手描きで街彩る、大阪でただ一人の映画看板絵師 架空映画「コロナマン」「フェイクニュース」も

大阪でただ一人の映画看板絵師の八条祥治さん

 映画スターを活写した迫力ある筆致のイラストに、レトロ感あふれる独特な文字。かつて、手描きの看板は映画館のある街の風景を確実に彩っていた。時代とともにそのほとんどが姿を消したが、大阪・新世界の老舗映画館「新世界国際劇場」には手描きの映画看板が掲げられている。製作しているのは「大阪でただ一人の映画看板絵師」という八条祥治(はちじょう・しょうじ)さん(63)だ。今は亡き先代の父・孝昌(たかまさ)さんの背中を追いながら「気持ちを込められる手描き文化をなくしたくない」と今日も絵筆を握る。(共同通信=松田優)

 ▽荒々しく

 4月末、大阪市西成区のアトリエ「八條工房」。八条さんは新作の映画看板作りを進めていた。幅2メートルほどのベニヤ板に貼った紙に、プロジェクターで俳優の顔を投影し、木炭でなぞっていく。輪郭を整えた後、手本のチラシを左手に持ち、じっと見比べた。

ベニヤ板に貼った紙にプロジェクターで俳優の顔を投影し下書きする八条さん

 初めは淡い色から順番に塗る。色合いの異なる肌色を塗り重ね、顔の影やしわを表現していく。後ろに一歩下がって何度も確認してはまた色を重ね、徐々に絵が浮かび上がってきた。「遠くから見られるもんやから、印象の弱い絵になったらあかんのです」。あえて筆の跡が付くよう荒々しく塗ったり、何重にも色を重ねたりと、手描きならではの力強い表現を心がけている。

 ▽父に弟子入り

 1980年、映画看板製作会社に勤めていた孝昌さんの独立を機に、家族みんなで工房を手伝うことに。看板の設置などを手伝いながら、八条さんも絵師として23歳で父に弟子入りした。幼い頃から父の仕事場が遊び場で、大きな絵を描く絵師さんを見ては「すごいなぁ」と圧倒されていた。まさか自分が絵を描くことになるとは夢にも思っていなかった。

 それまで建築関係の会社で販売や営業をしていたため、いきなり絵が描けたわけではない。孝昌さんが絵を描き、八条さんは背景の色塗りや文字を担当。仕事が終わった後で、新聞紙やスケッチブックに文字や絵を描く練習をした。ピーク時には大阪・梅田や和歌山県など9館の映画館の看板を担当していたが、映画館の廃業が相次ぐと仕事は減っていった。

看板に文字を書き入れる八条さん

 日本の映画宣伝美術に詳しい国立映画アーカイブの主任研究員、岡田秀則(おかだ・ひでのり)さんによると、90年代初期ごろまでは街中で手描きの映画看板が多く見られていた。その後、都市の再開発や大看板を設置できる旧来の大型映画館の廃館、シネコンの増加やインターネットの普及により看板を用いない宣伝が主流に。手描きの看板や絵師は減ってしまったという。

 ▽28年目に初めて

 八條工房も、道頓堀東映が閉館した2007年4月を最後に映画看板の仕事はなくなっていた。同年9月、孝昌さんは胃がんで入院。依頼がなくても、八条さんは工房でチャップリンの看板を描いて練習を重ねた。「父は、ひたすら描いて描いて描き続けろと言っていた。どんなときも努力せいということやね」。完成した看板をカメラに収め病院に見せに行くと、孝昌さんは会話ができなくなっていたが、優しい表情でそっとうなずいてくれた。

父・孝昌さんに見せたチャップリンの「街の灯」の看板

 「うれしかった。初めて父に認めてもらえた気がしてうれしかったね。それと同時に、親父から受け継いだ家業を守っていかなあかんという思いが強くなった」。父に見せた数カ月後、看板は難波の千日前国際劇場に飾られた。チャップリン没後30年を記念した映画祭から偶然声が掛かった。弟子入りして28年目、初めて一人で描いた映画看板。孝昌さんが亡くなる1週間ほど前の出来事だった。

 ▽「コロナマン爆誕」

 10年から、孝昌さんの後輩の引退に伴って新世界国際劇場の看板を任されることになった。今は週替わりの上映作品に合わせて毎週火曜日に十数枚の看板を納品する。取り外した看板の上から紙を貼って新たに絵を描いていくため、過去の作品は残らない。何重にもなった紙の厚みや雨水で看板が重くなったら全て剝がし、ベニヤ板に新しくまた紙を貼る。「はかない1週間の命です」と言って寂しげに笑う。

ユーモアのある看板で話題となった新世界国際劇場。支配人の冨岡和彦さん(右)と八条さん

 今年4月、新型コロナウイルスの感染拡大で同劇場も休館。劇場支配人である冨岡和彦(とみおか・かずひこ)さん(52)の「休館中も何か面白いことをして、映画館のことを忘れないでほしい」という思いから、コロナ禍に揺れる世相を映した架空映画の看板製作の発注を受けた。「コロナマン 最凶ダークヒーロー爆誕」に「フェイクニュース 暴力報道2020」。上映作品の看板を掛ける場所に現れた架空映画の看板は話題を呼んだ。冨岡さんは「八条さんの看板なしにうちの劇場は考えられないくらい、欠かせない存在」と信頼を寄せる。

 ▽誇り

 八条さんは、工房に残してある孝昌さんの作品を時々見返す。迷いなく筆を進め、見る者を圧倒する作品を描き続けていた父。「思いが注ぎ込まれていてね、絵ではないような、いや、絵なんだけど、これを人が描いたのか、というような絵なんだよね」。父の絵を見るたび、そう思う。

八条さんの仕事道具

 受け継いだ伝統は途絶えさせたくないが、今は仕事が少ない。過去に何度か自分の描いた絵を見せに工房を訪れてくれた弟子入り志願者もいたが、断ってきた。飲食店の看板や企業ポスターの文字を描くなど、映画看板以外の仕事にも力を入れ、手描き文化をどうにか広められないか模索中だ。

 「一つ一つに気持ちを込めながら描けて、唯一無二の存在になるのが手描きの良さやね。自分が現役のうちは、見た人の心に残る看板を描き続けたい」。柔和な笑顔で話す言葉に、看板絵師の誇りがにじんだ。

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