青森県大会決勝3年連続で涙 「悲運」の父を夢の甲子園に/洗平歩人投手、志胸に母校・八学光星へ進学

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室内練習場でキャッチボールをする八学光星1年の洗平歩人さん。父とは違い右投げだ=21日午後、八戸市美保野
高校3年の夏、青森大会決勝で力投する父・竜也さん。3度目の夏も涙をのみ、「悲運のエース」と呼ばれた=1996年7月、青森市の県営球場

 八戸学院光星高校硬式野球部にこの春、特別な思いを抱えて入部した1年生投手がいる。洗平歩人(あらいだいあると)さん(15)=千葉県出身。夏の甲子園を目の前にした青森大会決勝で3年連続涙をのんだ投手、父・竜也さん(41)=青森県六戸町出身=の母校をあえて進学先に選んだ。「悲運のエース」と呼ばれ、プロでは短命に終わった父に誓う。「父の夢は自分がかなえる。甲子園に連れて行きたい」

 父に勧められ小学校3年から野球を始めた。やがて所属チームの監督から、父が元プロの投手と知らされた。過去を語りたがらない父。現役当時のユニホームも押し入れにひっそりと眠っていた。歩人さんは父の足跡に興味を抱き、インターネットの検索サイトで調べた。「全日本大学選手権で活躍」「ドラフトで中日入り」。初めて父のすごさが分かった。

 あるとき、動画サイトで高校時代の父を見つけた。1年から大黒柱として奮闘。しかし1994~96年、チームを青森大会決勝に導きながら、三たび敗れ去ったことを知った。「つらい出来事を掘り返すんじゃない」。家族は本人の心情をおもんぱかり、過去に触れないよう歩人さんに説いた。でも歩人さんは憧れの場所に立とうとマウンドで必死に左腕を振った父の姿に心を動かされ、尊敬の念をより深めた。

 「甲子園に行きたかった?」。歩人さんは何げなく尋ねると、父は言った。「行きたかった。人生がもっと変わっていたかもしれない」。短い言葉から、後悔の気持ちが伝わってきた。「父がかなわなかった夢を、同じユニホームで」。歩人さんは複数の関東強豪校から誘いを受けたものの、光星への進学に迷いはなかった。「自分の道は、自分の力で開け」。そう告げた父の顔は、うれしそうに見えた。

 新型コロナウイルスの感染拡大のため、今年の夏の甲子園は中止に追い込まれた。身長180センチ、体重72キロ。公式戦の予定がない現在、歩人さんは体をもう一回り大きくしようと基礎体力づくりに時間を割く。有力選手が集まる強豪校では厳しい競争が予想されるが、仲井宗基監督(50)は「彼が八戸に来たのは運命。これからチームを支える光となってほしい」と成長に期待を寄せる。

 寮生活を送る歩人さんは父と過ごした時間が懐かしい。幼い頃からキャッチボールを買って出てくれた。中学時代はほぼ毎日、1時間かけ自宅から練習グラウンドまでを車で送り迎えしてくれた。思い出をかみしめながら言う。「一生懸命練習して(高校時代の)父を超えたい。一緒に甲子園に行きたい」

 プロを通じて、甲子園では一度も登板がなかったという父・竜也さんは、待ち遠しげに語った。「自分に縁のなかった、遠い遠いあの大舞台に連れて行ってほしい。電光掲示板に『洗平』という名字が表示されたら、もう、たまらないだろうな」

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 <洗平 竜也(あらいだい・たつや)さん 六戸町出身、千葉県在住。光星学院時代は本格派左腕として知られた。1994~96年の夏の甲子園青森大会ではチームを決勝に導きながら、あと一歩で甲子園出場を逃した。東北福祉大卒業後、中日にドラフト2位で入団したものの、1軍登板のないまま3年で戦力外に。現在会社員>