40年前のテツ活動を振り返る

朝日を浴びる湧網線のキハ22。当時の北海道のローカル線では当たり前の光景

 【汐留鉄道倶楽部】新型コロナウイルスの感染拡大で屋外での「テツ活動」もままならず、過去の写真の整理などにいそしむ同好の士は多いことだろう。筆者も昔を振り返るいい機会とばかりに、1980(昭和55)年にタイムスリップすることにした。

 ちょうど40年前のその年は、高校1年生から2年生。札幌市内の高校の鉄道研究会に所属していた。記憶は薄れたが、当時の写真や切符、時刻表のほかに、鉄研の会誌、そのために記録した旅のメモがある。北海道鉄道100年だった同年のテツ活動の中から、春休みに稚内、根室を回った一人旅を再現してみよう。

 1日目の3月27日。午前8時発のL特急「いしかり1号」で札幌駅を出発、深川で留萌本線の鈍行に乗り換えて留萌へ。慌ただしく190円の駅そばをかっ込み、今度は羽幌線で日本海沿いを北上。幌延からは宗谷本線の鈍行に乗り、日本最北端の地、稚内に着いたときには午後5時を回っていた。

 今なら稚内で1泊するだろう。しかし宿代を節約したい高校生の筆者は、稚内滞在約1時間で旭川行きの急行「礼文」に乗って宗谷本線を一気に南下した。旭川から網走行きの夜行急行「大雪」に乗車、寝台ではなく座席車で“車中泊”となるのだが、わざわざ名寄で途中下車して普通列車に乗り換えている。

 鉄研の会誌に寄稿した「北海道さいはてめぐり」を読み返すと「そのまま急行で行っても旭川に着くが、早過ぎて時間を持て余しそうだったからである」と記している。当時の時刻表をめくって確認すると、たった30分しか違わないのだが…。

 夜行列車の発着で活気づく旭川を離れ、夢とうつつの間をさまよいながら石北本線を東へ進み、28日午前4時すぎに遠軽に着いた。2日目はここから名寄本線、湧網線、釧網本線と乗り継ぎ、釧路からもう一つのさいはての地、根室を目指す強行軍。目的地はあくまでも根室(納沙布岬)だったが、早朝の湧網線では忘れられない絶景に出合った。以下、少し長いが会誌から拙文を引用する。

 「五鹿山を通過するころ、左手に朝日が昇った。巨大で真っ赤な太陽がぽっかり浮かんでいる姿は異様である。その太陽が鉄道林に見え隠れする中、列車は走る。芭露を出ると、やや開けてきた。次の瞬間、私は思わず「あっ」と言いそうになった。車内のあちこちでも感嘆の声が起こっている。左手は一面の大雪原である。いや、大氷原だ。それがサロマ湖だと分かったのは、ややしばらくしてからだった。まさに何もない。その何もない大氷原の向こうに、真っ赤な太陽がぽっかりと浮かんでいるのだ。私は言いようもない感動を覚えた。感動というより、それはショックに近かった。視野に入るのは、真っ直ぐな水平線と、太陽だけなのである。木も、家も、何もない。この情景をご想像いただけるだろうか。これぞ「超景色」である」

(上)紹介したサロマ湖の絶景のネガを今回スキャンしてみたが、イメージ通りの色にはならなかった。写真はすがすがしい朝の佐呂間駅の駅名標、(下)できるだけ“一筆書き”で運賃を安くしようとして購入した「連続乗車券」と、はみ出した区間の乗車券。途中下車のスタンプが懐かしい

 この後は網走(滞在約30分)から釧網本線の急行「しれとこ」で釧路へ向かった。途中、オホーツク海に浮かぶ流氷を初めて見たり、寝不足でうとうとしたり、相席した地元のおじさんと話し込んだりしているうちに昼前には釧路に到着。

 ここも滞在1時間で、今は「花咲線」と呼ばれる根室本線の鈍行に乗り込んだ。30分近く停車した厚床駅では、列車から降りた瞬間に家畜の糞尿(?)の臭いが強烈に鼻をついたのを今でもよく覚えている。

 午後4時半前、今回の旅のゴールで最東端の地、根室に着いた。バスに揺られて約40分で納沙布岬へ。曇っていた空が晴れ上がり、旅は壮大な落日で締めくくられた。(そして釧路から札幌まで夜行急行「狩勝」のB寝台で帰ったのだが、そのコンパートメントで妙齢の女性と向かい合わせに座ることになってものすごくドキドキした。当時の記録にはないが、鮮明な記憶として残っている)

 1980年は1月に室蘭のコークス工場で現役だったミニSL「S―304」(今も三笠鉄道村で健在)を訪ね、3月には胆振線、6月には夕張線と私鉄の三菱石炭鉱業鉄道に乗車。夏休みの8月には興浜北線と興浜南線、深名線にも乗った。

 北海道鉄道100年関連では、7月に小樽で動態復活した「義経」、11月には小樽~札幌間を走ったC56と2両のSLを撮影。10月1日には国鉄のダイヤ改正があり、開業当日の千歳空港(現南千歳)駅に駆けつけている。

 この年に乗車した国鉄路線のかなりの部分は廃止されて久しいが、大学から故郷を離れた筆者の脳裏に刻まれている北海道の鉄道地図は、くまなく路線が張り巡らされていた40年前のままだ。

 ☆藤戸浩一 共同通信社スポーツ特信部勤務

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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