けれん味のないビッとした人でした 殺陣師・アクション監督・高瀬将嗣監督逝く|久田将義

高瀬監督が殺陣を披露していた大國魂神社。

まさか、自分がこのような原稿を書くとは思いもよりませんでした。

殺陣師であり、映画監督でもある高瀬将嗣監督が25日午前0時亡くなりました。

知らせを受けた時は情けない事に力が抜けてしまったほどでした。

4月6日までDMでやり取りをしていました。それ以前も監督から色々な俳優についてのDMがあり(私信なので公表は控えますが)、国士舘大学卒業とイメージ的に“いかつい”ですが、ユーモアのセンスが抜群にある人でした。

高瀬監督は殺陣師波濤流を設立し、映画『ビーバップハイスクール』『あぶない刑事』『ラストサムライム』などのアクション監督を担当。親子二代にわたって、アクション・殺陣に情熱を捧げてきました。享年63歳。

国士舘大学高校、国士舘大学卒業。その頃は朝鮮高校との喧嘩が新聞沙汰にまでなり、一番抗争が激しい時代に高瀬監督は青春時代を過ごされました。

高瀬監督との出会い20年以上前。僕はワニマガジン社に勤務にしていた頃です。下っ端編集部員として一人でワンテーマムックを編集していました。「アウトロー伝説」というタイトルのムックを制作する際、社会運動家・一水会木村三浩代表(国士館高校)から一年先輩で「面白い文章を書く人がいる」と言うことで紹介して頂きました。

原稿を頂いた時の事は忘れません。府中にある高瀬監督の道場に原稿を取りに行きました。高瀬監督は手書きでした。いったん、受け取って府中駅前の喫茶店で原稿を読んでみました。それが面白いの何のって。

当時の国士館高校・大学のイケイケぶりを殺伐としてではなく、時折、絶妙なペートスを混ぜた文章でした。読みながら笑いがこみあげてきました。国士館生のイケイケとおっちょこちょいぶりとを微妙に混在させた文章でした。僕は感激のあまりその場から電話をかけて、「本当に面白いです!」と素直なに感想を伝えました。

その後、ミリオン出版に移籍した後、高瀬監督には「ダークサイドJAPAN」と言う雑誌で「国士館のバンカラ伝説」を主旨に連載していただきました。

「実話GON!ナックルズ」(現・「実話ナックルズ」)月刊創刊から、高瀬監督には執筆の面でお世話になりました。たびたび、波濤流の演技披露にも招待して頂いたり、演劇(新選組がお好きだったと思います)も観覧させて頂きました。

常に、ビっとしていました。姿勢もそうですが、話す言葉一つひとつがけれん味のない人でした。カッコ良かったです。しかし笑顔を絶やさない人でした。特に、僕のように外部の人間には決して、怒りの感情を出さない人でした。

一度だけ、印象に残っている事があります。高瀬監督の地元、府中で飲もうとした時。2人で飲み屋に行く途中、客引きがしつこく声をかけてきました。すると、

「おい。府中でふざけた真似をするな」

と一言。客引きはその迫力に押されて消えていきました。そう言えば高瀬監督の学生時代は大体が写真の真ん中で写っていました。学ランはハイカラーに中ランだった気がします。

最近もよく「芸能界・芸能人のここだけの話」を僕に送って頂いたり、僕も「この芸能人て本当に不良なのですか」と質問したり。それに対してユーモアを交えた、率直な答えをよく頂いておりました。

この頃、ツイッターの更新が滞っていたので、高瀬監督にDMで無駄話を送りました。いつもなら、すぐ返信をする律儀な方ですがなかなかかえってこないので心配をしていました。電話をかけてみようと思った矢先の訃報でした。

もっと、色々と話したい事がありました。高瀬監督、有難うございました。安らかにお眠りください。また天から非才な僕にご指導をお願いしたいです。(文◎久田将義 TABLO編集長)

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