清廉潔白な “花の82年組” デビュー時は70年代アイドルを踏襲?

1982年 3月21日 三田寛子のデビューシングル「駈けてきた処女」がリリースされた日

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さにーさんが提唱する “昭和ポップス” の世界

リマインダーのカタリベ、さにーさんが提唱するさにーさんが提唱する “昭和ポップス” の世界。楽曲の多様性にその魅力があるのではないだろうか。

これは、ロックの世界を掘り下げるのと同様に、限りなく多面体で、懐かしいという一言だけでは到底括ることのできない驚きと発見に満ち溢れた、宝箱をひっくり返したような輝きに満ち溢れている。

アーリー80sの魅力、新しい価値観と今までの価値観が混在

以前僕は、『山口百恵の引退と松田聖子の進化、昭和歌謡からJ-POP黎明期へ』というコラムの中で、そのターニングポイントは1981年だと記した。ここで象徴されていたのは、この年のオリコン年間チャート1位に輝いた珠玉のシティポップ寺尾聡「ルビーの指輪」と松田聖子がシングル7枚目にして早くもアイドルから脱却、大瀧詠一とコラボレイトしてリリースした「風立ちぬ」だ。このふたりのシンガーが醸し出す洒脱な世界観は80年代の開けに相応しく、メインストリームに大きな軌跡を残した。

しかし、82年の年間オリコンチャートを覗いてみると興味深いことが分かる。この年の1位を記録したのは、あみんの「待つわ」だった。この曲は70年代の抒情派フォークソングを思わせる大衆性を継承し、洒脱さとは少し離れた情念と言うべきドラマが凝縮されていた。

つまるところ、アーリー80sのヒットチャートは、大衆に新たな価値観が生まれたと同時に日本人の心の故郷とでもいうべき昭和歌謡の土着性がどっしり腰を据えていたことが分かる。ちなみに83年のオリコン年間チャートの第1位は、大川栄策の「さざんかの宿」だった。

この流れに変化の兆しが見えたの84年。チェッカーズが「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」という3曲を年間ベストテンにチャートインさせてからだ。

花の82年組、デビューシングルのキーワードは清廉潔白?

話を82年に戻そう。この年の松田聖子のアーティストとしての進化は、アイドル歌謡にも大きな影響を及ぼすことになる。特に82年デビュー組、つまり「花の82年組」のデビュー曲を羅列してみると興味深い発見がある。

センチメンタル・ジャーニー / 松本伊代
潮風の少女 / 堀ちえみ
私の16才 / 小泉今日子
駈けてきた処女 / 三田寛子

ここでピックアップした4曲のタイトルを並べると、もうお分かりだと思うがキーワードは年齢だ。松本伊代が「♪ 伊代はまだ16だから」と歌い、堀ちえみは「♪ 15になったばかり私が揺れてる」と歌う。また、エバーグリーンな輝きを放つ82年デビュー組の中でも井上陽水が楽曲を手掛け群を抜くクオリティだった三田寛子の「駈けてきた処女」では、「♪ 16だから恋初め 16今はなり始め 16だから恋初め」と歌われている。

このように、若さを強烈にアピールした歌詞が多かったのも82年組の特徴だ。他にも中森明菜のデビュー曲「スローモーション」や早見優の「急いで!初恋」といった楽曲も含め、82年組の全体像を俯瞰してみると、“若さは美しさの象徴!” とばかりに、清廉潔白で足並みを揃え、アイドルのマーケットは急激に活性化した。

つまり、この年にデビューした彼女たちに必要とされていたものは、ヒットチャートにどっぷり腰を据えた昭和歌謡の価値観であり、それは、処女性を強烈にアピールしながらも恥じらいに満ちた70年代のアイドル像を踏襲したものであった。これはおそらく、この年の1月に「赤いスイートピー」でアイドルを脱却し、女性ファンにも大きな影響力を及ぼすようになったシンガー・松田聖子の立ち位置を鑑みて、アイドル期にあったポスト聖子の座を奪い合っていたのかもしれない。

82年組の変化、そしておニャン子クラブの登場

それぞれのキャラクターが確立してくると、先述した、お茶の間に浸透した新たな価値観が彼女たちの楽曲にも顕著に表れてくる。例えば、小泉今日子の清純路線は83年2月5日にリリースされた「春風の誘惑」まで続くが、次の5枚目、ショートカットに装いを変えてリリースされた「真っ赤な女の子」からは、オールディーズ感覚のポップなノリにイメージチェンジし、以降の「艶姿ナミダ娘」からハードロックに傾倒したエッセンスを醸し出すヒット曲を連発していった。

そして、特筆すべきは84年から85年にかけて連続してリリースされた石川秀美の「ミステリーウーマン」と「もっと接近しましょ」だ。前者はボン・ジョビの「夜明けのランナウェイ(Runaway)」、後者はシーラEの「グラマラス・ライフ」が元ネタだと思われるが、どちらも洋楽オマージュとしてオリジナルにはない昭和ポップスの多様性を存分に堪能できる革新的な作品だった。

そう、70年代から続くヒット曲に古き良き昭和を連想させるステレオタイプの価値観が払拭されていくのが84年、85年あたりからだということが分かるだろう。そしてその変革は、アイドルシーンを振り返ると一目瞭然なのだ。

そして85年にはおニャン子クラブが登場する。ここでアイドルは、清廉潔白な女子から隣の席に座っていてもおかしくないクラスの可愛い女のコへ、そんな身近さと想定外のキャラクターがアイドルの強みとなり、ちょっと弱気な男のコの腕をぐいぐい引っ張っていく女のコ… という70年代には考えられなかったパブリックイメージが出来上がっていく。ヒットチャートの変貌とともに彼女たちアイドルに対するファンの価値観が変わっていったのは、楽曲の多様性と密接したつながりがあったのだろう。

なお、このイメージの先駆けは、82年デビュー組の中でも異彩を放ちナンパのワンシーンをテーマとしたデビュー曲「天使と悪魔(ナンパされたい編)」で「♪ 今日はちょっぴりナンパの香り」と歌った伊藤さやかではないかと、僕は思ったりもする。

カタリベ: 本田隆