鈴鹿8耐 ホンダの記録破りの歴史(4):2度目の挑戦で見事な優勝を果たしたロッシ/エドワーズ組

 ホンダは世界でも有名な鈴鹿8時間耐久ロードレースで、ほかのどのマニュファクチャラーよりも勝利を飾っている。世界有数のオートバイレースのひとつである鈴鹿8耐は、1978年に第1回目の大会が開かれた。そのころホンダは11年間におよぶグランプリレース休場期間の終わりに差し掛かっていた。レースは1962年にホンダ創業者の本田宗一郎が建設した、鈴鹿サーキット国際レーシングコースで行われた。今回のコラム『ホンダの記録破りの歴史』では、時代ごとに活躍したホンダのマシンとライダーたちを紹介していく。

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■V型2気筒スーパーバイク時代:2000年~2003年

■2000年優勝者:宇川徹/加藤大治郎組(キャビン・ホンダ:VTR1000SPW)

 ホンダは2000年シーズンに向けて完全に新しいマシンとなるV型2気筒のVTR1000SPWを投入した。このマシンは鈴鹿8耐において、RCB1000、RS1000、RS750、RVF750、RC45の後に続いてホンダに優勝をもたらした6台目のマシンだ。

 2000年の鈴鹿8耐にエントリーしたビッグネームは、ロードレース世界選手権のスターであるバレンティーノ・ロッシと、スーパーバイク世界選手権のスターであるコーリン・エドワーズで、マシンはカストロール・ホンダVTR1000SPWだった。ロッシは開始1時間で首位に立ったが、その後転倒してしまった。エドワーズが巻き返しを図ったが、彼も転倒してしまう。開始から4時間で彼らのレースは終わった。

 それまでに宇川と加藤が首位の座を確立してフィニッシュまで守り抜き、2位のライバルに1周差をつけた。

■2001年優勝者:バレンティーノ・ロッシ/コーリン・エドワーズ組(キャビン・ホンダ:VTR1000SPW)

 ロッシは初めての耐久レースから学び、エドワーズとともに2001年は完璧な走行をした。優勝したふたりはレースの最後まで、ホンダVTR1000SPWに乗る2位の岡田忠之/アレックス・バロス組と戦っていた。結果は最後の瞬間まで分からなかったが、エドワーズは14.2秒差で先にチェッカーを受けた。

 3台目のキャビン・ホンダに乗る宇川徹/加藤大治郎組は4位につけた。彼らはたった10秒の違いで、ホンダによる表彰台独占を逃してしまった。

■4年連続で鈴鹿8耐を制覇したホンダVTR1000SPW

■2002年優勝者:加藤大治郎/コーリン・エドワーズ組(キャビン・ホンダ:VTR1000SPW)

 V型2気筒のVTR1000SPWは鈴鹿8耐で3連勝目を飾り表彰台を独占した。加藤とエドワーズは、キャビンVTRに乗る2位の玉田誠/岡田忠之組と長いバトルを繰り広げた末に勝利を収めた。

 加藤が最後のセッションを走行したが、彼にとって初めての暗闇での走行であり、状況は雨によってさらに困難なものになった。当時の250ccクラス世界王者である加藤は度胸のあるところを見せ、2位から25秒差をつけてフィニッシュラインを通過した。3位は桜井ホンダのVTR1000SPWに乗るアレックス・バロス/武田雄一組だった。彼らはレース序盤のトラブルのために1周遅れになったが、大きく挽回して加藤の48秒後にフィニッシュした。

■2003年優勝者:生見友希雄/鎌田学組(桜井ホンダ:VTR1000SPW)

 この年、VTR1000SPWは4年連続で鈴鹿8耐で勝利を飾るという卓越した記録を達成した。

 生見と鎌田は優勝を賭けたスリリングな戦いをしたが、彼らのライバルが技術トラブルを起こした最後の1時間で、とうとう首位の座を手に入れた。日本人ペアは2位に1周差をつけての優勝だった。また、直列4気筒のF.C.C TSR ZIP-FMホンダのCBR1000RRファイヤーブレードに乗る辻村猛/伊藤真一組には2周の差をつけた。このマシンは鈴鹿8耐におけるホンダの将来の指針となった。

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