政治意思表明の場を求める普通の市民 ツイッターデモと「声なき声の会」が示すこと

By 江刺昭子

ツイッター上で見られる「検察庁法改正法案に抗議します」などのハッシュタグ

 政府・与党が検察庁法改正案の採決へ向かっていた5月8日、ツイッターに「#検察庁法改正案に抗議します」が投稿された。それはたちまち拡大し、芸能人や著名人らの投稿も相次ぎ、1千万に及ぼうとするオンラインデモになった。

 発案者は広告会社に勤める30歳の女性「笛美さん」(ニックネーム)。それまでは政治に興味のない人生を送ってきた人だという。

 ■驕りを露わにした岸の言葉

 これで思い出すのは60年前の安保闘争の折、「声なき声の会」を立ち上げた小林トミである。彼女も当時30歳で、初めて街頭デモに参加したのだった。

 1960年6月の東京は騒然としていた。5月19日、政府が改定日米安保条約を衆議院で強行採決した。前年から続いていた反対運動が、この日を境に様相が一変する。

 「岸信介内閣退陣」「国会解散」を求める声が強くなり、連日、国会や首相官邸にデモ隊が押しかけた。労働組合員や学生ら組織された集団だけでなく、多くの一般市民が加わってくる。

 それでも岸首相は記者会見で「私は『声なき声』にも耳を傾けなければならぬと思う。いまのは『声ある声』だけだ」と述べた。デモ隊以外の世論は政府を支持している。そんな驕(おご)りを露わにした言葉だった。それは、民主的手続きを平然と踏みにじって、支持率はそのうち回復するとたかを括る現政権の姿に重なる。。

 6月4日は安保反対運動をリードしてきた安保改定阻止国民会議の統一行動日だった。早朝、国労(国鉄労働組合)を中心に560万人がストに参加、昼頃から夜にかけて13万人が国会周辺に押し寄せた。

 千葉県柏市に住む画家の小林トミは、緊張と不安な面持ちで学者・文化人らの「安保批判の会」のデモの後ろについた。虎ノ門から国会議事堂に向かって友人と2人で歩き始める。手に持っている横幕にはこんなことが書いてある。

 「総選挙をやれ!! U2機かえれ!! 誰デモ入れる声なき声の会 皆さんおはいり下さい」(U2機とはアメリカの偵察機。当時、厚木飛行場に配置、5月にソ連で撃墜されていた)。

 すぐに少年と母親が、続いて沿道にいた人びとがついてきた。

樺美智子さんの死亡事件から20周年を迎えるころの小林トミさん

 「一緒に歩きましょう。誰でも入れるデモです」と呼びかける。何気ない顔で入る人、ニコニコしながら列に加わる人…。そのうち誰かが横幕を持つのを交代してくれて、新橋で解散する頃には300人以上のデモにふくれあがっていた。

 ■ベ平連につながる市民運動の原型

 勢いづいた小林は国会近くに戻り、思想の科学研究会の鶴見俊輔や政治学者の高畠通敏らと出会い、再び横幕を掲げて歩き出す。また大勢の人が入ってきた。

 米大使館前で座り込みをしているとき、紙をまわすと、次々と住所が書きこまれ、たちまち200人もの名簿ができあがった。無党派の市民グループ「声なき声の会」誕生の瞬間である。

 その後、会によるデモは、6月だけでも5回行われたが、19日、新安保条約が参院での採決なしで自然承認されると、反対運動はたちまち鎮静化していく。

 それより前、6月15日に抗議のため国会構内に入った東大生の樺美智子が亡くなっていた。ショックを受けた小林は、会を継続する。代表はおかず、小林が事務局の役割を担って、1か月に1回市民集会を開き、お互いの声の交換の場として『声なき声のたより』を発刊した。

樺美智子

 毎年6月15日には、樺が落命した国会南通用門に献花した。千人近くになる年もあれば9人しか来ないときもあったが、彼女がこだわったのは、ごく普通の市民が気軽に参加できる集まりだった。党派や組織には距離をおいた。

 今の政治はおかしい、だけど、どうしたら意思表示できるかわからない。ジグザグデモや大声でシュプレヒコールを繰り返すデモは敷居が高い。そういう人たちに政治参加の回路を提供した。

 メンバーだった鶴見俊輔らが65年に「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」を始める。会員の多数を占める主婦たちは、各地で高校全入運動や保育所作りといった生活に根ざした運動に取り組んでいく。だから「声なき声の会」は市民運動の原型とされている。

 小林は、2003年に亡くなるまで「たより」の宛名書きなどを続けた。会は今も継続している。

 ■リアルとバーチャルの融合を 

 「#検察庁法改正案に抗議します」のツイッターを始めた笛美さんに、47ニュースの編集部が書面インタビューしている(5月23日公開)。それによると、フェミニズムへの興味から政治へと関心が広がったが、政治デモに参加するのは怖かった。それでツイッターへの投稿を思いつき、政治ビギナーに発信しやすい言葉を選び「#検察庁法改正案に抗議します」の投稿になったのだという。

 それまで政治に無関心だった一人の女性が起こした誰でも入れるデモ、誰でも声をあげられるSNS。普通の市民が政治的意思を表明する場をどれほど求めているか、時代を隔てた二つのムーブメントが教えてくれる。

 笛美さんはツイッターに、「SNSのおかげで、誰だって声をあげていいし、声をあげれば周りの人が連帯してくれる時代になりました。次はあなたが声をあげる人になってください」とも書いている。

 世界のどこにいても声をあげられるし、フォロワーになれるオンラインデモは今後、政治参加のツールとしてトレンドになるだろうし、政治家も無視できないだろう。世代を超えて運動を継続していくためには、バーチャルな方法は必須になる。

 だが、小人数の集会や路上デモも自粛させられたここ数カ月の状態はやはり異常で、市民運動にとっては大きな痛手だった。

 草の根の学習会や集会は軒並み、取りやめか延期になった。沖縄が本土に復帰して48年目の「5.15平和行進」も中止になった。60年安保の節目になる6月の関連行事の開催も危ぶまれている。8月の原爆記念日の行事も縮小の方向と伝えられる。

 人と人が実際に出会い、時代の風景や社会の空気を共有しながら、意思一致できることを丁寧に探して、その意思を政治や行政にぶつける。デモをすれば、自分たちが立ち向かう権力や権威の実力を、警官による規制という形で実感する。

 こうした段階を一つずつ経験することは、SNSでは難しい。バーチャルな意思表示とリアルな運動の融合・止揚は、どのようにして可能なのか。民主主義の実現のために手放してはならない課題だと思う。(女性史研究者・江刺昭子)

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