MotoGP番外編:ヤマハOBキタさんの「知らなくてもいい話」/高速道路の二輪車ふたり乗り解禁(前編)

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 レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。

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 サラリーマン人生のターニングポイントは異動という形で突然訪れる。大半をレース関係の仕事に従事してきた筆者だが、途中足掛け4年間全く畑違いの業務にたずさわることになった。きっかけは大規模なリストラだった。

 バブル崩壊後のいわゆる『失われた10年』の末期にあたる1998年、Y社でも大規模なリストラが実行された。その際に予想を越える希望退職者が殺到。特にマネージャークラスの人材が不足してしまった。

 翌1999年、筆者に異動話が持ち上がったとき意外に平静を保っていられたのはこのような会社の事情を理解していたからなのだが、異動先の部長からは「おう、来たか、レースはもう飽きたって聞いてるぞ」と想定外の言葉をかけられた。

 ちょっと待て。レース部門の事業部長には「あと3年くだされば再び500ccクラスのチャンピオンに復活しますから」と大見得を切ったばかりなのに、なんでこういう話になるかなあ。自分の言ったこととは真逆の内容で伝わっていることに呆気にとられるも、計略をもって遠ざけられるほどの存在でもないし……と、抵抗するのをやめた。

 さてリストラによる人材不足の影響で、異動した部署では先進安全自動車開発と操縦安定性開発のふたグループを担当することになった。先進安全自動車(ASV)の主導は国土交通省で、電子機器など先端技術を駆使して自動車の安全性を飛躍的に向上するために業界全体で取り組みましょうという官民一体の壮大なプロジェクトだった。その第1期は四輪車のみでスタートしたのだが、第2期は実際に交通事故による死傷者数の低減を果たすためには二輪車も含めて課題解決に取り組むべしということで、二輪車専業メーカーも参画をうながされた。

 第2期の活動期間は4年間で、そのあいだに各社は独自に開発した安全技術を盛り込んだ実証実験車を開発し、最終年度にはその成果発表を大々的に行った。2000年に実施された『スマートクルーズ21 デモ2000』というイベントがそれである。

■20年が経ち標準装備となったASV技術

 当時はITS(intelligent transport system)が脚光を浴びており、日本版ITSとしてはAHS(advanced highway system)とASV(advanced safety vehicle)がシステムの両輪となって開発が進められていた。その技術開発を進める一方、新しい技術を搭載した車両がスムーズに市場導入されるための受け皿づくりも考えられた。例えば『衝突被害低減ブレーキ装備』として販売される車両が最低限備えていなければならない技術的な基準・指針は許認可権を持つ国土交通省が定めるのだが、その雛形についてはASVプロジェクトに参加する各社代表による会議で策定されたのだ。

 筆者は異動直後でワケも分からないままにこの技術指針を策定する分科会のメンバーを引き継ぐことになり、月イチのペースで東京のトヨタ本社や日産本社で開かれる会議に参加することになる。そのとき漠然と思ったのは「こんな絵に描いた餅のような安全技術が実現して全車に装備される時代なんて来るのだろうか?」である。

 あれから20年を経たいま、ASV技術は軽自動車にも標準装備される時代になったのを見ると、20年という歳月が長かったような、意外に短かったような複雑な思いにかられる。一方、AHSについてはあまり実用化が進んだという話を聞かない。

 かつては自動車の自動運転化は道路と車の通信によって達成される技術と目されていたが、現在は車が自律的に状況判断をして自動運転する技術が確立されつつある。これは各種センサーとCPUの高性能化及び情報処理技術の進化によるもで、当時考えられたロードマップとは少し状況が変化してしまったようだ。さて、話が横道にそれすぎてしまったので次からは本題に戻るとしよう。(中編に続く)

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キタさん:北川成人(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。1976年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中1999年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、2003年にはレース部門に復帰。2005年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える2009年までMotoGPの最前線で指揮を執った。

2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川成人さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。