【MLB】「契約がない中でも野球をやっている」田澤純一が球界復帰への思いを激白

レッズ傘下マイナーでキャンプインしたが現在は無所属となっている田澤純一【写真:佐藤直子】

今季はレッズ傘下マイナーでキャンプインも3月に契約解除

「12年ぶりに桜を見ましたよ」

電話取材の途中、田澤純一はふと、こんな言葉を漏らした。12年ぶり。干支が一回りしてしまうのだから、かなりの歳月だ。

例年、桜の時期には日本にいない。太平洋の反対側、アメリカで開幕を迎えているからだ。だが、今年は新型コロナウイルス感染症の世界的大流行の影響を受け、4月上旬に帰国。今は生まれ育った横浜市内でトレーニングに励む。

帰国までは、米アリゾナ州で孤独なトレーニングを積んでいた。渡米12年目の今年は、レッズ傘下のマイナーリーガーとしてキャンプイン。だが、オープン戦での登板はわずか1試合にとどまり、3月11日に契約解除となった。

次なる契約を求め、滞在していたアパートの施設や公園で練習に取り組んでいたが、この頃から全米で新型コロナウイルスが急速に感染拡大。「アリゾナに残るべきか、日本に帰るべきか。チームが決まっているわけではないので、なるべくアメリカで待機している方がいいのかなと思ったんですが、しっかりトレーニングできる環境についてギリギリまで考えて、帰国することにしました」と明かす。

バタバタの帰国だった。アリゾナから車でロサンゼルスへ移動し、翌日の朝、空港に行くと「減便でキャンセルになったって言われました」。そこから急遽、航空会社を変更し、関西国際空港(関空)到着便に座席を確保。後ろの席に座った乗客は、宇宙服のような防護服で身を包んでいた。

関空に到着するとPCR検査を受け、公共交通機関の利用を避けるため、迎えに来てくれた関係者の車で一路、横浜を目指した。検査結果は陰性だったが、2週間の自主隔離生活を送り、毎日体調を区役所に電話報告。人がほとんど出歩かない夜遅く、マスクを着けて散歩に出掛けた時、きれいに咲く桜に気付いた。

帰国後は日々の成長を求めてトレーニング 無所属も「今はそれどころじゃ…」

現在は週5日、トレーナーと一定の距離を保ちながら、トレーニングやキャッチボールなどの練習に励んでいる。「目に見えないウイルスという敵との戦い。強度を上げすぎれば身体の免疫が落ちてしまうので、土台作りを必要最低限やっている感じですね」と話す。

5月25日に日本全国の緊急事態宣言が解除され、NPBは6月19日の開幕が正式決定した。NPBに所属する選手には「ゴール」が見えたが、田澤にはまだ見えていない。ゴールが見えない中での練習は「難しいところはあるんですけど……」と切り出すと、こう言葉を続けた。

「正直、野球をやっている人にとって、開幕がいつになるか分からないという経験はあまりない。でも、そこは自分ではどうにもできないことなので、自分は何ができるかを考えています。僕は、ここ何年かオフになると筑波大にお邪魔して、自分の身体を操れるようにトレーニングを積んでいますが、まだできていない課題も多い。だから、僕の中ではもう一度、身体を見つめ直すいい機会だと位置づけて、オフにできなかったことに取り組んでいます。試合がないとか辛いとか考えると難しくなってしまうので、少年野球の子供じゃないですけど『今日はこれができるようになった』『先週よりも動くようになった』とか、1つ1つ積み重ねている感じですね」

この姿勢は筑波大でトレーニングを積み始めてから変わらず。「ピッチングが上手くなるためにはどうしたらいいか、身体がもう少し上手く使えるようになるにはどうしたらいいか、そこに集中できているんじゃないかと思います」と話す声は力強い。

ただ、契約はあるけど試合がないのと、契約がないのとでは、置かれた立場はもちろん、心持ちも変わってくる。「無所属」であることについて聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「だって、どこの球団も今はそれどころじゃないですよね。だから、僕のワガママでエージェントに『契約が……』って言うのは、おこがましい話かなと。もちろん、契約はないよりあった方がいいのは間違いないですけど、今は考えてもしかたないのかなと思うので、我慢です(笑)」

マウンド上では内角を恐れない強気のピッチングを見せるが、マウンドを下りると普段は人一倍、周囲に気を遣う。そんな田澤らしさは、渡米した12年前からまったく変わらない。

12年前と変わらぬスタンス「僕はアメリカが上とか、日本が下とか考えているわけじゃない」

開幕日が決まったNPBに続き、メジャーでも今季開幕に向けてMLB機構と選手会が交渉を重ねている。一方、台湾や韓国ではすでに開幕。各地で野球界が動き出している。そんな中、田澤が頭に描くのは、再びアメリカに戻る自分の姿なのだろうか。

「正直、それすらも分からないですよね。コロナで国が大変な思いをしている中、海外の選手にチャンスを与えますかね。普通に考えたら、自分の国の選手と契約するんじゃないかなって。ただ、誰にとっても初めての状況だから読めないですね。僕はアメリカが上とか、日本が下とか考えているわけじゃなくて、求められる場所があればどこでもいい。もし求められるのであれば、台湾だってあるかもしれません。エージェントと相談はしますが、別に台湾だから行きませんってことはないです」

今でも「田澤=日本球界に対する裏切り者」と見る人がいる。その発端となったのが2008年。当時、新日本石油ENEOS(現JX-ENEOS)に所属していた22歳の若者はメジャー挑戦の意思表明をし、NPB球団にドラフト指名を見送ってくれるよう伝えたことにある。レッドソックスと契約すると、ドラフト候補選手とは交渉しないという日米間の“紳士協定”に触れたとして問題視され、NPBのドラフト指名を拒否して海外プロ球団と契約した選手は一定期間はNPB球団と契約できないとするルールが生まれ、いつしか「田澤ルール」と呼ばれるようになる。

田澤のスタンスは12年前も今も変わらない。投げたい場所、求められる場所で投げるだけ。「どちらが上とか下とかじゃなくて、ただ僕が最初に選んだのはアメリカだっただけ」。この言葉に偽りはない。

「僕の思いが勘違いされて」できたルール。自分の気持ちに素直に従っただけだったが、当時から「このルールが生まれたことで、僕のせいで、後に続く子たちが海外に行くチャンスを奪ったのなら、すごく申し訳ないなと思います」と責任を感じ、今もなお背負い続けている。

ちなみに、昨年ソフトバンクに入団したカーター・スチュワートは前年の2018年MLBドラフトでブレーブスから1巡目指名を受けたが、合意に至らず。短大に入り直し、2019年ドラフトの目玉になると見られていたが、驚きのソフトバンク入りを果たした。状況としては田澤の逆パターンとなるが、アメリカには「スチュワート・ルール」は生まれていない。田澤の時と比べ、日米球界を取り巻く環境は変化したが、それでも「田澤ルール」を見直すいい機会のように思う。

コロナ禍で気付いた「僕にとってはプラス」の一面とは…

田澤は当面、日本でトレーニングを続ける予定だ。このコロナ禍により当たり前が当たり前ではなかったと気付かされる中、田澤にも新たな発見があった。

「これだけいろいろなところでクビになったり、今は野球ができない状況にもなっているけど、まだ野球を上手くなりたいって思えていることが、僕にとってはプラスでしたね。2週間の自宅待機をして、そのままダラダラいくのかなと思ったんですけど、ボールを投げたくなって投げ始めたし、契約がない中でも野球をやっている。やっぱり野球が好きなんですかね。ま、野球しかやったことないんですけど(笑)」

もう一度、メジャーのマウンドに上がって真っ向勝負がしたい。その想いはまだ残っている。そこに向かって努力をするだけ。メジャー球団に求められるかもしれないし、他所から求められるかもしれない。それは田澤がコントロールできるものではない。

「ホント桜ってきれいだなって思いました。アメリカにはアメリカでいいところがあるし、日本には日本でいいところがある。日本しか知らないより、それ以外も知っていると、今まで気付かなかった良さに気付いたりしますね」

12年前は当たり前すぎて気が付かなかった桜の美しさ。アメリカで揉まれ、成長し、新たな視点を手に入れた田澤は、そのスタンスだけはぶらさずに野球と向き合い続けている。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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