どんなお寺なの?奈良の観光名所・唐招提寺を知る!

 毎週月~金曜日 ゆうがた5時30分から放送している奈良テレビの「ゆうドキッ!」。今回は様々な角度から奈良を知るエキスパート・奈良まほろばソムリエの友松さんに「奈良の雑学」を教えていただきました。

テーマは「唐招提寺」です。観光名所や名前をよく聞く社寺などで、何かに注目して見つめ直すと違った魅力が見えてくるんです。

まず、友松さんから「今の時期に咲いている、こちらのお花は何という名前でしょう?」と問題が。 スタジオからは「五月あたま咲き花、別名、五月の雪!」など答えが出ますが不正解!

これは「瓊花(けいか)」という花で、鑑真和上が建立した有名な「唐招提寺」で4月下旬から5月上旬にかけて咲く白い小さな花です。

また、瓊花は鑑真和上の故郷である中国揚州の花で、1963年、和上遷化1200年に中国仏教界から送られました。

お寺では、この瓊花の香りのお香を販売しており、ご先祖様へのお土産やアロマとしても使用できます。

友松さん曰く「このお香甘くてすっきりした香りで、煙が少ないタイプなので使いやすいもの」だそうで、実際に手に取った出演者らにも「初夏を感じさせてくれるような香り」と、好評です。

そもそも唐招提寺ってどんなお寺なの?

唐招提寺は、苦難の末に来日された鑑真和上(がんじんわじょう)が5年間、東大寺で過ごされた後に、天武天皇の皇子・新田部親王の旧宅地を賜り、759年に戒律を学ぶ人のための修行の道場として開かれたお寺です。

また、今の季節の唐招提寺といえば「うちわまき」という行事が有名です。(※今年は新型コロナウイルス感染防止のため法要のみ行われ、うちわまきの一般参加はありませんでしたが「うちわ」は売店で購入することができます。)この行事のはじまりは【修行中、中興の祖・覚盛上人(かくじょうしょうにん)が蚊に刺されているのを見た弟子がそれを叩こうとしたところ「不殺生を守りなさい。自分の血を蚊に与えることも功徳になる。」と弟子をいさめた】という故事によります。その徳をたたえ、蚊を追い払うためのうちわを供えるようになったのが「うちわまき」の始まりです。

このうちわには病魔退散、魔除けの御利益があるんですよ。

「うちわまき」の時に、お寺の方が登っている建物は、鎌倉時代に建てられたもので「鼓楼(ころう)」といいます。鑑真和上請来(しょうらい)の仏舎利を祀っているので「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれており、国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。

しかし、鼓楼は塔と少し違い、実は、唐招提寺には薬師寺と同じように東西に高い塔がありました。

東塔は、水鏡(みずかがみ)神社の南側にありました。苔むした趣のある水鏡神社は、唐招提寺の鎮守社です。あまり訪れる人もいないのですが、実はすごい神社なんです。

故事によると、鑑真和上が唐から持ってきた3000の仏舎利を海に落としてしまったとき、海中から金色の亀が、その仏舎利を背中に乗せて現れたというのです。鑑真和上たちが喜ばれ合掌すると、その亀は老翁に姿を変え「我は輪蓋龍王(りんがいりゅうおう)である。いつか和上が日本に寺を造るときに、東南の隅に白い石と龍王が現れ、仏舎利と戒律道場を守護する」と言われたそうです。

そして、なんと唐招提寺創建の折に、東南の隅に白い石が現れました。そこに池を掘り、竜神のすみかとし、律法守護の神として祀ったのが水鏡神社です。先ほどの「うちわまき」をする「鼓楼」に祀られている国宝の金亀舎利塔が、亀の背中に舎利瓶を乗せているのはこの故事によるものです。

ここで、スタジオから「唐招提寺にあった塔はどうなったのか?」と質問。

実は、この塔ですが、今はもうありません。創建は810年、平城天皇の勅願で建てられたもので、高さは約36m。法隆寺の五重塔より5mほど高い塔です。

実際に「唐招提寺伽藍図(とうしょうだいじがらんづ)」という古図を見ると、五重塔が描かれています。しかし、この塔は1804年に落雷によって焼失しました。

再建しようと力を尽くされたそうですが、叶いませんでした。

焼け落ちてしまった東塔ですが、実は、お寺の醍醐井戸の横の石がこの東塔の礎石ではないか…と言われています。

礎石というのは、五重塔の柱の土台のところにある石のことです。

一般的に五重塔の柱は17本あります。外側の12本を側柱(かわばしら)といい、その内側の4本を四天柱(してんばしら)、中央の柱を心柱(しんばしら)といいます。塔はお釈迦様のお墓です。この真ん中の心柱の下、または上方に「仏舎利」が奉安されます。

木が茂っていて少し盛り上がっている部分が五重塔の基礎の部分「基壇(きだん)」で、この基壇があるということが、五重塔があった証なんです。

実は、落雷によって焼失した東塔ですが、心柱(しんばしら)が焼け残っていたようなんです。それを使って、約25cmの鑑真和上像が三体刻まれました。それらは、なんと現存するそうです。一つは京都の法金剛院にあって拝観することはできませんが、お厨子の中で、大切に祀られています。お姿は国宝の鑑真和上像と同じなのだそうです。

仏像を造るときに「霊木(れいぼく)」に刻まれることがあります。1000年の間、塔を支えてきた木が業火に負けずに焼け残りました。この東塔の心柱は「霊木中の霊木」だと言えます。その木に鑑真和上の像を刻んだわけですから、この像の霊験は計り知れないものなのではないでしょうか。一度お目にかかりたいものです。

観光名所などを、ポイントや見方を知って参拝すると、また一段と楽しめるのでは?ぜひ足を運んでみてくださいね。

※この記事は取材当時の情報です。

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