1ケタ本塁打で100打点以上 21世紀の達成者はゼロ

先日、1985年に8本塁打110打点を記録したトム・ハーがカージナルスの球団殿堂入りを果たしたが、1ケタ本塁打で100打点以上をマークした打者はナ・リーグではハーが最後である。一方、ア・リーグでは1996年にポール・モリターが9本塁打113打点を記録。しかし、それ以降メジャー全体で達成者は現れていない。ここでは少ない本塁打で多くの打点を叩き出した選手を振り返る。

戦前のメジャーリーグ、特にベーブ・ルースの登場によって本塁打が急増する以前のメジャーリーグでは、1ケタ本塁打で100打点以上を記録する選手は珍しくなかった。たとえば、1899年のエド・デラハンティは9本塁打137打点で打点王になっているし、1909年にはタイ・カッブが9本塁打107打点を記録し、打率.377、76盗塁と合わせて史上唯一の「四冠王」となった。

ルースの登場以降も毎年のように達成者は現れ、1927年にはポール・ウェイナーが9本塁打131打点で打点王のタイトルを獲得。ジャッキー・ロビンソンと一緒にプレーすることを拒んだことでも有名なディクシー・ウォーカーは、ロビンソン登場前の1945年に8本塁打124打点で打点王となった。

しかし、翌1946年以降は達成者が激減し、1946年にウォーカー(9本塁打116打点)、1950年にジョージ・ケル(8本塁打101打点)が達成したあとは1985年のハーと1996年のモリターの2人だけ。打点は本塁打で稼ぐものとなり、タイムリー安打をコツコツ積み重ねて多くの打点を稼ぐ打者は絶滅危惧種のような存在となっている。

モリターが最後に達成した1996年以降、100打点以上の打者で最も本塁打が少なかったのは2000年のジェフ・シリーロ(11本塁打115打点)と2011年のマイケル・ヤング(11本塁打106打点)の2人だ。一方、同期間に1ケタ本塁打で90打点以上を叩き出した選手は2007年のヤング(9本塁打94打点)と1997年のギャレット・アンダーソン(8本塁打92打点)の2人しかいない。ヤングは2007年に得点圏打率.376、2011年も.377を記録。やはり少ない本塁打で多くの打点を稼ぐためにはチャンスでの勝負強さが必要不可欠だ。

余談だが、殿堂入りの名遊撃手であるオジー・スミスは1987年に0本塁打で75打点を叩き出している。戦前には0本塁打で100打点以上を記録した例もあるが、0本塁打で70打点以上は戦後ではスミスが唯一。スミス以降では60打点以上の打者すらおらず、50打点以上も1991年のウィリー・ランドルフ(54打点)、1996年のビップ・ロバーツ(52打点)、2005年のジェイソン・ケンドール(53打点)の3人だけとなっている。

ちなみに、昨年1ケタ本塁打で最も多くの打点を記録したのはニック・マーケイキスとアダルベルト・モンデシー(ともに9本塁打62打点)だった。ナ・リーグではハー以来、ア・リーグではモリター以来となる1ケタ本塁打での100打点以上を達成する選手は今後現れるのだろうか。

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