元鷹ズレータ氏、マウンドで泣き崩れた斉藤和巳氏への思い 「リスペクトの気持ちを生んだ」

ソフトバンク、ロッテで活躍したフリオ・ズレータ氏【画像:パーソル パ・リーグTV】

現在は野球から離れているものの、「日本のキャリアにも興味がある」

日本球界をサヴァイブし、現在もあらゆる分野で活躍する外国人OB選手に、日本プロ野球外国人OB選手会の協力のもと話を聞く本連載。日本球界に寄せる思い、“あの場面”のエピソード、当時の同僚たちへのゆるがない敬愛など、我々の胸を熱くさせた言葉の数々をご紹介したい。

第2回は、“パナマの大砲”という愛称で親しまれダイエー・ソフトバンク・ロッテに2003年から2008年まで在籍したフリオ・ズレータさんだ。

――今はどちらに住んでいて、どんなことを?
「フロリダ州フォートマイヤーズに住んでいて、不動産業を営んでいます。フォートマイヤーズは、レッドソックス、ツインズなどがスプリングトレーニングを行う地域です。ですので、日本人のMLB選手がスプリングトレーニングに来たときに、彼らの練習や試合を見ることができます」

――ツインズということは前田健太投手は?
「はい、前田(健太)、あとは西岡(剛)のツインズ時代にプレーを見ました。その他にも、渡辺(俊介)、松坂(大輔)など多くの日本人選手を見ていますよ。彼らのプレーを見るたびに日本でのプレーを思い起こします」

――日本人MLB選手が球場でズレータさんと会うときは日本人選手も懐かしく感じるのではないでしょうか?
「そうですね。球場で彼らと話しますし、彼らから質問されることもあります。渡辺、西岡とはディナーを共にしました。日本球界を去ってからしばらくして、渡米してきた彼らと話ができたことは素晴らしかったです」

――不動産業ということは、野球を離れて、全く別のお仕事を?
「誤解のないようにお伝えしますと、私は将来的なコーチ業や日本でのキャリアにも興味があります。なぜなら、野球に携わりたい気持ちは常にあるからです。現在のところ、そのようなオファーはありませんが、もしあればぜひ検討したいと思っています」

今でも鮮明に思い出す、日本シリーズのサヨナラヒット

――2003年の日本シリーズの第1戦ではサヨナラヒット。打った瞬間の気持ちは?
「9回でした……あぁ、思い出して、たった今も鳥肌が立っています(笑)。あの打席では、チームのためだけではなく、ホークスファンのために打たねばならないと感じていました。すべての野球選手が憧れ、待ち望む場だからです。9回2死、相手投手は阪神安藤(優也)投手だったと思います。この場面では、安藤投手は絶対に失点できない、私に投げるボールすべてをスイングしてほしい、また、ストライクを私に投げたくないと考えているに違いないと感じていました。

なので、私は特にストライクゾーンより外れるボールについて集中していました。実際に来たボールを打った瞬間、私はボールの行方を追いかけていました。一方で心の中では全力疾走しなければならないと考えていました。なぜなら、この試合は何としてでも勝利しなければならないと考えていたからです。しかし、なぜか球場内のホークスファンが叫んでいたのが聞こえたので、レフトのほうへ視線を移しました。すると、阪神のレフトの選手がフェンス際に走りながらダイブし、打球を捕れなかったことを確認しました。

そのときの気持ちは最高でしたし、それほど遠くに打球を飛ばしていたとは思っていませんでした。そして、ボールはフェンスに当たり、サヨナラランナーがホームインし、サヨナラ勝ちしました。この瞬間は一生忘れないですし、私の人生において子供、友人、そして家族と共有できる最高の瞬間でした。この出来事は私の野球人生において間違いなく最高の瞬間でした」

――最終的に2003年の日本シリーズで優勝、その時の気持ちは?
「日本シリーズの勝利は最高でした。なぜなら、チームメートとファンがいつも私に良くしてくれたからです。あの気持ちを描写するのはとても難しいです。私はあまり泣きませんが、勝利した瞬間とても感傷的になりました。目から涙があふれ、言葉にできない素晴らしい瞬間で幸せでした」

――日本のファンについてどのような印象を持たれましたか?
「私は米国・北米・日本にて17年間プロ野球人生を歩みました。日本の野球ファンの試合に入り込んで応援する様子は、来日したときに、人生で初めて見るものでした。選手目線で言うと、ファンの応援は集中と自信を与えてくれましたし、勝つためのモチベーションをくれました。

来日した当初、打席中に一度バッターボックスを外し、いっせいに大声で応援している球場内のファンを見渡し、こう思いました。このような経験は人生で一回もしたことはないと。そして、彼らのためにプレーをしたいと思いました。日本の野球ファンは感情的で、とても野球が好きで野球を愛しています。勝とうが負けようがいつもファンは球場を一杯にしてくれました。

特に、日本の野球ファンの好きなところは、試合終了後に球場に少し残って皆でうれしさや悲しさを分かち合うところです。そして、ファンは次の日の成功をいつも願ってくれます。それが一番印象的です。私にとって、日本の野球ファンは唯一無二であり、世界一です。日本の野球ファンの振る舞いを知ることができ、私もその一部になれたことに感謝しています」

最高の投手であり、良き友人。斉藤和巳への思い

――2006年のCS第2ステージでの斉藤和巳投手(元ダイエー)がサヨナラヒットを打たれた場面。敗北が決まった瞬間の気持ちと斉藤投手の肩を抱いて歩いてダッグアウトに戻った時の気持ちは。

「とても感傷的な瞬間でした。斉藤和巳は常に100%で試合に臨む選手でした。そして、常にベスト以上のパフォーマンスを、チーム、さらには日本のプロ野球ファンのためにする選手でした。彼は私にとって素晴らしい友人でした。

あの瞬間、私が見たあの光景にはとても失望しましたし、私のチームメートにあのようなことが起きるということは想定していませんでした。私が失望した理由は……チームというのは勝利そして敗北を全員で分かち合うのです。あの日、あの瞬間は……私たちはチームとして敗北したのです。

私が理解できなかったことは、なぜ他のチームメートはあの瞬間に和巳を置いて、皆グラウンドを去ったのかということです。私と(ホルベルト・)カブレラ選手はあのとき、和巳にとって一番支えが必要であったであろう瞬間にマウンドへ行き、私のチームの最高の投手をダッグアウトへ連れていきました。しかし、私が(野球から)学んだことは、勝とうが負けようが、どんなことがあろうとも、常にチーム、そして選手を想うことです。

私にとって、他のチームメートがグラウンドから去り、和巳、カブレラ、そして私だけがマウンドにいた光景はとても複雑でした。チームのエースであり、最高の投手であり、良き友人でもある、和巳を観衆の眼前にさらされ続けるマウンド上で放っておくことは私にはできなかったのです。あのとき、私はすべてのことを忘れ、良き友人であり、チームメートである和巳を気遣うことに集中していました。彼そして我々はベストを尽くしましたが、サヨナラヒットを打たれてしまいました。しかし、『勝利』そして『敗北』は野球の一部なのです。負けたときはチーム全体一体となってその事実を受け止めるのです。ですので、あの瞬間なぜ他のチームメートが和巳をマウンド上に置いてグランドを去ったのか、そのとき理解できなかったのです。

現実的に、野球というのはいつも勝利するとは限らないのです。勝つときもあれば負けるときもあります。あの日は負けましたが、トライはしました。私たちは良いチームでしたが、他の良いチームに負けたのです。和巳は相手チームに慄いていたわけでなく、ベストを尽くさなかったわけでもないのです。いいえ、彼はベストを尽くしたのです。だからこそ、私たちは斉藤投手をあのような場に置いておくわけにはならなかったのです。

なぜ、私がこれほどまで彼を尊敬していたのかというと、和巳は私が見た野球選手の誰よりも準備に力を注ぐ選手だったからです。私は6年間日本でプレーをしましたが、彼ほど一生懸命にプレーをする選手を見たことがありません。彼は不満を一切言わず、常に彼が追い求めるものを得ることに集中していました。その姿勢が私の彼へのリスペクトの気持ちを生んだのです。

2018年にレジェンドデーで和巳と再会しましたが、私たちはそのシーンについては話しませんでした。私たちは双方の近況や、家族について、友達など、『幸せな気持ち』について話をしましたよ」

○フリオ・ズレータさんからのメッセージ

「こんばんは~ズレータ選手です。私は元気です。日本の野球ファンは元気ですか? 私も本当にうれしいです。本当にありがとう。今年はCOVID-19もう少しね。でも、みんないっしょにがんばるよ。もうちょっと少しだけ。
また、10月頃にはみなさん野球があります。がんばってよ。あきらめないでください。
(ここまで日本語)

このような機会をいただき本当にありがとうございます。とても楽しかったですし、素晴らしい思い出を思い出すことができました。日本の野球ファンが今も私に興味を持ってくださりとてもうれしいです。

日本、日本の野球ファン、友人たちは私の人生にとって大きな存在です。皆、私に良くしてくれましたし、私を受け入れてくれたことに感謝しています。すべての人がこのような素晴らしい機会に恵まれるとは限らないですしね。ありがとうございます。

私は日本の野球ファンといつまでも繋がっていたいですし、今回のような機会が最後でないことを祈ります。なぜなら、私は一生忘れない、たくさんの良き日本での思い出があるからです」(「パ・リーグ インサイト」海老原悠)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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