフ(現CS)に進むことでした。なぜなら、我々を受け入れてくれた北海道の人々に、ファイターズが“真の北海道のチームである”ということを示したかったからです。実際にプレーオフに進出ができて、とても嬉しかったですし、私はシーズン最後のホームゲームでも登板したのですが、北海道の方々が受け入れてくれたんだと、本当に嬉しく感じました。

昨シーズン、私が北海道に行った時には、いたるところでファイターズを目にしました。北海道に移転した際に、北海道初のプロ野球チームということを記念して、手形とサインのレリーフを作ったのですが、まだ球場の前に飾られていました。本当に特別な経験だったと思います。東京にもファンがいると思いますが、ファイターズはしっかり北海道に根付いていると思います。私たちが目指したものがカタチになっていると感じましたね。

2023年に新球場がオープンすると思いますが、その際には過去のチームやこれまでの軌跡など、ファイターズが持つ素晴らしい歴史にもスポットライトが当たると良いですね」

教え子たちがNPBで開花する日を待ちわびて

2019年に独立リーグ・徳島インディゴソックスで臨時ピッチングコーチを務めたミラバル氏。この年、チームからは3名の選手がドラフト会議で名を呼ばれ、晴れてNPB選手として歩みを始めた。「本当に嬉しいです。彼らはNPBでプレーするにふさわしいレベルだと思います」とミラバル氏も太鼓判を押す。

――特に西武のドラフト7位・上間永遠投手とは接点があったと思います。

「彼は活躍すると思っています。どうやって試合を作るかも知っていますし、NPBの優秀なコーチや、素晴らしい環境を経て、大きな成長を見せてくれると思います。彼は優れた投球術を持っていますし、マウンド上でパフォーマンスを発揮できるようになれば、活躍ができると思います。

ライオンズは素晴らしいチームだと耳にしているので、きっと彼の成長を促してくれると思います。スーパースターになれますよ。良いピッチャーではなく、“スーパースターに”です。上間投手はその素質を持っています。若いのでさまざまな経験が必要ですが、それを得た時にはスーパースターになれるでしょう」

――上間投手も喜びますね

「そうかもしれないですね。とても素晴らしい青年ですよ。それに野球をとても愛していますしね。私が徳島にいた時にさまざまな質問をしてくれましたし、向上心がとても高い選手です。彼には良いピッチャーになる素質が備わっていると思います。多くのスカウトの方々が『彼はどうか?』『NPBレベルか?』と私に聞いてきました。そのたびに私は言っていたんです『スーパースターになれますよ』とね。彼はそれを証明するチャンスを掴みましたね!」

カルロス・ミラバルさんからのメッセージ

「私の想いはいつもファイターズと一緒です。思い出のチームですから。一緒にプレーしたチームメイトが、コーチなどさまざまなところで活躍しているのを見るのは嬉しい限りです。ファイターズには優勝してほしいといつも願っています。いま、私からみなさんにお伝えできることは、安全に、我慢強くいようということです。そして、この新型コロナウイルスの影響による困難を一緒に乗り越えていけたらと思います。そして、またみんなで安心して野球を楽しめることができるようになることを祈っています」

(インタビュー:高木隆)(「パ・リーグ インサイト」海老原悠)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

© 株式会社Creative2