普賢岳大火砕流29年 「いのりの日」前に清掃活動

「いのりの日」を前に、雲仙岳災害記念碑周辺を清掃する参加者。後方は平成新山=島原市北上木場町

 消防団員や報道関係者ら43人が犠牲となった雲仙・普賢岳噴火災害の大火砕流から29年になる6月3日の「いのりの日」を前に、地元住民らが23日、遺族や関係者が慰霊に訪れる島原市北上木場町の北上木場農業研修所跡周辺を清掃した。
 一帯は大火砕流に襲われた水無川流域に位置し、消防団員の詰め所だった同研修所跡、報道陣が撮影ポイントにしていた「定点」、災害後に建立された雲仙岳災害記念碑がある。普段は立ち入りが制限されている砂防指定地内で、3日の「いのりの日」などの際には開放され、遺族らが追悼の祈りをささげに訪れる。
 清掃には地元の安中地区の住民や消防団員、島原署員のほか国交省雲仙復興事務所や市の関係者ら計約100人が参加。約2時間かけて生い茂った雑草を鎌や機械で除草していった。
 当時、約4年半の避難生活を余儀なくされた安中地区町内会連絡協議会の横田哲夫副会長(70)は「災害の聖地として保存し続ける必要がある。みんなの手で清掃して6月3日を迎えたい」と話した。


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