黄金の6年間:映画「戦場のメリークリスマス」はクロスオーバーの象徴! 1983年 5月28日 大島渚監督作品「戦場のメリークリスマス」が劇場公開された日

テレビの司会は “司会者” が務めていた時代

昭和の時代、テレビ番組の司会は、司会者が務めた。

―― と書くと、「お前は何を当たり前のことを言ってるんだ?」とツッコまれそうだが、よーするに、昔は “司会者” という肩書きの人がいたんですね。例えば、『アップダウンクイズ』(NET→TBS系)の小池清サン、『東芝ファミリーホール特ダネ登場!?』(日本テレビ系)の押坂忍サン、『クイズグランプリ』(フジテレビ系)の小泉博サン、『ロッテ歌のアルバム』(TBS系)の玉置宏サン―― etc.

彼らの仕事は、正確な番組進行と、聴き取りやすいアナウンスでお茶の間に状況を伝えること。時おりウィットを挟みつつも、大きく番組が脱線することはなかった。毎週、同じ曜日の同じ時間に、ルーティンの仕事をこなすことに意味があった時代――。

それが、今やテレビ番組の司会と言えば、お笑い芸人が務めるのがスタンダードに。要は、クイズ番組にしろ、音楽番組にしろ、バラエティ番組にしろ、今のテレビの見せ場は、出演者のフリートーク。司会者には、それをいかに面白く引き出せるかの技量が求められ、結果、アドリブの利く、回しの上手いお笑い芸人が重宝されるようになったというワケ。

境界線を越え、新しい才能を開花させたエンターテイナーたち

ちなみに、冒頭に挙げた4番組は、大体80年代のアタマに姿を消すんだけど(『アップダウン~』は83年に小池サンが勇退して事実上終焉)、その時代、テレビ界で何が起きたかというと―― それこそ、僕がこのリマインダーで連載する「黄金の6年間」で言うところの “クロスオーバー” なんですね。従来のテレビ司会者の境界線を越え、新しい才能を開花させたエンターテイナーたちがスポットライトを浴びた時代――。

例えば、『ザ・ベストテン』(TBS系)の久米宏サンは、それまでの音楽番組の概念を変え、ハプニングすら楽しむ徹底的なドキュメンタリー性を売りにした。『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)の古舘伊知郎アナは、従来の実況にエンタメ性を加味し、“人間山脈” などの秀逸なコピーライティングのセンスを発揮した。『世界まるごとHOWマッチ』の大橋巨泉サンは、クイズ番組に軽妙洒脱なトークの要素を加え、大人のバラエティショーを演出した。

異業種からのクロスオーバーもあった。異色の若者向けトーク番組『YOU』(NHK教育)は、コピーライター時代の糸井重里サンを司会に抜擢。従来のNHKらしさを払拭し、若者を車座にスタジオに入れて、ポップでフリーダムな空間を創出した。また、一週間を振り返る総集編『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ系)では、作家の嵐山光三郎サンを “編集長” に起用。作家目線で笑いを語るという知的な時間が楽しかった。

えーっと、何の話をしてるんだっけ?
そうそう、クロスオーバー。少々前置きが長くなったが、今回のテーマが、まさに「黄金の6年間」のクロスオーバーの象徴とも言える渾身の一作なんです。それが、今から37年前の今日―― 1983年5月28日に封切られた映画『戦場のメリークリスマス』である。

クロスオーバーの象徴、映画「戦場のメリークリスマス」

監督:大島渚。出演:デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし―― トップクレジットの3人は、役者が本業じゃない。この1983年の時点で、世界的ロックスターに、“YMO” の教授に、漫才師である。だが、3人とも本業においては、いずれも紛うことなき天才だった。

とにかく、このキャスティングは当時大騒ぎになった。大島渚監督については、あの『愛のコリーダ』を監督して裁判沙汰になった人―― くらいの知識しか自分は持たなかったが、世界的に名の売れた日本人監督ということで、皆、一目置いていた。

とはいえ―― 僕が同映画を観に行く理由は至ってシンプルだった。当時、僕は高校1年だったが、同世代の男子の8割はたけしサンに心酔しており、教祖が出るので信者は行くというのが、僕らの当たり前のスタンスだった。毎週、『オールナイトニッポン』で聴かされる撮影の裏話に爆笑し、どうやらカンヌ国際映画祭のパルム・ドールも取れるらしいという前評判も手伝い、僕らは大いに盛り上がった。

残念ながら、公開前に「カンヌ」は同じ日本映画の『楢山節考』(今村昌平監督)に持っていかれるが、逆に、そんな落選すらも笑い話として盛り上がり(結果オーライ)、僕らの期待は更に高まった。公開を今か今かと待ち受けた。

封切り初日の土曜日の午後―― 福岡・中洲の映画館は超満員だった。僕らはちょっと出遅れ、館内に入ると既に座席は埋まっていた。それでも通路の階段に腰掛け、場末のスナックのCM(昔の映画館のCMって妙な “場末” 感がありましたよね?)を見ていると、フツフツと期待が高まってきた。

始まった。タイトルは『Merry Christmas Mr.Lawrence』と英語表記だ。そう言えば、日英の共同製作だっけ。ファーストカットは軍服姿のたけしサン。ここで館内が軽くざわつく。遠くの席で笑いも起きる。続いて、画面は引きになり、捕虜収容所の外をたけしサンが歩いている。ここで、坂本龍一サン渾身のメインテーマが流れる。オリエンタルチックな旋律が印象的だ。もう何度もCM(当時は映画のCMがテレビでよく流れましたナ)で聴いていたが、改めてスクリーンを通して聴くと、ゾクゾクと得も言われぬ感動が押し寄せてきた。

1978年に始まった「戦メリ」企画、紆余曲折のキャスティング

ここで、映画『戦場のメリークリスマス』の成り立ちについて、少し補足しておく。
同映画には原作があり、劇中に登場するイギリス人のローレンス中佐(トム・コンティ)のモデル、ローレンス・ヴァン・デル・ポストが1954年にイギリスで刊行した『影の獄にて(A Bar of Shadow)』がそう。日本では1978年に翻訳出版され、同年、大島監督が映画化に名乗りを上げた。

そう、『戦メリ』の企画は1978年に始まった。ここがミソだ。つまり「黄金の6年間」の初年である。当初、後にデヴィッド・ボウイが演じるセリアズ少佐の役は、ロバート・レッドフォードが検討されたという。また、坂本龍一サンが演じたヨノイ大尉は沢田研二、たけしサンが演じたハラ軍曹は勝新太郎がそれぞれ予定されたが、いずれもスケジュールやギャランティが折り合わず、流れたとか。実現したら、これはこれで面白かっただろう。

結局、主役のセリアズの役は、大島監督自らニューヨークのブロードウェイの舞台『エレファント・マン』に出演中のデヴィッド・ボウイに声をかけ、逆に「大島監督のファンだ」と快諾されたという。この時が1980年。そこからボウイは2年間、スケジュールを開けて待っていたとか(リップサービスだろう)。

また、教授へのオファーは、“音楽” を担当する条件で折り合ったとか。当時、教授は映画音楽の経験がなく、自身のキャリアアップのためにも、是が非でもやりたい仕事だったと思われる。むしろ、音楽がメインで、役者がサブの仕事という意識だったのかもしれない。実際、教授はクランクイン当初、全く台詞を覚えずに現地入りしたという。

そして、たけしサンへのオファーは最後に決まった。
当時、既にテレビ界の大スターながら、演技的にほぼ未経験のたけしサンの起用は、製作サイドに根強い反対があったという。観客動員に繋がる期待が持てる反面、ハラ軍曹は重要な役だけに、映画のクオリティを落としかねない。しかし、大島監督はたけしサンの目を見て、「瞳だけは美しく輝いている」とオファーを決断する。結果的に、この直感が、あの名ラストシーンを生むことになる。

そう――『戦メリ』は78年に企画を立ち上げるも、600万ドルとも言われる資金集めに難航し、その間、スケジュールが再三延期され、それに伴い、キャスティングも当初の案から、異分野の人物起用へと変節した。そして、クランクインの82年8月を迎える。結果的に、同映画の今日の評価の半分がこのキャスティングにあるとするなら、それに費やした時間は必然だったのかもしれない。これこそ、クロスオーバーの時代「黄金の6年間」がもたらした奇跡ではないだろうか。

デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし… 魅力的なキャラクター

映画に戻ろう。
ストーリー自体は、さして難解じゃない。1942年、ジャワ島の日本軍俘虜収容所が舞台で、捕虜となったイギリス兵たちと、それを管理する日本兵たちとのやりとりを描いたものだ。設定そのものは、あの「クワイ河マーチ」の『戦場にかける橋』とよく似ている。

坂本龍一演ずるヨノイ大尉がここの所長で一番偉く、たけしサン演ずるハラ軍曹が現場の管理担当者だ。ハラのほうが年上に見えるが、ヨノイのほうが偉いのは、キャリアとノンキャリの違いだろう。

物語は、そこへデヴィッド・ボウイ演ずるセリアズ少佐がやってきてから、徐々に調和が乱れていく。裁判所で彼を尋問したヨノイは何かに目覚めたのか、セリアズを銃殺刑に処すと見せかけ、空砲で命を救う。

一方、ハラは捕虜たちに粗暴に振る舞いつつも、日本語を話せるローレンスにだけは気を許し、何かと重宝する。いつしか2人の間には、敵味方を越えた友情が芽生えたように見えた。

しかし―― 一度乱れ始めた調和のうねりは、兵士たちの暴走を引き起こす。結局、ヨノイは自らの心の乱れを打ち消すように、捕虜たちに辛く当たるが、その最中―― セリアズはヨノイの気を静めようと、彼の前に進み出て、その両頬にチークキスをする。

予期せぬ出来事に、言葉を失い、倒れ込むヨノイ。翌日、新しい所長がやってきて、セリアズは生き埋めの刑に処せられる。ある晩―― 月明かりの下、絶命寸前のセリアズの前にヨノイが現れ、髪を一束切り、ポケットに仕舞う。

この映画で真に評価すべきポイントは?

4年後、戦争は終わり、ハラは戦犯として捕らえられ、刑が執行される前夜、ローレンスが面会に訪れる。旧交を温める2人。かつて収容所で過ごしたクリスマスの思い出話で盛り上がる。帰り際、「ローレンス」と呼び止めるハラ。ここで彼の顔がアップになる。笑顔だ。

「メリー・クリスマス。メリー・クリスマス、ミスターローレンス」

映画はここで終わる。流れるメインテーマ。正直、もう少し難解な映画を予想していたが、意外と普通だった。この映画自体、難解な大島映画と、分かりやすい戦争エンタメとの、クロスオーバーだったのかもしれない。事実、大島映画史上最高額となる興行収入がそれを物語る。「黄金の6年間」の時代性が、監督の軸足を若干マーケットに引き寄せ、その分、カンヌから遠のかせたとも――。

そして、この映画で真に評価すべきは、後日談である。坂本龍一はこの4年後、『ラストエンペラー』でアカデミー作曲賞を受賞した。ビートたけしは6年後、映画監督になり、やがて「世界のキタノ」と呼ばれるようになった。いずれも『戦メリ』が起点になったのは周知の事実である。

これもまた、「黄金の6年間」のクロスオーバーの賜物である。

※ 指南役の連載「黄金の6年間」
1978年から1983年までの「東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代」に光を当て、個々の事例を掘り下げつつ、その理由を紐解いていく大好評シリーズ。

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カタリベ: 指南役

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