「オラショ」研究の第一人者 皆川達夫さん死去 キリシタン研究に大きな影響

皆川達夫さん

 長崎県平戸市・生月島でかくれキリシタンが伝承してきた祈りの歌「オラショ」研究の第一人者で、立教大名誉教授の皆川達夫さんが4月に亡くなった。92歳。生月のオラショの原曲が16世紀のイベリア半島で歌われた聖歌であることを突き止めるなど、その後のキリシタン研究に大きな影響を与えた。功績を振り返る。
 「紳士的な方で、いろいろ教えていただいた。研究はとても実直で、学問に対する情熱がすばらしかった」。かくれキリシタンの研究者で市生月町博物館学芸員の中園成生さんは振り返る。同館が開館した1995年に初めて会い、その後何度も調査で生月を訪れた皆川さんと親交を持った。晩年も手紙でやりとりを続けたという。
 皆川さんは27年東京生まれ。東京大文学部卒、同大学院修了。西洋音楽史を研究し、NHKラジオ番組の「バロック音楽の楽しみ」「音楽の泉」の解説でも長年親しまれた。
 著書「洋楽渡来考 キリシタン音楽の栄光と挫折」(2004年、日本キリスト教団出版局刊)によると、皆川さんと生月のオラショとの出合いは1975年。長崎市で合唱団を指導するために滞在中、メンバーの県職員から「キリシタンの面白い歌がありますから、聞きにゆきましょう」と生月に誘われたのがきっかけ。それまでオラショについてはレコードで聞いたことがあるのみで、かくれキリシタンに関する知識や関心はほとんどなかったと記している。
 翌日生月に着くと、集落のかくれキリシタン行事に同席する許しを受け、オラショを聞かせてもらった。明らかに日本語と分かる部分がある一方、意味不明の言葉もある。尋ねると、「これは唐(から)言葉ですたい。意味はまったく分からんですとー」と返ってきたという。
 「しかし、ヨーロッパの宗教音楽を専攻するわたくしのアンテナに強力に感じとられるものがあった。……『これは、ラテン語が訛(なま)ったものではないだろうか』」と記している。
 以来関心が高まり、生月を何度も訪れて各集落のオラショを録音してまわった。特に節を付けて唱えられる「歌オラショ」のうち「ぐるりよざ」について、原曲を求めてヨーロッパを歴訪。ローマのバチカン図書館を重点的に調査し続け7年目の82年、スペインのマドリード国立図書館にあったラテン語聖歌の楽譜が、歌詞や旋律などで生月の歌オラショと一致することを発見した。
 16世紀のイベリア半島だけで歌われていた特殊なローカル聖歌だった。「それがこの地域出身の宣教師によってほぼ400年前に日本の離れ小島にもたらされ、きびしい弾圧下のキリシタンたちによって命をかけて歌い継がれ今日にいたったのである。この厳粛な事実を知ったわたくしは言いしれぬ感動にとらえられて、スペインの図書館の一室で立ちすくんでしまった」と同著で振り返っている。
 中園さんは「バチカン図書館になかったら普通は諦める。雲をつかむようなこと。相当な努力がないとやり遂げられない」と話す。
 皆川さんの研究によって、キリスト教が伝来した当時のオラショが、生月では現代でも忠実に継承されていることが分かった。皆川さんが解き明かしたこうした傾向は、組織や行事、信仰具など他のかくれ信仰全般でもその後の調査研究で確認されたという。
 中園さんは「従来、かくれ信仰は西洋から入った純粋なキリスト教が、禁教期に信者が勝手に仏教などと混ぜて変容していった産物であると認識されてきた。それが最近では、キリシタン時代の信仰をかなり忠実に残していると評価されるようになった。皆川先生の研究が、この新しいかくれキリシタンの捉え方の根っこになった」と話す。

生月町博物館島の館で記念撮影する皆川さん(右)と中園さん=2005年8月、平戸市生月町(平戸市生月町博物館・島の館提供)

 また、長崎市出身の作曲家大島ミチルさんは、皆川さんの研究でオラショの存在を知ったことをきっかけに、大学2年で交響曲第1番「御誦(オラショ)」を作曲した。長崎のエレクトーンの先生が「すばらしい資料があるわよ」と言って貸してくれたのが、生月のオラショなどを収録した皆川さん企画構成のレコード「洋楽事始」だった。
 大島さんは長崎新聞社に次のようなコメントを寄せた。「皆川先生の研究がなければ交響曲第1番を作曲することはなかったでしょう。とても難しい内容を時代背景と共に分かりやすく、かつ丁寧に作られてあったのを記憶している。亡くなられてとても寂しい気持ちと、その作品はこの先も色あせることがないであろう貴重な資料として多くの人の目にとまり、また心を揺さぶるであろうと確信しています」。

 


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