江戸で「大火」が多かった意外な理由

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江戸時代は天下泰平だったと喧伝されてきた。しかし、実際は大変な時代だった。巨大地震や噴火、飢饉、大火、疫病などが繰り返し襲ってきた。本書『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(講談社現代新書)は主として地震、噴火、大火などの災害について振り返ったものだ。類書は少なくないが、本書の最大の特徴は、「オランダ商館長が見た」というところにある。彼らは何に驚き、本国にどんな報告をしていたのか。

毎年江戸で将軍に謁見

江戸時代は鎖国状態だったので、日本の実情を知ることができる外国人は限られていた。しかもそれをきちんとした記録として残すことができた人はもっと少なかった。その稀有な立場にあったのが、長崎・出島のオランダ商館長だ。彼らは一年ごとの短期交代勤務だったが、着任すると必ず、将軍に謁見することになっていた。江戸参府という。

江戸では一か月ほど滞在した。道中や江戸での見聞を記録し、日記も付け、本国に報告していた。江戸時代になんと166回も江戸参府をしている。

その大量の記録が今もオランダ・ハーグの国立文書館に残っている。本書はそれら報告書に改めてスポットを当て、災害関係の部分を抜き出したものだ。

著者のフレデリック・クレインスさんは1970年、ベルギー生まれ。国際日本文化研究センター准教授。専門は日欧交流史。著書に『江戸時代における機械論的身体観の変容』『十七世紀のオランダ人が見た日本』(以上、臨川書店)、編著に『日蘭関係史をよみとく(下)』(臨川書店)などがある。

解説を磯田道史・国際日本文化研究センター准教授が担当している。『武士の家計簿』(新潮新書)のほか、『天災から日本史を読みなおす』『日本史の内幕』(以上、中公新書)、『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(NHK出版新書)など多数の著書がある。

異国で未曽有の災害に遭遇

全体は以下に分かれている。

第一章 明暦の大火を生き抜いた商館長ワーヘナール
第二章 商館長ブヘリヨンがもたらした消火ポンプ
第三章 商館長タントが見た元禄地震
第四章 商館長ハルトヒと肥前長崎地震
第五章 商館長ファン・レーデが記した京都天明の大火
第六章 島原大変肥後迷惑――商館長シャセーの記録

本書は、クレインスさんが解読した内容をもとに、商館長たちの行動や観察記録を克明に紹介している。加えて数ページごとに磯田さんによる背景や当時の事情などについての解説が入る、という丁寧な構成だ。異国で未曽有の災害に遭遇したオランダ人は、何を考えてどう対応したのか。日本人の行動について、どんな感想を持ったのか。まるでNHKスペシャルでも見ているかのようにリアリティたっぷりに再現されている。

冒頭に出てくる「明暦の大火」は、江戸三大火事の筆頭といわれている大火事だ。1657(明暦3)年3月2日から3日にかけて江戸中心部の大半が焼けた。このとき、商館長ワーヘナールの一行はたまたま江戸に滞在していた。炎の中を逃げまどい、九死に一生を得て大量の記録を残していた。

ワーヘナール商館長の旅程は以下の通り。1月18日、長崎を船で出発。数人の商館員や奉行所の役人、2人の通詞が同伴していた。下関で船を乗り換え、大坂に着く。そこからは陸路で京都を経て東海道に沿って江戸へ。荷物の運搬人が85人。そして2月16日、江戸到着。日本橋の定宿、長崎屋に宿泊する。27日、将軍家綱への謁見と贈物献上を無事終える。

火災は3月2日、ワーヘナール商館長が大目付・井上政重の屋敷に出向いて話し込んでいる時に起きた。大きな鐘を鳴らす不気味な音が聞こえる。若い家臣が部屋に入ってきて、何やら急を告げた。大目付が立ち上がる。取り残された商館長たちが障子を開けて廊下に出ると、本郷方面で高く上る黒煙が見えた。大目付の屋敷は九段にあった。商館長らは馬に鞭をあて、大あわてで日本橋の宿に戻る。北風にあおられて火は一気に拡大していた。宿にいられなくなり、逃げ出す。

放火説や陰謀説

以上のような出火当時の状況から始まり、命からがら江戸のあちこちを群衆とともに逃げまどうさまが、延々と書き綴られている。「読む人がまるで自分もそこにいるかのような気分になるくらい臨場感に満ちている」貴重な記録だ。

この大火の死者は数万人といわれる。商館長一行の中でも、料理人兼通詞1人が亡くなった。はっきりしているのは、江戸城も含めて江戸中心部の大半が、焼け野が原になったということだ。商館長らは、避難場所を求めてさまよい、浅草寺の裏側の、灯りも火もない貧民街のようなところにたどり着く。一睡もできなかったという。

江戸ではこの前年の11月にも約5000軒が焼けた大火事が起きたばかりだった。江戸時代に江戸では大火が49回。大坂は6回、京都は9回。江戸はとびぬけて大火が多かった。失火のほかにも、いろいろな理由があったようだ。その一つが放火。江戸の長屋には、仕事にあぶれた連中が多数住んでおり、火事になると、建て替え需要が発生、仕事にありつける。彼らが仕事欲しさに放火した、というもの。

もちろん陰謀説もある。作家の冲方丁さんは小説『剣樹抄』(文藝春秋)で、「明暦の大火」が幕府転覆をもくろむ者たちによる放火だったのではという疑惑を取り上げている。

『江戸東京の明治維新』(岩波新書)によれば、19世紀以降、新吉原の全町焼失火災は13件。その半数以上は遊女たちによる放火だった。暴力と過酷な処遇に耐えかねて、「この姿で責め殺されるより、火を付け、憤りを晴らし、法の沙汰を受ける」という抗議の放火だ。

火災のたびに巨利を得る

江戸では火事が年中行事だったので、復興も早かった。ワーヘナール商館長の一行が江戸についた時、前年の大火事の痕跡は殆どなかったという。2、3か月ですっかり立ち直っていた。本書の磯田さんの解説によると、江戸では深川地区に、普段から火災の後にすぐに再建築ができるだけの資材が備蓄されていたという。隅田川の対岸なので、火が及ばない可能性が高かった。この地区に材木商人が集まるようになり、火災のたびに巨利を得る。贅沢な料亭や、ウナギのかば焼きなどは深川で盛んになり、飲み食いや、役人を接待する場所としても発展したという。

ワーヘナールの次に商館長になったブヘリヨンも、やはり江戸滞在中に火災に遭遇している。この時は将軍に謁見する前だった。土産に海外から生きた「ダチョウ」を持参していた。逃げるときは、このダチョウも一緒だったという。大火の中を背丈2メートルのダチョウが突然現れたので、群衆は驚いて道を開けたという。火事の後、将軍に贈られた珍鳥は注目され、将軍も気に入ったそうだ。ブヘリヨンは「これで、この大きな鳥のために道中でかかったすべての苦労は無駄ではなかった」と書き残している。

本書では大火以外にも、地震や噴火の記録や体験記が収められており、それぞれに興味深い。貴重な史料として今後さらに検討されることになりそうだ。また、歴史小説の新たなネタにもなると思われる。

BOOKウォッチでは関連で『「江戸大地震之図」を読む』(角川選書)、『近世の巨大地震』(吉川弘文館)、『墓石が語る江戸時代――大名・庶民の墓事情』(吉川弘文館)、『享保十四年、象、江戸へゆく』(岩田書院)なども紹介している。クレインスさんの共著『戦乱と民衆』(講談社現代新書)も紹介済みだ。

長崎・出島の遊女事情について研究した『出島遊女と阿蘭陀通詞――日蘭交流の陰の立役者』(勉誠出版)も取り上げた。オランダ商館に出入りしていた遊女たちが商館長に送った約100通の手紙の分析だ。日蘭文化交渉史の第一人者、片桐一男・青山学院大学名誉教授がオランダの国立文書館で見つけ、解読を続けてきた。原文は日本語で書かれ、通詞が逐語訳を付けている。遊女たちが商館長に手紙を使って「営業活動」していた様子がわかる。

  • 書名:オランダ商館長が見た 江戸の災害
  • 監修・編集・著者名: フレデリック・クレインス 著、磯田道史 解説
  • 出版社名: 講談社
  • 出版年月日: 2019年12月20日
  • 定価: 本体960円+税
  • 判型・ページ数: 新書判・296ページ
  • ISBN: 9784065181799

(BOOKウォッチ編集部)