「釈放の死刑囚」袴田巌さんの6年

 拘禁症状、高齢化…最高裁の判断はいつ?

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84歳の誕生日を迎え、贈られたお祝いのケーキを手に笑顔の袴田巌さん(左)と姉秀子さん=3月10日、浜松市

 「宇宙で猛獣が大きくならんようにできれば、人間は美しくなる」「ボクシングで一番強い者が世界を支配する」―。3月10日、再審請求中の元プロボクサー袴田巌(はかまだ・いわお)さんの浜松市内の自宅で、支援者らが84歳の誕生日会を開いた。長年の拘置所生活で患った拘禁症状の影響は強く、この日も口にする言葉は「妄想の世界」(支援者ら)のものばかりだ。それでもケーキを前に和やかな表情を見せ、大雨の中、傘を片手に、日課の散歩に出掛けて行った。

 1966年の一家4人強盗殺人事件で死刑が確定した袴田さんは2014年、静岡地裁の再審開始決定により約48年ぶりに釈放された。18年に東京高裁が地裁の決定を取り消したため弁護側は特別抗告し、現在は最高裁で審理が続く。高裁の判断が維持されれば再び収容されるかもしれない不安を抱え、「釈放された死刑囚」のまま6年が過ぎた。(共同通信=伊藤綜一郎)

2014年、再審開始決定を受け、釈放される袴田巌さん

 ▽死刑、再審

 66年6月30日、静岡県清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社専務宅が全焼し、焼け跡から専務ら4人の遺体が見つかった。従業員の袴田さんが逮捕され、公判で無罪を主張したが80年に死刑が確定。裁判のやり直しを求めた翌81年の再審請求も、27年間かけて最高裁まで争ったが認められなかった。

 08年4月、今度は姉秀子(ひでこ)さん(87)が2度目の再審請求。静岡地裁は14年、犯人が着ていたとされる衣類に付いた血痕のDNA型が袴田さんと一致しないとする弁護側鑑定を根拠に再審開始を認め、「耐え難いほど正義に反する」と拘置の執行も停止した。

 高裁では鑑定の信用性が4年にわたり争われ、死刑と拘置の執行停止は維持されたものの地裁の再審決定は覆された。現在は最高裁で、高裁の判断に反論する弁護側と、抗告棄却を求める検察側の双方が書面を提出して審理が続いており、結論が出る時期は不明だ。

84歳の誕生日に浜松市内を散歩する袴田巌さん=3月10日午後

 ▽釈放、変化

 釈放後、袴田さんは秀子さんと故郷の浜松市で暮らす。「ばい菌から浜松を守る」ためと日課にしている散歩は、支援者が交代で見守る。街の人から「頑張って」など声を掛けられることも多い。一見健康そうに見えるが、妄想を引き起こす拘禁症状は治らず、支援者の猪野二三男(いの・ふみお)さん(71)は「『なぜ自分が』という怒りと孤独が暴走し、妄想の中で理想の世界を作り上げたのではないか」とみる。

 死刑確定後の84年、拘置所内で洗礼を受けてキリスト教徒になり、19年11月にはローマ教皇フランシスコが東京ドームで執り行ったミサにも参加。以前は自ら〝教皇〟を名乗ることもあったが、ミサの後は口にしなくなった。秀子さんは「巌の中で何か一つ解決したのだろう」とかすかな変化に目を細める。釈放後しばらくは能面のように固かった表情も、少しずつほぐれてきた。

ローマ教皇フランシスコの大規模ミサの後、会場の東京ドームを後にする袴田巌さん(中央)と姉秀子さん(右)=19年11月、東京都文京区

 ▽恐れ、常に

 残された時間は決して多くない。弁護団事務局長の小川秀世(おがわ・ひでよ)弁護士は「速やかに再審公判を開始し、そこで審理を尽くすべきだ。再審を始めるかどうかの入り口で時間がかかり過ぎている」と指摘。「袴田さんが元気なのが救い。それでも一刻も早く、再審無罪を勝ち取る必要がある」と決意を示す。

袴田さんの再審を巡る経過

 19年3月と今年1月には刑の執行免除を求め、弁護団が恩赦を出願した。釈放前と合わせて出願は計4回に上るが、いずれも回答が無いままだ。当初は「恩赦の出願は罪を認めたような印象になるのでは」と慎重な声もあったが、最終的に「再収容の阻止が重要」という意見で一致。弁護団、支援者らが一丸となって必死の活動を続けている。

 事件から半世紀以上が過ぎ、何が真実なのか、実際のところを知ることは極めて難しい。しかし仮にも司法がいったん「無罪の蓋然性が相当程度ある」(静岡地裁)と判断した以上、あらためて審理を通じて事実を明らかにしようとする努力は必要だろう。高齢の袴田さんは確定死刑囚のままで、突然再収容されるという恐れが常につきまとう。いつまで不安定な立場に置き続けるのか。最高裁の速やかな判断が待たれる。