「川棚の戦争遺構」現状と課題 進む老朽化、保存に濃淡

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独特の景観で人気を集めている片島魚雷発射試験場跡=川棚町三越郷

 戦前から戦時中にかけて多くの軍事施設が置かれた長崎県東彼川棚町。町内各地に戦時遺構が点在しているが、保存に向けた取り組みには濃淡が見られる。戦後75年で記憶の風化や遺構の老朽化が進む中、遺構活用の現状と課題を探った。

■SNS
 三越郷の海沿いにある片島魚雷発射試験場跡は、約100年前の1918(大正7)年に開設された軍事施設の遺構。魚雷の性能検査を担った。
 戦後は長らく放置されていたが近年、自然と廃虚が織りなす独特の景観で、会員制交流サイト(SNS)を中心に人気を集めている。今年2月には長崎原爆をテーマにした映画のロケ地にも使われた。
 町観光協会の一ノ瀬充博事務局長は「戦時遺構はいわば『負の遺産』でPRが難しいが、試験場跡は見た目のインパクトが大きく、徐々にツアー商品にも組み入れてもらえるようになった」と語る。
 町は2014年から国有地だった試験場跡を購入し、公園整備に着手した。遺構の歴史や役割を解説するボランティアガイドを育成し、修学旅行生の受け入れもスタート。本年度には公衆トイレを設営し、ハード面の充実を図る。
 一方で築100年以上の建造物には劣化も見られる。特に、海に伸びた突堤に立つ魚雷発射台は専門家を交えた調査で、倒壊の危険性が指摘され、4月下旬から見学者の立ち入りを禁じている。

川棚町内の軍事遺構

■危険性
 すでに消えてしまった遺構もある。戦時中、百津郷一帯に広がっていた川棚海軍工廠(こうしょう)跡の「赤れんがの倉庫」は老朽化が激しく、修復や移設は不可能として、町が今年1月に取り壊した。
 同工廠は1942(昭和17)年10月に、佐世保海軍工廠の分工場として開庁。翌年に独立し、真珠湾攻撃でも使用された「九一式航空魚雷」を主に製造した。
 倉庫は工廠跡に現存する数少ない建物だったが、屋根がなく、外壁だけ雨ざらしで立っていた。住宅地の中にあり、数年前から近隣住民が倒壊の危険性を訴えていた。
 町によると、2018年12月には町議会で解体が決まっていたが、戦時遺構ボランティアガイドの古川恵美さん(45)は「全く知らされていなかった」とこぼす。「町内の戦時遺構は川棚に限らず、日本の歴史上にも重要。遺構が観光資源になるかだけではなく、文化財保存という視点も考慮してほしい」と求める。
 町は解体後のれんがを約30個保管しているが展示や活用の方法は未定だ。

川棚海軍工廠跡に残る赤れんが倉庫の内部=川棚町百津郷

■活用策
 近くにもう1棟、別の赤れんが倉庫が残る。こちらは屋根があり比較的頑丈。「土地の埋め立てを手伝った『給料』代わりとして終戦後、旧海軍から譲り受けたらしい」。所有者で町民の鍜冶敏枝さん(62)は、亡くなった夫から、そんないきさつを聞いたという。
 3年前に町民有志がイベントを開くなど活用策を探る動きもあったが、住宅地に位置することもあり、進展していない。鍜冶さんは「保存にも、解体にもお金がかかる。町に寄付するのも選択肢の一つだが…」と悩む。

■先細り
 大戦末期、旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」の訓練所が置かれた新谷郷では、元隊員の戦死者を祭った「特攻殉国の碑」を地元住民が管理。毎年5月には慰霊祭を開くが、元隊員や遺族の参列者は年々減り、活動の先細りが懸念される。郷総代の寺井理治さん(73)は「つい最近も『親族の名前が慰霊碑に刻まれているかを確かめたい』という人がやってきた。この地で碑を守り、歴史を伝える役割は今後も必要だ」と言葉に力を込める。
 こうした中、地元住民らは、碑の近くに「震洋」の実寸大復元模型を展示しようと、クラウドファンディングで資金を募っている。若い世代に悲惨な特攻作戦の実態を、よりリアルに感じてもらうのが目的だ。
 だが、13日現在で集まったのは目標金額500万円の1割程度。寺井さんは「もう少し関心を持ってもらいたいのだが、民間だけの力では情報発信も難しい」と吐露する。
 資金はクラウドファンディングサイト「Makuake(マクアケ)」で6月29日まで募り、5千円から支援できる。

特攻艇「震洋」隊員の遺品や書籍が並ぶ資料館で、戦争の歴史を伝える意義を語る寺井さん=川棚町新谷郷